Cakes連載『新・山形月報!』

経済、文学、コンピュータなどの多方面で八面六臂の活躍をする山形浩生さん。その山形さんが月に一度、読んだ本、気になる現象について読者にお届けする密度の濃いレポートです。

ムハンマド伝・監獄実験・時間術

お久しぶりの「新・山形月報!」は、『預言者ムハンマド伝』岩波書店、1~4)、フィリップ・ジンバルドー『ルシファー・エフェクト』(海と月社)と『迷いの晴れる時間術』ポプラ社)を中心とした書評です。ごっつい大著を山形さんはどう読んだのでしょうか?



ご無沙汰です。ここ数ヵ月、仕事が異様に忙しかったのと(あれこれ締め切りが重なったところへ、細切れの短期の出張がいっぱいあるという、最悪のパターン)、あと読む本が義務的な消化とはずればっかりだったので、書くネタに事欠いておりました。が、まあそれでいつまでも書かないのもどうかと思うし、イマイチだった本も含めてお蔵出ししておきましょうか。

中でも池内恵にだまされて(というのはアレだが)読んだ、『預言者ムハンマド伝』岩波書店、1~4)。イスラム圏では常識以前の代物だけど、日本でイスラムについて聞いた風な口をきく人の多くは、この程度の基礎文献すら読んでいないという池内の批判は至極もっともだとは思ったし、その意味では読んでよかった。が、決しておもしろいものではない。

預言者ムハンマド伝(1) (イスラーム原典叢書)

預言者ムハンマド伝(岩波書店)

ムハンマドが生まれる以前の話で、第1巻の半分くらいが使われ、生まれてから啓示を受けるまでもいろいろな徴を示して、その後啓示を受けて布教をはじめる んだけど総スカンを食らい、さらには自分の一族の伝統的な信仰を公然とけなしてまわり、一族内の穏健派が「そっちの信仰はまあ勝手だけど、他の人の信仰にケチつけてもめごと起こすのはやめようぜ」と諭しても聞く耳持たず、迫害されまくる。そして最初のうちは、言葉だけで布教して批判や迫害は無視しろという お告げに従っているんだけれど、ある時点で神様が暴力行使を正当化してくれて、その後はもうひたすら他界するまで戦いの日々。

そして読み物としては、異教徒にとってはむろんつまらないこと限りない。基本、預言者はこんなにすごい徴を持っていました、その教えを聞いて誰某はこのようにして改宗しました、別の誰某は、預言者をこのように虐げたら天罰があたりました、という話がひたすら続く。そして、文書としての主な関心は預言者自身の教えや言行より、だれが(そしてどの部族が)最初から信徒だったか、というイスラム教団内での序列構築のほうにある感じ。だから、イベントごとに延々と 参加者名簿が続く。

ちなみにイスラムの世界では、何かの事実性というのは客観的な証拠や裏付け、という形で担保されるよりは、「その事件を実際に見たというA氏の話をB氏が きいてその人に会ったCさんがそれを聞きそれをさらに聞いたDさんが書き留めた」みたいな伝聞の連鎖があるかどうかでかなり決まるらしい。なもんで、だれがその場にいたかという記録はその意味でも重要ではある。が、その理屈は正直いってぼくたち異教徒どもにはさっぱり説得力がない。昔ここで紹介したテンプル騎士団の本でも、エルサレムに関するイスラム側の主張が一応紹介されているんだが「この話って、他の記録ではまったく裏付けがないし物証もないしその後の研究成果ともまるで一貫性がないし、でも連中はそれがまちがいないと主張するし、困ったもんだ」という苦言が述べられている(その主張の内容はまったく知る必要なし)。その途中の人の記憶ちがいとかウソとかないのかなー、と思うんだけど、そういうのは考えない。このムハンマド伝でも、話のバージョンがいくつかあると両論併記で「どっちが正しいかは神のみぞ知る」で終わってしまう。

当然、「おもしろいからぜひ読もう!」とは言えない。そもそも、図書館にもまずないし古本でもあまり出回っていないから、気軽に手に取れないのは残念。でも、これくらいでも読んでおくだけで、イスラム関連教養のレベルは日本でトップ1%には入れるようだし、挑戦者はぜひ!

