Cakes連載『新・山形月報!』

経済、文学、コンピュータなどの多方面で八面六臂の活躍をする山形浩生さん。その山形さんが月に一度、読んだ本、気になる現象について読者にお届けする密度の濃いレポートです。

侵攻の背後に見え隠れするロシアの思想、軍事、エネルギーと環境問題

 
共訳書であるヨハン・ノルベリ『OPEN(オープン)』(NewsPicksパブリッシング)が発売目前の山形浩生さんによる書評連載「新・山形月報!」。今回は、ウクライナ侵攻を踏まえて、イワン・クラステフらの『模倣の罠』やティモシー・スナイダーの『自由なき世界』という大著2冊を皮切りに、小泉悠の話題作やスティーブ・クーニン『気候変動の真実』などを論じます。

 

 

2月末からずっと、ぼくと同じようにウクライナ侵攻の様子をツイッターなどで、ほとんどリアルタイムで日々追い続けている人は多いと思う。戦闘自体の惨状もさることながら、その背後から出てくる、ロシアの本当に得体の知れない考え方—自分たちは不当に奪われた大ロシアの一体性を当然の権利として奪還しているだけで、ウクライナを助けてやっているのであり、侵攻も虐殺も一切していないという、目の前の現実すら否定する発想—が明らかになるにつれて、過去100年ほどの様々な進歩だと思っていたものが、突然のように崩れ去っていくような、まったく別の時代に連れてこられたような、信じがたい思いを抱かざるを得ないのは、ぼくだけではないだろう。

もちろん、どの国でもイカレた夜郎自大な改変歴史思想を本気で信じている人はたくさんいる。エライ政治家が愛国おとぎ話を真に受けている例は身近にもある。でも、それはあくまで周縁的で個人的な話だ。ロシアも国民動員のプロパンガンダ利用くらいはされていても、まさか国是としてふりかざされるとは思っていなかった。2020年のロシア憲法改正で「我が国はそもそも千年にわたる歴史を持ち〜」なんて文言がマジに追加されて目をむいたとはいえ、それも大衆向けリップサービス程度の話かと思っていた。

それが、侵攻直後の勝利宣言予定稿や、それ以前の取り巻きの書いた、ウクライナは歴史的にオレたちの属国だぜという文章などを見ると、ウクライナとの歴史的な一体性とか、大ロシアの帝国主義は民族融和の共存共栄モデルでした〜、などの世迷い言を、いささかのためらいも留保もなしに、どう見ても本気で主張している。そのあまりの異様さにちょっと感動して、勝手に翻訳までしてしまったくらい。こいつら(というかプーチン)、どこまで本気なの? なんでこんな発想がいつの間にか、でかいツラをするようになったわけ? いろんな本を見てみても、この捉え方は一定してない。

まずクラステフ&ホームズ『模倣の罠 自由主義の没落』中央公論新社) は、プーチンやロシア上層部は決してそんなことを考えてはおらず、19世紀以前との考え方の類似性も表面的なものでしかないのだ、と述べている。変な歴史改変ファンタジーへの傾倒は、表向きでしかないということね。


模倣の罠—自由主義の没落

この本の主張は、ソ連崩壊で欧米自由主義一元論がいい気になっていたけれど、それを形式的に真似てもうまくいかない/そもそも真似る気のない世界各地が、様々な形でアンチ自由主義を強めていて、それは西側自由主義自体の偽善ぶりや上から目線のせいも大きいんだよ、というものだ。その中でプーチンの各種活動は、偉そうな西側自由主義への嫌味やあてつけや妨害となる攻撃的な模倣で、「オメーらだってダメじゃん」「ほれ、選挙すりゃいいんだろ」「人道の旗ふれば侵略してもいいんだよなwwww」という感じのものなのだ、という。

うーん、そういう面はおそらくあるんだろう。エドワード・スノーデンがロシアに逃げたとき、言論の自由だの人権だのをふりかざしてみせた、プーチンのあてつけがましい物言いはまさにそうした攻撃的な模倣ではあった。

