2022年5月26日
さて、実質的に前回の続きとなる。前回は実は、今回のやつの前振りみたいな感じで書き始めたら長くなってしまったのだ。
結局のところ、いまのウクライナ侵攻はプーチンの胸先三寸で、終わりもプーチン次第ということらしい。すると、どうしてもプーチンの頭の中についてもっと知りたいのが人情だ。何を考えてこんな勝ち目のない攻撃を……と今になって思うのは後知恵で、当時は3日ほどでウクライナが潰れるとかなりの人が思っていた。それでも、ストレートな軍事侵攻などという思い切った手に出ること自体、多くの人には予想外だった。彼はどういう計算のもとで動いたんだろうか? 前回話題にした、ロシアで何やら幅を利かせているネトウヨめいた愛国大ロシア思想も、最終的にプーチンがそれを本気で信じているのかによって、どこまで真面目に考察すべきなのかも変わってきてしまう。
ということで、がんばっていろいろプーチンの伝記に類するものを読み始めたんだけれど……でも多くは似たり寄ったりだった。もちろん、この数ヶ月で雨後のタケノコのように湧いてきた「プーチン」を題名に冠する各種のお手軽本は言うに及ばず。
なぜか? 結局のところは一次資料が全然ないから、ということに尽きる。生い立ちに関しては、当人自身のいくつかのインタビューと、せいぜい当時の学校の先生や同級生、コーチたちのインタビュー。KGBに入ってからの話も同様で、公式記録はないも同然。公職についてからも、だいたい裏方で動いてきたのであまり記録がない状況。当時の関係者は、いないかプーチンのお仲間になってしまっているかで、これまたストレートに話が聞けるわけではない。
そして、もちろん大統領になってからは、実際の行動、各種演説や談話などを見るしかない。が、当然そうしたものは全部、公式発表ばかりで、すべて計算や歪曲や隠蔽がてんこ盛りだ。だれも知らない裏事情などはなかなか出てこない。つまり、どの本を読むにしても基本的な材料は同じだ。あとはその材料をどこまで真に受け、どこまで裏取りするか、あるいはそれを変な形に演出過多に盛り上げるのかという話になる。
だから、まずは基本的な資料を読むのがいちばんいい。その点ではプーチン&ゲヴォルキアン『プーチン、自らを語る』『プーチン、自らを語る』(扶桑社) が他の追随を許さない。この連載では絶版の古い本はなるべく採りあげないように言われているけれど、これは仕方ない。世にあるプーチンの伝記的な本のほぼすべては、これが元ネタになっている。
本書は、基本的にプーチンがいきなりエリツィンの後継者として首相/大統領になったときに、「こいつは誰だ?」という世界的な疑問に答える形で発表された連続インタビューだ。幼少期、KGBに入る経緯、ドレスデン配属になってベルリンの壁崩壊に直面し、その後サンクトペテルブルクの副市長となり、それからエリツィンに取りたてられる経緯、そして大統領として直面している各種課題への考え方。
もちろん、公式インタビューなので計算ずくのウソもあるけれど、大統領になりたてで、悪いことは(まだそんなに) やっていない。このため、隠す必要もあまりなく、かなり率直にいろいろ語っている。ジャーナリストの扱いなどでインタビュアーと対立するやりとりなど、いまではあまり考えられない光景だろう。チェチェンの分離独立派の「便所まで追い詰めてぶち殺す」といった生々しい発言も見もの。コンパクトだし、細かい話に入り込まないので (まだ何もしていないから) わかりやすいうえ、妻や娘にも話をきいて人間像も出そうとしているので、読み物としてもおもしろい。
英訳をもとにしているので、特に日本のロシア研究者などはそれをネチネチ論難したりするけれど、英語版はロシア語で削除された質問も入っていてむしろ内容的に充実しているとのこと。扶桑社さんは、すぐにこれを再刊してほしいんだよねー。
ただし、これは現状で手に入れるのもむずかしい。もう少し入手しやすくて、お奨めしたいのは、現状でバランスがよく取れているヒル&ガディ『プーチンの世界 「皇帝」になった工作員』 (新潮社)。伝記的な事実やその後の行動をもとに、プーチンの持つ様々な側面を描き出す。この本では「国家主義者」「歴史家」「サバイバリスト」「アウトサイダー」「自由経済主義者」「工作員」という側面に注目して、そうした側面が伝記的なエピソードでどう裏付けられるか、そしてそれが国内政治、軍事、国際関係、経済運営、メディア等々の、ロシアの重要な課題においてどのように影響するのかを、ほぼ時系列に沿って詳細に分析してみせる。
