Cakes連載『新・山形月報!』

経済、文学、コンピュータなどの多方面で八面六臂の活躍をする山形浩生さん。その山形さんが月に一度、読んだ本、気になる現象について読者にお届けする密度の濃いレポートです。

エレクトロニクス・やる気・ロシアコスミズム

2021年12月22日 
 
年内最後の「新・山形月報!」。取り上げるのは、『ギャル電とつくる! バイブステンアゲサイバーパンク光り物電子工作』、藤原麻里菜『無駄なマシーンを発明しよう!』『無駄なことを続けるために』、ルスタム・カーツ『ソヴィエト・ファンタスチカの歴史』などを解説。2022年のやる気にもつながる内容です!
 
 

前回、技術っぽい本をいくつか紹介したので、今回はもう少し別の方面を……と思っていたところに、ある意味で似たような方面を攻める本が2冊続けて出ましたので、触れないわけにはいかない。

一つが『ギャル電とつくる! バイブステンアゲ サイバーパンク光り物電子工作』オーム社)。え、オーム社だったの??!! これは、もう表紙見たまんまで、派手なおねーさん2人(電子工作ギャルユニットを名乗っている)が電子工作をイロハから教えてくれるという本。もう、本当にLEDってどんなものかや配線図ってなあに、というレベルから始まって、部品を買うお店の紹介、ハンダ付けのやりかた、作ってみたあとのトラブル解決方法、さらにとりあえず光らせる段階から、マイクロコントローラーを入れてセンサーで周囲に反応しつつ光るアクセサリーづくりまで、素人のつまずきそうなポイントをきっちり押さえつつ、ていねいに教えてくれる。


ギャル電とつくる! バイブステンアゲサイバーパンク光り物電子工作

そして、入門エレクトロニクス解説書がハマりがちな落とし穴からもうまく逃れている。類書でときどきつらいのが、製作例として出ているモノがしばしば、別につくりたいと思えないというか、この回路を無理に使わないといけないのでこんなでもやってみますか、となっていること。雨だれ音発生器とかさ。それだと小学校でやらされる計算問題と同じく、「なんでこんなことしなきゃいけないのか?」と嫌々手を動かす感じになりかねない。まして、計算問題とちがって電子工作は部品代もかかるしね。

でも、本書は「とにかく光って派手なものつくるぜ!」という目的意識がとても明解。「これを作りたいがために、手を動かしているんだな!」とわかりやすく実感できる。技術なんてしょせん、何かを実現するためのものだ。本書はその目的意識が貫徹していてすばらしい。さらに実用重視なので、外で壊れたときのトラブルシューティングまでカバー。最後は光らせ方をコントロールする、Arduino向けのプログラミングにまで踏み込んでいて、至れり尽くせり。

さらに電子工作初心者への配慮にとどまらず、本文中に乱舞するギャル用語に困惑するジジババ向けに、用語解説では「バイブス」「激おこぷんぷん丸」「秒で」などの難解な概念もしっかり説明されているので、とても勉強になりますです。ちなみに「オタクに優しいギャル」は都市伝説だそうで、みなさん変な期待は禁物。あと、パンサーモダンズ、出てきたかなあ…… というわけで、かゆいところに手が届く、とても親切な1冊。見ているだけで楽しいので是非!

そして同時期に出たもう一つのすごい本が、藤原麻里菜(著)、登尾徳誠(監修)『無駄なマシーンを発明しよう! 独創性を育むはじめてのエンジニアリング』技術評論社)。さっきのギャル電本で、何をつくりたいかという目的意識が明確でないと、いまいち製作意欲が出ないことを書いた。この本に紹介されている作品は「無駄なものをつくる」という目的意識がきわめて明確で、まず素敵。それがもう一つの製作意欲の敵である「こんなもの、つくっても仕方ないのでは」「こんな思いつきのやっつけでいいのか/もっときちんとやるべきでは」を撃退してくれるのがさらに嬉しい。


無駄なマシーンを発明しよう! ~独創性を育むはじめてのエンジニアリング

たぶん、ギャル電本の場合、そこに書かれたものをそのまま作ってみようかな〜、という読者はそこそこいるんじゃないかとは思う。これに対して、『無駄なマシーンを発明しよう』では、載っているものをそのままつくろうとする人は、そんなにいないはず。それぞれは、ほとんどその場の思いつきが発想のもとで、本書はそれを形にするプロセスを細かく説明してくれるけれど、その作り方も(おそらくはかなり意図的に)ゆるくてあまり洗練されていないものになっている。でも、まさにそれが個々の作品に言わば瞬間芸めいた即席感を与えるものになって、おもしろさを生み出している。瞬間芸をコピーしても、あまり意味はないよね。 そして、そのアイデアから作品までのプロセスの、洗練されなさ加減はすべて、「ああ、こんなものでもつくっていいんだ」「こんないい加減でもかまわないんだ」という勇気を与えてくれる。