が、それは原理的な思想や世界観ではなく、西側とやりあうときの戦術レベルの話でしかないんじゃないか? 結果的にそんな雰囲気になってきています、というのはわかる。また西側自由主義の反省点としては傾聴すべきだろう。でも、反自由主義全般や、ロシアと中国の全体主義的な動因の説明としては弱いと思うのだ。特に中国が、かなり決然と意図的に西洋式の価値観ややり方を拒否しているのを、模倣として解釈するのはあまりに強引すぎる。さらに訳者解説でも触れられているけれど、これでロシアのクリミア侵攻を説明はできないし、まして今回のウクライナ侵攻において、この話は背景情報の一つではあっても決定的なものではないと思う。(あと、通常は扉の裏とか目次の後とかにある原著の書誌情報がないんだよねー、この本。原著が何年に出たのか探すのにえらい苦労した。2019年の本か。)

これに対してティモシー・スナイダー『自由なき世界 フェイクデモクラシーと新たなファシズム』慶應義塾大学出版局、上・下)は、プーチン民族主義の三流デマゴーグ理論に次第に傾倒して、それがロシアの政策にはっきり影響するようになってきたと指摘する。そこで紹介されている、プーチンお気に入りの20世紀初頭ロシア愛国思想家イヴァン・イリインの思想は、確かに最近のウクライナ侵攻を正当化するロシアプロパガンダそのもの。マッチョな独裁者に強権支配されたロシアこそが世界を統べて秩序をもたらす救世国家となるのだ、という話だ。ちなみに、このイリインをプーチンに紹介したのは、あの映画監督ニキータ・ミハルコフだったという……。


自由なき世界 上:フェイクデモクラシーと新たなファシズム

そして、その思想を取り入れつつ、プーチンが新しいファシズム体制をロシアで築き上げる様子が非常に説得力ある形で描かれ、それがクリミア併合の暴挙を経て、さらに各地のナショナリズム運動に塩を送って(ときにはそれを操って)世界に魔手を伸ばす様子までを見事にまとめあげる。2018年の本だけれど、ウクライナ侵攻中のいま読むとなおさら迫力がある。そして、ぼくは陰謀論とか変な思想が大好きなので、ここに書かれたイリインの思想とか(のくだらなさ)には本当に大喜びした……が。

その一方で……ぼくはこの本の書き方に強い違和感がある。この本の書き方だと、まずイヴァン・イリインの思想があって、それをプーチンはじめ信奉者たちが実現すべく暗躍しました、みたいな話になっているからだ。20世紀ロシアを裏から操っていた暗黒イリイン教団があって、それがゼーレや妄想フリーメーソンみたいに裏からすべてを牛耳り、プーチンもそのイリイン思想に操られてその実現に尽力し、やがてイリインの予言は一世紀の時を経てほぼ完全に成就し……いや、そんなはずはないだろう、とぼくは思う。

インチキ思想が流行るには、それなりの背景と環境があるはずだ。プーチンだってバカじゃない。そんな変な思想を採用するには何か得があったはず。インチキ愛国思想が広まったからロシアがファシスト的になっていきました、というのは倒錯だ。むしろプーチンファシスト的な体制を作るのに都合がよかったから、そのイリインの三流ファシズム思想を持ち上げて見せたんじゃないの? でも、そういう考察がきわめて薄い。そのため、本書はほとんど陰謀論すれすれの主張になってしまっている。

さらに下巻になると、プーチンが他国の極右ナショナリズム思想、特にトランプ当選のためにいろいろ工作した話になる。要は、イリインの思想がさらに広がりアメリカまで侵食して民主主義は破壊されてしまった嗚呼おそロシヤ、という話だ。でも……確かにソ連がいろいろ工作して賄賂送ってネットでボット使って暗躍したのは事実。でもさ、それってどこまで有効だったの?

本書の記述だと、トランプはロシアに金もらって鼻薬かがされて女あてがわれてエロ写真撮られたロシアの傀儡だ。巧みな袖の下と情報工作により、アメリカはいまや(というのは本書執筆時のトランプ時代のことだが)大統領以下、政界もメディアもSNSもすべてロシアの意のままに操られているとのこと。でも……そんなはずはないだろう。ロシアの工作はみんなが思っているよりも浸透しているかもしれない。ただ、トランプ躍進の背景にはアメリカが抱えている基本的な国内問題があって、もともとかなり僅差だった。ロシアはそれを少し煽って、ダメ押ししたただけではないの? それが接戦での雌雄を決した可能性はあっても、すべてをロシアのせいにはできないのでは?