ぼくたちがプーチンに興味があるというのは、結局はその側面がどのように政治や軍事、経済の運営に影響するか、というのを気にしているわけなので、この本での整理は非常にありがたい。著者たちは、多くの研究者やウォッチャーがプーチンにたびたび驚かされてきた、というのを出発点にしている。だからこれでプーチンを読み切れた、とは思っていない。その多面性は理解しなければ、という謙虚な立場からの記述になっている。「これぞプーチンの実像!」みたいな書かれ方になっていないので、せっかちな人は苛立つかもしれないけれど、それぞれの部分はきちんと考察されて説得力がある。
中でもクリミア併合を正当化するために繰り広げたプロパガンダがそのまま残り、その後の拡張主義への火種を残しているという分析などは、いまのウクライナ侵略を考えると慧眼。とはいえ、その彼らですら、プーチンが経済を犠牲にしてまで暴挙に出るとは思っていなかったようだが……でも開始時点では、経済は犠牲になるまい、戦況は即決して西側の足並みも絶対そろわないという見方が強かったから、それも仕方のないことではある。
ちなみにプーチンやロシアについての文献で、日本以外ではあまり顧みられないことも多い北方領土についても、この本ではきちんと言及がある。ロシアにとっては、中国メインだが保険をかける意味で、その他ワン・オブ・ゼムとしていい顔をしておく、とだけの話らしいね。
ところが、監修と解説の畔蒜泰介は本書の記述を無視して、プーチンは言ったことは守ると書いてあるぞ、だからプーチンは平和条約して北方領土返すぜ、とトンチンカンなことを書いている。うーん。その言ったこと、というのは外交的な口約束の話ではなく (そんなのウソも空約束も山ほどある)、ロシアの大きな方向性についての発言のことだし、その「守る」やり方も結構エグイ、というのが本書の教えで、そんな慢心した読み方を容認する書き方にはなっていないと思うんだが。
こうした態度って、本当に日本のロシア研究者や関係者の典型的な病状ではある。これを書くにあたり日本のロシアの専門家と称する人たちが書いたものもある程度は目をとおしている。でも前回紹介した小泉悠など一部を除くと、ほとんど見る価値がない。この北方領土をエサに、プーチンに完全に手玉に取られてしまっているからだ。
とにかく日本の対露外交は、北方領土返還だけが課題になっている。だからそれに少しでもつながりそうな話をひたすら拾ってくるのだけが外交課題だ。プーチンが平和条約を結ぼうと言い、「柔道はヒキワケ精神が重要だ」と言ったことで、これは北方領土も二島返還を意図しているはず、という結論に勝手にとびつき、そこから一歩も出てこない。
その後はプーチンの一言半句を「これは北方領土返還の兆しか」と曲解するばかり。ロシアがヨーロッパ方面やアメリカとの関係で何かあれば、「この動きはアジア重視につながるから日本との関係を強化したがるはず」。ロシアが中国と手を組めば「アジア重視だ、日本との関係も強化してくれる」、そして中国と揉めれば「中国対抗で日本重視が進む」。何をやっても日本のチャンス。あとはそうしたプーチン様のご機嫌を損ねないよう、ひたすら忖度する——それが政府や外務省の基本的なスタンスになっていて、それをロシア専門家と称する人たちが追認する、というかそれを追認する人々だけが、「専門家」として重用されるような仕組みがあるようにすら思える。
だから日本の論者のほとんどは、プーチンの国際的な立ち回りがヤバいかも、という話は絶対にしない。クリミア併合を含めて何をしようとも、うやむやにしつつNATO拡大が悪い、アメリカがプーチン様に配慮しないのが悪い、という話だけ。特にプーチンの軍事的な展開については極力ふれてはいけないし、特に北方領土周辺ではそれについて言及すら御法度だ。