同時に、そのいい加減に見える作り方でもちゃんとノウハウがあるのだ、ということも教えてくれる。100円ショップのちょっとした商品の分解で「へえ、こんな単純な仕組みでここまでできるのか」と学び、電子部品の使われ方を理解して、それをいじって自分の用途に改変するという、エンジニアリングのお作法の基本まで教えてもらえるというすごさ。

これに感心して、同じ藤原が少し前に出した『無駄なことを続けるために ほどほどに暮らせる稼ぎ方』ヨシモトブックス)も読んだんだけれど、こちらもすばらしかった。 ときどき彼女の作品を目にするだけだと、適当に思いつきで、のほほんとくだらない(褒め言葉です)ものをつくってウケを取っているだけ、という印象を抱くのだけれど、本書を読むとまったくそんなお気楽なものではないことがわかる。彼女は、セルフプロデュースの手段としてこのニッチを自ら見つけ出し、それを売り込むための手法をあれこれ実践し、情報発信のノウハウを確立し、そしてその世界での自分の信頼性を構築してある程度の商業性を獲得するための方法論まで編み出す。ちゃんとPDSCサイクル(あれ、PDCSだったっけな?どうでもいいけど)まわせってことだよねー。いやはや、そこらのビジネス書よりずっと勉強になります。

これらの本を読むと、必ずやる気が出てくると思うんだ。何か作ろう。何か手を動かそう。見て、わかった気分になっているのではなく、実際につくるなりして、その結果を自分なりに咀嚼してみよう。卑近な話で恐縮だけれど、これらの本を読んだ次の週あたりから、ぼくもずっと先送りにしていた、家の照明器具のLED化や陥没していたコンセントの修理、鍵の交換に一気に取りかかった。たぶん自分も何かやらないといけないと心に感じたせいだと思う。どれも、読むと何かしら背中を押してくれるはず。どっちの方向に押されるかは、それはもうあなた次第。寒くなったし、コロナおこもりもあって、いろいろおっくうになっているあなた! あまり好きな表現ではないけれど、これらの本を読んで、本当の意味で元気をもらってください。

さて、ここでやめてもいいんだが、元気をもらった勢いで、他にたまっていた本も読み始めてしまったので、勢いでもう1冊。ルスタム・カーツ『ソヴィエト・ファンタスチカの歴史』(共和国)。これは……とにかく変な本。ソ連SF史の概説書かと思ってしばらく前に買って寝かせてあったんだが、配線施工で壁に穴を開けるために本棚を整理していたら出てきた。


ソヴィエト・ファンタスチカの歴史

読み始めたら、おおおお、なんと驚愕の事実が! 実はレーニンはSFマニアで、スターリンも実はSFに触発されていた! すげえ。そしてそれにとどまらず、ソ連の歴史はSFとそのファンダムの勢力争いでプラハ侵攻も……といったあたりで、ちょっと待てよ、と気がついてくる。あ、気にする人はこの先、ネタバレがあるから数段落飛ばしておくれ。

—以下、6段落分ネタバレ

いやこれ、もちろん完全なヨタなのだ。ソ連のSF史を語るという体裁を取りつつ、歴代のソ連指導者たちが無知な人民を社会建設に狩り出す手段としてSFに注目しており、それ以上にレーニン以来、ソ連指導部がずっとSFマニアだらけで、特に月を中心とした宇宙開発にものすごく入れ込んでいて、そのため宇宙開発の進展が今度はSF経由でソ連東欧の政治状況を左右したのだ、というまるっきりのデタラメ……というよりむしろ、歴史書ではなくパラレル宇宙ものの完全なフィクション。

しかもSFがソ連の政治社会に与えた影響についてデタラメをしたり顔で語りつつも、実はそっちは半ば単なる刺身のツマというか狂言まわしでしかない。著者は同じくらいの熱意をこめて、何やらその連中が影響を受けていたと称する、へんちくりんなSF小説のあらすじや図版を嬉々としてでっちあげ、その作者の生涯と思想を分析してみせる。

その多くがインチキなのは、たとえば109ページの「V・クーリツィン近影」と称する写真を見るとよくわかると思う (下図参照)。あんたの時代はよかったねえ。1920年代に活躍した彼のペンネームの一つは、ロラン・バルトだったそうで。あるいは171ページの「S・ポターポフ近影」とか。黒のトリプティクとか好きです。215ページの「V・シチェルバコフ近影」とか、明日に向かって撃ちたくなりますよね。そうそう、1980年初頭に革命的な影響を与え、英訳もあるとされる『ルナリウム』なるアンソロジーを、Amazonで探してみるとおもしろいかもよ。