本書はそれを切り分けられず、あそこでもここでも、あいつもこいつもロシアの手下で、と羅列に終始して、最後になってアメリカは金持ち優遇で格差が広がり云々、これはアメリカもロシアと同じナショナリズム金権政治思想に冒されて云々、とクソもミソもいっしょくたにした話に落ちてしまう。邪悪な思想があって、それがロシアから世界に広まっています、というわけだ。ぼくは、思想とはそういうものではないはずだと思う。思想が広まるには、そのための必然性があり、それを採用する人々のニーズがあるのだ。

そうした羅列は、クリミア侵攻のときの各種作戦についても言える。ロシアはそこで情報戦、メディア戦を駆使した、あの放送局、このメディア、こっちの評論家、西側のメディアにも鼻薬をかがせ云々。具体名 (ほとんどは知らないものだけれど) が大量に並ぶと、いかにも重要そうに思え、なんか大規模な工作が展開されたように読者には感じられる。

けれど、それが全体としてどうなのか? 通常の軍事力とどういう連携でどういう比重だったのか? なぜロシアはそこまで周到にいろいろできたのか? そういう話は見えてこない。ウクライナとの関係も、昔は国として尊重していたけれど、イリイン思想の影響もあってだんだんその独立性を否定するようになった、というえらく単純な見方。「思想」とか「ファシズム」みたいなお題目からしか俯瞰できない本/著者の限界が如実に出てしまっている。もちろん、俯瞰には俯瞰の価値があって、読んで損はない本ではあるんだけれど……。

その点、一部でコスメ女子としても知られる小泉悠『現代ロシアの軍事戦略』ちくま新書)は、非常に周到だし現実の動きをしっかり押さえていてバランスも見事。変なもったいつけた本を読むより、この一冊をまずきちんと読むことを万人に奨めたいところ。 本書は書名通り、何よりもロシアの軍事面での分析だ。そしてその冒頭は、情報戦やサイバー活動、ドローン、経済、政治工作その他すべてを動員した、通常兵力にとどまらないロシアの新しいハイブリッド戦争遂行能力の記述だ。これはクリミア侵攻で異様な成果を挙げた。ここまでなら、スナイダー本でも羅列とはいえ記述されていた。


現代ロシアの軍事戦略

だが、本書はそれを全体の中にきちんと位置づける。これまでの戦争や軍事作戦とどうちがったのか、そこで各種のメディアや情報活動、経済、PMC (傭兵部隊のワグネルとか、知ってるようなふりしてたけど、実はよく知らなかったのよね。へえ、オリガルヒが養っている実質的なプーチンの私兵部隊なのか。経済制裁でロシアの外貨が尽きたらすぐ寝返るかと思ったら、そうはいかないみたいね) などがどうからんできたのか、そのどこが革新的であり、従来の軍事活動の枠組みと比べてどうだったのか。結局、通常兵力の重要性は揺るがないこと、そしてそのハイブリッド戦争も経済力の影響を受けて決して無敵ではないことまで指摘してくれる。

また、イリインとかの具体的なインチキナショナリズム思想自体の解説はないけれど、その位置づけはきちんと出てくる。プーチンが経済成長の停滞の中で、アラブの春/マイダン動乱的な国民反乱を恐れて独裁ファッショ的な方向に向かい、そのなかでナショナリズムの旗印を掲げる必要性が強まった点、さらにNATO拡大に対するプーチン/ロシアの苛立ちや危機感というのが決して理解できないものではないこと、そしてロシアの考える「大国」としての自国とその「勢力圏」の中でのウクライナ、さらにはシリアなどの位置づけまで、非常に明解。 しかもそれが、「こうです」と結論だけあっさり断言されるのではない。