これについては前回紹介した小泉悠『現代ロシアの軍事戦略』(ちくま新書) にも出ていて、防衛白書のヒアリングを受けたときにロシアが北方領土で軍事演習をたくさんやっているのを指摘しても、防衛省は頑として認めず、二度とヒアリングにもこなかったとのこと (pp.239−240)。ウクライナ侵略で「ロシアの言い分もきけ」「一方的なロシア批判はいかがなものか」と言っているのは、この系列の人たちと思っていいらしい。この人たちの立場は、クリミア併合でプーチンの軍事的な野心もおさまり、いまやプーチンは安定と繁栄を目指しつつ後継選びに腐心し、というのが定説だった模様。
ここらへんの内外のろくでもないプーチン関連本 (いや、日本だけじゃないんだけど) については、読む端から怒りにまかせてレビューをブログにあげているので、興味のある方はご覧あれ 。いまもどんどん追加中。そこで紹介しているほとんどの本は読む価値はないものだけれど、そのダメさ加減や方向性から見えてくるものもあるので、そういうダメさのあり方を理解しておくのは決して無駄ではないとは思う。
特に腹の立つ、ろくでもない本でありながらも、決して無視してはいけないな、と思ったのがアレクサンドル・カザコフ『ウラジーミル・プーチンの大戦略』(東京堂出版)だ。本書はプーチンの伝記ではない。プーチン配下の親ロシアのイデオローグの論文集であり、ロシアすごいぜ、ロシアえらいぜ、アメリカや西洋なんかもうダメでオレたちの時代がくるぜ、という、主張としてはしょうもない大言壮語ではある。が、それらを (我慢して) 読むことで、前回紹介したご大層な大ロシア思想だの、前世紀初頭の三流ロシア愛国デマゴーグ思想だのが、どのように実際のプーチンロシアの政策につながっているのか、というのが非常によくわかるのだ。
今読むと、非常に胸くそが悪くなる本ではある。そこで展開される理屈は、ひたすら我田引水、ロシアの自画自賛、西側への侮蔑、東洋思想だのイリイン思想だのをふりかざす衒学趣味だ。それがロシアの拡大主義を正当化し、クリミア併合も当然のこととされる。また他国のナショナリズム批判の論文もあり、ナショナリズム=孤立主義=排外主義=ナチズムというすごく強引な理屈が展開されるけれど (今回のウクライナ侵略で「ネオナチが〜」としつこく言われている文脈がよくわかる)、そこで言いたいのはつまり、おまえらロシアの支配を受け入れろ、という話。そしてまさにこの著者は、ドンバスで現地の親ロシア工作をやっていた、ロシア拡張主義の実働部隊だ。
そうした野心や拡張主義正当化のために、前回紹介した変な大ロシア思想やイリインの思想が持ち出される。そこでの描かれ方を見ると、明らかにプーチン自身にそんな変な思想があったわけではない。だから同じく前回触れたティモシー・スナイダー『自由なき世界』(慶應義塾大学出版会)が描くような、思想がまずあってプーチンがそれを実現しようとしたのだ、といった捉え方はやっぱ倒錯なんだね。
プーチンは当初から、国としてある程度の規模を維持しないとロシアの国力や影響力は維持できない、とは感じていたようだ。これは『プーチン、自らを語る』でも明言されている。そして旧ソ連復活はさておき、それが小泉悠も紹介していた、ロシアの重視する「勢力圏」なるものの漠然とした構想につながった。それを正当化するためにソ連時代の広がりや、それ以前のロシア帝国の話をこじつけで持ち出し、それをこのカザコフのような取り巻きたちが肉付けして「理論化」していった、というのが実情らしい。それがプーチンに気に入られ、著者も彼の「大戦略」なるものの構想に採り入れられて次第に図太くなっていく様子も、本書に収録された10年強の論文の書きぶり変化から感じられる。そして最後には仮定法のふりをして、ロシアがいずれウクライナを小刻みに完全吸収併合するつもりだというのさえ公言されている。ある意味で恐ろしい本ですらある。
この本の解説を書いているのは、佐藤優だけれど、そういう恐ろしさについてまるで指摘しない。佐藤は著者とマブダチとのことだが、日本のロシア関係者 (特に外務省系) の典型として、本書に書かれた内容とクリミア併合との関わり、軍事的な野心、「ロシアの『帝国』は共存共栄のよい帝国」といった主張のヤバさには一切触れない。西だけじゃないぞ、東にも勢力を広げるぜ、という本書の宣言を見て、ほらこれは日本重視だから北方領土返還のチャンスだー、と煽ってみせる。クリミアの様子を見て、ヘタに勢力広げられたら日本も侵略されたりしないのか、という方には一切頭が動かない。北方領土というエサをちらつかせられただけで、それ以外のことがまったく考えられなくなった、日本の一部関係者という姿を赤裸々に示すものとはなっている。