V. クーリツィンさんだそうです。
『東京ジョー』の登場人物にそっくり。

さらにオーウェルが『動物農場』を書くときにそのインチキ小説を参照したとか (してねーよ)、ポツダム会議は実は月面分割をめぐる会議だったとか (ないない)、ソルジェニーツィン『イワン・デニーソヴィッチの一日』で描かれていたのが宇宙基地建設の様子だったとか(そんなわけねーだろ)、そのインチキな小説が後に『ロボコップ』に影響を与えたとか (ねーよ)、ソ連ニューウェイブ派の拠点が雑誌『新世界』=ニューワールズだったとか(イッヒッヒ)。そして本書の作者がそれらに加えるつっこみも、文学屋さんのSF評論にありがちな、ピントはずれなすっとぼけたものに(まちがいなく計算ずくで)なっている。

という具合に、これは架空の歴史に架空の影響を与えたはずの、架空の小説と架空の作家たちをめぐる架空の分析の本という、超絶とんでもない本。それをごまかすために前文では「いやー、ストルガツキー兄弟 (引用者注:ソ連SFの大物です) の検閲についての章も入れたかったけど余裕がなくてさあ」なんて弁明をしゃあしゃあと述べるなど、実に芸が細かい。おそらく巻末の参考文献一覧とかも、ロシア語が読めるといろいろ細工があるんだろうなあ。

さらに念の入ったことに、このルスタム・カーツなる著者すらでっちあげで、本当の作者はその版元だか編者だかと称する人物、らしい。うっひゃー。 偽書架空戦記、完全な妄想の構築する変な世界の好きな人は是非。もちろん、社会主義の歴史、ソ連の歴史について予備知識がないと、本書が現実世界との間で起こしている変なよじれは感じ取りにくいけれど、それでもどこかで、これは何かおかしいぞ、というのは感じられるはず。

—ここまでネタバレ

ネタバレ嫌いの人はそろそろ戻ってきていいよ。さてその一方で、本書をばかばかしいと一蹴できずにどんどん読んでしまうのは、ソ連が本当にロシアコスミズム(宇宙主義)と言われる、異様な思想の影響下にあったという厳然たる事実があるから。これは伊藤計画&円城塔『屍者の帝国』河出文庫)でしきりに援用されていたフョードロフなどにつながる思想で、ここでは紹介しきれないんだけれど、たとえばロシアのレーニン廟が正方形なのは、その思想で正方形が不死と死者の復活をもたらす図形だと信じられていたからだ。その狂気の一端はセミョノーヴァほか『ロシアの宇宙精神』せりか書房)を読めばわかるけれど、面倒な人は以前ちょっと紹介を書いたので、こちらをご覧あれ。

こんな思想が幅をきかせていたなら、SFが政治に影響を与えることだって十分ありそうだ。架空とはいっても、どこまでがそれなりの根拠ある話なのか? どこからがまったくの妄想なのか? 掘り下げるといくらでも遊べる、楽しい本なので、そういう趣味をお持ちの方は是非!

しかしながら、そもそもなんでこんなマニアックな本が書かれたわけ? 本当に一部の人しか手に取らず、しかもその中でかなり変な嗜好の持ち主にしかアピールしない本なのに。そしてさらに、なんだってそんなキテレツな本が (どう考えても売れるとは思えないんだよね) 翻訳出版されることになったの?……というあたりでふと、実はこの本、翻訳なんかではぜんぜんないのでは、という疑問がわきおこってくる。イザヤ・ベンダサン日本人とユダヤ人』みたいに、翻訳のふりをして訳者が完全に捏造した本なのでは? いや、それを言うならこの訳者も実在するのか?

……そう思ってググると、訳者の梅村博昭は実在するみたいだなあ。あと、この『ソヴィエト・ファンタスチカの歴史』について論文書いたりしているようだし、するとこの本も実在するってこと、なのかなあ。いや、でも怪しいなあ。 解説で、ウエルズ『影の中のロシア』(みすず書房) に月面プロレタリアートについてのレーニン発言があるか確認できていないとか言うけど、ねーよ、そんな下り。検索一発で確認くらいできるでしょー。明らかにこの人、知ってて読者を煙に巻こうとしてるし。

が、インチキにせよ本物にせよ、こんな聞いたこともない書き手による、ニッチというか得体のしれない本を、わざわざ刊行してくれた、この共和国という出版社にも感謝。しかもこの本、このカバーの切り抜きとか、えらく凝った造本なんだよ。こんなコストかけて大丈夫か。しかも、本書の版元って前に取り上げたカルラ・スアレス『ハバナ零年』を出していたところか。ちょっとびっくり。

今回はこんなところ。実は1月ほぼ丸ごと、再びキューバに出かけることになっていて、それもあってキューバの独裁者をめぐる本をたくさん読んでいるのだ。それについては、ブログでもいろいろ書いている けれど、年が明けたら、そのまとめくらい紹介しておこうか。さらにそのつながりでキューバの小説もまとめて読んでいるので、そんな話もできればいいのだけれど。では次回。