この短い本の中で、どの分析もそれがどのような議論の中で固まってきた見方なのかをいちいち説明し、多角的な見方を提供してくれるのは実にありがたい。単純に「グローバル化の落ちこぼれがネトウヨ化してフェイクニュースファシズムに走りました」なんていう話ではすまないのがよくわかる。

ただ、おそらくこの本を読んだ多くの人も感じることだとは思うけれど、一つ知りたいのは、今回のウクライナ侵攻でのロシア軍が、ここで描かれているようなハイブリッド戦争を見事に展開した軍事組織には見えない理由だ。情報戦、敵の通信ラインの撹乱、電力網のクラッキング—そうしたクリミア侵攻でのロシア軍の画期的な動きとされる攻撃は、今回のウクライナ侵攻ではむしろロシア側が徹底的にくらっているように見える。クリミア侵攻が不意打ちの要素もあってうまく行きすぎただけなのか、それに懲りて西側が手口を研究しつくし、完璧な対抗措置を打ったということなのか、それともピンポイントで動いたクリミアに比べて今回の通常兵力を大規模に広げた侵攻は性格がちがうためなのか? 今後、そういう分析も加えた本は出てくると思うので注目したいところ。

2021年刊ということもあり、タイムリーな本で非常に勉強になっておもしろいけれど、中心が軍事的な話になってしまうのは、そういう本だから仕方ない。細かい兵器や作戦行動の話はいいから、というミリヲタ要素の薄い読者であれば、もう少しウクライナとの関係も含めた歴史的な経緯や地政学的な話、さらにはロシアの「帝国」としてのあり方をめぐる、いやな言い方だけれど文系的な記述が中心となった、同じ著者の『「帝国」ロシアの地政学 「勢力圏」で読むユーラシア戦略』東京堂出版)のほうがいいだろう。これも非常に優れた本。ロシアがそもそも、ソ連崩壊以来ずっと国をまとめる理念を見出せずに苦闘してきたことから始まり、ナショナリズム的な思想の位置づけもその中で整理される。これで『模倣の罠』『自由なき世界』の主張がどこにはまってくるか、きわめて見通しがよくなる。

さらに北方領土問題についても、「二島返還とかあまり期待するなよ」と身も蓋もないがはっきりした分析。 逆にミリヲタが脊髄にまで浸透している読者なら、彼の共著書『徹底抗戦都市モスクワ 戦い続ける街を行く!』ホビージャパン/廣済堂) も見よう。ミリヲタモスクワ観光ガイドというニッチもいいところの代物だけれど、そこで得た知見が小泉の他の本にも活かされているのがわかる。やはり現場に行ってブツを見ていると強い!

これらの小泉の本は、ロシアが展開してきた軍事的な話については詳しい。でも、彼らの全面戦争/ハイブリッド戦争や、戦争にいく以前の影響力拡大の活動はもっと大きなものだ。戦争なんて、ある意味でクラウゼヴィッツ流の、別の形での政治の継続なんだから。そして、中でも今回のウクライナ侵攻で如実に見えてきたのがエネルギー/資源による、特にヨーロッパに対する影響力の確立戦術だ。

ウクライナ侵攻への対応で当初、ヨーロッパ—特にドイツ—の足並みがそろわなかった大きな原因は、ロシア産のエネルギー資源への依存だった。ドイツは、その偏狭な反原発政策と現実離れした環境お題目のためにロシアの天然ガスに大きく頼るようになり、ガスプロムシュレーダー元首相を取締役にして政治トップへの怪しげな工作も露呈した。何とあのトランプが2018年にこれをドイツに警告して、ドイツ (とメディア) がそれをバカにしている映像がツイッター上で出回り、認めたくはないけれどトランプも完全にアレではなく、おめでたかったのは良識派を気取っていた連中だったことが4年後に今になって明確になってしまっている。

一方イギリスもロシアの(高い) 天然ガスに大幅に依存しつつ、自分たちの天然ガス井は潰すという、どう考えてもおかしな政策を環境団体の圧力で行っている。このため当初、対ロシア制裁の足並みは大きく乱れたのは記憶に新しいところ。こうした動きを、ロシアが後押ししていなかったとは考えにくい。