もちろん、プーチンに対する興味の高まりは日本に限った話ではない。実はこの点で、ぼくはちょっとみなさんよりも優位性がある。出版直前の、決定版と言っていいプーチン伝をすでに読んでいるから。著者は『毛沢東』(上・下)や『ポル・ポト』(ともに白水社)など、この手の独裁者の伝記で有名なフィリップ・ショート。彼が、プーチン伝を書いているという話は前から聞いていた。そして8年にわたる調査の末にそれがついに完成し、800ページ超のプーチン伝の最終ドラフトが手元にきたのが……なんと今年2月の冒頭。いやあ、タイミングがいいというべきか悪いというべきか。営業的には、これほどプーチンへの関心が高まっている時期はないわけではある。が、結論をどうしましょうか。存命中の人物の伝記を書くときの定番として「これからXXはどこへ向かうのか。最終章はまだ書かれていない」なんていう、カッコつけた終わらせ方があるけれど、いやはや書かれていないどころじゃない。こんな血塗られた花道をプーチン自らが用意するとは。
もちろんウクライナ侵攻を受けて、すぐにショートは最終章を大幅加筆。今後の展開次第ではさらに加筆も、しないわけにはいかないよねえ。で、不肖ワタクシめが翻訳することになり、早速取りかかってはいますが、どこまで急ぐべきかは本当に迷うところ。どう考えても翻訳に半年はかかるし、訳し終わる頃までには戦況もプーチンの未来も見えてくるはず……と思いたいところ。原著はすでに入稿済でPutin: His Life and Times と題し、6月末刊行予定だが、どうなりますやら。
世界的にも、みんな考えることは同じだ。みんなプーチンの本性を知りたがっていて、先日でかけたオランダでも、書店のウィンドウの半分くらいは新旧のプーチン関連本だった。イギリスの『エコノミスト』でも、プーチンとロシアを理解するため、と称していろいろ本が紹介されていたのだけれど……その記事で一番の大プッシュを受けていたのは、なんとウラジーミル・ソローキン『親衛隊士の日』(河出書房新社)。えええっ???
ソローキンといえば、もうエログロに言語実験的なイカレた作品ばかり次々に出しているすごい作家。この本は、ロシアの独裁者直属の親衛隊が、国民を弾圧しつつ我が物顔にふるまって汚職恫喝酒食乱交にふける様子を描いた小説。記事では、これこそがプーチン配下のロシアの精神的な雰囲気を最も見事に予想している、と主張されていた。うーん。いやあ、そういう面もあるが、ベストに挙げるのはどうかなあ。
小説だし、同書を読んでも、プーチン支配下のロシアについて何か具体的なことがわかるわけではない。が、小説としてはめっぽう面白い。そしてもちろん、文学作品に政治的な洞察や世界観を求めるような時代はとっくに終わったとはいえ、やはりここには鋭い洞察があることは否定できない。
ちなみに、ソローキンがその後に書いた『テルリア』(河出書房新社)では、ロシアはタリバンの襲撃によっていつのまにか消え去り、ヨーロッパとは「壁」で完全に分断され、モスクワを中心としたロシア正教と共産主義のぐちゃぐちゃ融合物国家をはじめ、天然資源も枯渇して貧困と狂信がはびこる中世的スラム世界の群雄割拠戦国時代になっている。そこで人々は死と隣り合わせのドラッグのようなテルルに走り……。昔読んだときには単なる奇想扱いしていたけれど、いまやそれが現実の可能性として浮上してきてしまっている。案外、そこに描かれたウクライナ侵略後の「ロシア」の方向性は、侮れないものかもしれないよ。
もちろん、だからといってプーチンやロシアの未来を知りたい人に、これを読めとはなかなかお奨めできない。そこに登場するのは、変な言語実験や、アレン・ギンズバーグをはじめとする文学のパロディとエログロ妄想だもの。現代文学に耐性のない人は手を出さないほうがいいとは思う。が、そういうのを楽しめる歪んだ心性の持ち主は、小説としても変で異様でおもしろいので、一読あれ。
さて、このcakesももう後がない、とのこと。このあまりに不定期な連載も、今回で最後……というのも惜しいので、手がまわればこれまで書きかけたけれど原稿にならなかった断片をまとめて羅列したりするかも。では。