今後、こうした活動や、それがウクライナ侵攻とどう関わっているかについて述べた本はたくさん出てくるはず。そのトップで出てきたのが杉山大志&渡邊哲也『中露の環境問題工作に騙されるな! 脱炭素で高笑いする独裁者たち』(かや出版)。温暖化対策も含め各種の環境運動が、実は必ずしも環境とは関係ないプロパガンダで、しかもそれが往々にして中国とロシアへの利益誘導になっていることを指摘する対談本だ。対談だし、当然ながらものすごく急いだ本だから細かい厳密な分析はなく、大ざっぱな議論にとどまるのが難点とはいえる。でもポイントは抑えている。

ただ、資源エネルギー的なロシア依存を高めるのが、すべてロシアの長大な陰謀の結果というのはおそらく言い過ぎだろうとは思う。経済的なつながりを強めて相互依存を強化し、それにより戦争のしづらい世界を創ろう、というのがこれまでの世界の基本的なコンセンサスではあったんだから。

ぼくもそのお題目をもとに中越高速道路のFS(Feasibility Study:収益性や経済性の事前評価)をやったし、EUなんてまさにその理念でできている。ついでに、トランプ時代のアメリカがひどすぎたから、ちょいと距離をおいてロシアや中国と関係を強化するほうがマシじゃないか、というのはだれでも思った (もちろんトランプそのものがロシアの陰謀という見方もあるわけだが、それはいささか極論すぎるし、トランプはロシアを警戒していた面もあることは上の映像からも明らかだ)。

でもそれが諸刃の剣だったことが、今回の戦争により最悪の形でわかってしまった。だから今後の安全保障を考えるにあたっては、エネルギー安保を含めた経済、産業、ライフラインもいっしょに考える必要がある、というのが今回のウクライナ侵攻に伴う混乱の、改めての教訓だろう。そこらへんは、この対談でも外してはいない。

そうなると結局のところ、まず資源エネルギー安保と環境の話に関しては、政治理念やイデオロギー、あるいは理想に基づく既定路線みたいなものに頼らずに、基本にたちかえって見直す、という話にならざるを得ないだろう、とぼくは思う。そして特に地球温暖化の話に関しては、その出発点となる絶好の本が最近邦訳された。それがスティーブ・クーニン『気候変動の真実 科学は何を語り、何を語っていないか?』日経BP)だ。気候変動については、もう科学的に沙汰が下っている、というのがよく言われる話だ。二酸化炭素排出の増大で人為的な温暖化が起きている、このまま行けば文明崩壊、生物絶滅、地球は死の星になり人類滅亡は必定だ、だからそれを疑問視するヤツは対応を遅らせたがる石油業界の走狗で科学否定の野蛮人、ということになる。


気候変動の真実 科学は何を語り、何を語っていないか?

ところが、この本はそれらをほぼ否定する。こうした議論のいずれも、決して盤石ではないどころか、かなり怪しい。二酸化炭素排出は確かに増えている。でも、それがどんな影響をもたらすかは全然わからない。ここ数十年の温暖化も、十分に自然変動の範囲内で、人為的な温暖化が確実に起きているかどうかすら、断言できる状態ではないのだ、と。

いつもなら、「ああ、ありがちな温暖化否定論か」と一蹴されそうな議論だけれど、これがアメリカで出たときには、かなりの衝撃だった。というのもこのクーニンは決して異端のイカレた陰謀論者などではなく、オバマ政権でエネルギー省科学担当次官まで務め、気候科学、温暖化のモデル構築、その問題点や課題、さらには政治的な事情について熟知している人物だからだ。それがここまではっきりと、いまの温暖化議論の根幹にかかわる批判を公にするというのは、尋常なことではない。この現状(温暖化ではないよ、それをめぐる各種の議論のあり方のほうだよ)について、彼がどれだけ危機感を抱いているかは如実にわかる。

単純な話ではある。海、空、陸地、宇宙、雲、あれやこれやのそれぞれについて、データは限られているし、仕組みも完全にわかっておらず、自然の変動もきわめて大きい。それについてものすごく複雑な(それでもかなり粗雑な)モデルをこしらえて、それをさらに全部、無理矢理つなげてもっと粗雑なモデルを作っているのが現状だ。それをもとに未来のことが確実に見切れました、というのは、それ自体がかなり大胆な物言いだ。

これに対して「いや短期のことはわからなくても長期の動向はわかるのだ、明日の天気はわからなくても夏に暑くなるのはわかる」と強弁する人もいるけれど、少しでも長期の予測モデルを作ったことがある人なら、そんなのがウソなのはわかる。だいたい、そんな長期のことのほうが確実にわかるなら、短期金利より長期金利のほうが高いわけないじゃん。

さらに実は、これまで気候変動や温暖化の話で出てくる、世界が水没するだの全生物が絶滅するだの、巨大台風だの熱帯病で人類死滅だの食料危機だのというおっかない恫喝シナリオのほとんどは、気候予測シナリオの中でも最も極端なものに基づいている。でもここしばらくの実際の温暖化推移を見ると、そうした極端なシナリオの可能性はほぼないも同然だとわかり、最新のIPCC報告書でもそれは明記されている。

そもそも、台風も洪水も、その他温暖化のせいで悪化されているかのようにマスコミで喧伝されるほとんどの現象は、ここ半世紀ほどでまったく増えてはいない。山火事が最近になって微増したのは、森林管理の予算を削られたことが大きい。こうした事実をきちんと伝え、そして各種の温暖化をめぐる「科学的」物言いについても、徹底した突っ込みをもっと公式に行うことで厳しい検証をすべきではないか、とクーニンは論じる。

この本を書いたことでクーニンは完全にエコ勢の敵認定されてしまい、変な重箱の隅突きや陰謀論で彼を攻撃する話がやたらに見られる。でも彼の経歴も知見も本当に立派なものだ。気候科学、温暖化の各種モデル、その見方や注意点すべてについて深い識見を持つし、それだからこそ彼は、オバマ政権でエネルギー省科学担当次官になった。科学は事実をもとにすべきだし、また厳しい検証を行うべきだ。「コンセンサス」とやらに同意しない学者を弾圧し、キャンセルしまくったら、そりゃコンセンサスは揃うけれど、でもそんなものに何の価値もない、と著者は、実質的に自分のキャリアをかけて本書で訴えている。

この本の結論を信じるかはもちろん読者の考え方次第だ。でも、序盤あたりにある、そもそも気候モデルがどんなものか、そこにどんな不確実性がこめられているのか、そしていまの科学の限界がどこらへんにあるのか、という話は一読しておいて損はない。それを知らずに、誇張された脅しばかりで右往左往しても、百害あって一利なしだ。

ちなみに、先ほど紹介した対談本の杉山大志が、本書の解説を書いている。杉山はIPCCの委員も務め、この問題については権威の一人だ。最近、彼も『脱炭素は嘘だらけ』産経新聞出版)で、ほぼ類似の主張をしている。こちらはレジ袋有料化 (いやあ、あれが義務化ではなく単なる「強い推奨」だったという最近の報道にはびっくりした) も含めたもっと日本特有のトピックに即したもので、一般読者にはこちらのほうがとっつきやすいかもしれない。

でも温暖化危機論者はいまだに、温暖化で地球滅亡の恫喝シナリオから離れるつもりはないらしい。温暖化危機論者として名高いアメリカのジョン・ケリー上院議員は、ウクライナ侵攻の報を受けて開口一番、「ウクライナで、長期的な気候変動の危機が忘れられるのが心配だ」「ウクライナ侵攻が気候変動に与える影響が心配だ」と言い放った。いや、そんな水準のちがう話をいっしょくたにされましても。ケリー個人の問題かもしれないとはいいえ、明らかに物事の優先順位づけがバグっているのがわかる。

今後、ロシアやプーチンの処遇も含め、世界は非常に面倒な仕組みの見直しを迫られることになるけれど、その中でこうした地球温暖化や環境問題も、見直しを余儀なくされる。そのときに、このクーニンなどの本の、結論とまでは言わないけれど、基本的な議論のベースくらいは共有できるようにしておきたいもの。それって実は、もう20年も前からロンボルグやリドレーなどが主張してきたのとまったく同じ話ではあるのだけれど……。