今回もう一つ紹介しておきたかったのが、フィリップ・ジンバルドー『ルシファー・エフェクト』(海と月社)。これは有名なスタンフォード監獄実験についての本だ。スタンフォード監獄実験って何? うん、これは被験者をランダムに囚人役と看守役に割り 振って模擬刑務所にぶちこみ、それぞれの行動がどう変わるかを実地に調べた、1971年の有名な実験だ。そしてほんの数日で、看守役はすさまじいサディス トと化して囚人役の連中に虐待の限りを尽くすようになり、そのあまりのエスカレートぶりのために中止に追い込まれたといういわくつきのものなのだ。

ルシファー・エフェクト ふつうの人が悪魔に変わるとき

ルシファー・エフェクト(海と月社)

もちろん、これは看守役が異常なサイコパスぞろいだったということではない。環境次第で人はなんでもする、それも無理強いせず自主的にやるようになる、ということを実証した実験として知られる。この本について、ぼくは完全に純粋な読者じゃない。実はこの本の翻訳権をめぐって海と月社以外のある出版社が応札し、翻訳権を取れたら訳してくれという依頼をそこから受けていたのだ。ぼくは、似たようなテーマを扱ったスタンレー・ミルグラム『服従の心理』河出文庫)を訳しているから、このテーマに興味もあった。だから落選したときにはがっかりしたし、出たら翻訳の出来も含めチェックしてやろうといささか意地の悪いことも考えていた。で、今年の夏にそれが出版されたんだけれど…… ぶ、分厚い。なんという長さ。本全体で800ページ、厚さ5センチ! こんなすごい分量だったのか! 落ちてよかった! こんなのやっていたら、トマ・ピケティ『21世紀の資本』みすず書房)の翻訳なんかとても仕上げられなかっただろう。

そして肝心の中身なんだが、うーん。まず800ページのうち、前半300ページ以上はスタンフォード監獄実験そのものの説明。しかも、簡潔な解説じゃない。第1章であれこれ能書きを並べてから、その後はだれがどうして、そのとき囚人役のこいつがこう反抗し、それに対して看守役はこんなことをして、すると囚人は泣き出してしまい、でも看守役はそれをあざ笑って懲罰を命じあーだこーだ。細かい個別のできごとを1日ごとにこと細かに記述する。1日あたり、丸一章使っている。ドキュメンタリーとしてもかなり冗長だと思う。実は、これはもとの映像がYouTube で公開されているし、これをめぐるドキュメンタリー番組もネット上にあるし、さらに『es[エス]』をはじめ、これを脚色した映画もいくつかある。研究者でなければ、そういのを見ればおおむね用は足りるんじゃないか。

そして不満は、やりっ放しだと言うこと。ミルグラムの実験は、学習実験だと称して被験者に、被害者がテストに間違えたときに電撃ショックを与えさせ、被験者の苦悶(実はただの役者の演技)を見せつつどんどん電圧を上げるよう命じる、というものだ。この場合、どういう命令に対して、どのくらいの比率の人が処罰の電撃ショックを何ボルトまで上げたか、などの定量的なデータがまがりなりにも得られている。それを人々の事前予想と対比したり、インタビューでその背景を探ったり、という分析がある。ところがこちらは、やったら看守役が残虐になっちゃいました、というだけ。確かに事象としては衝撃的だけれど、定性的な話で終わってるんじゃないか?

さらに、この実験の仕組み全体に抗議して立ち上がった女性が一人だけいたという話をして、それがいかに英雄的な行為で云々と述べてから、実はその子は当時自分の愛人で……といった話を平気でするにいたっては、ちょっとぼくは研究としての信用度をかなり割り引いて読まざるを得ない。だって、その女性はつまり 実験中の権力構造の中でまったく別の立場にいたってことだから、権威への抵抗事例としてはまったく不適切でしょうに。

そして次の200ページほどは、こうした権威や環境的な要因で人が残酷なことを平気でしてしまうことを示した各種研究の紹介。たとえば、ミルグラムの電撃ショック実験とか、キティ・ジェノヴェーゼ事件とかね。キティ・ジェノヴェーゼ事件というのは、高密な住宅街の真ん中で女性が襲われ殺害されていたのに、助けを求める叫び声に誰も応えず、だれも警察に通報しなかったというもの。

さて……知っている人は知っていると思うんだけれど、このキティ・ジェノヴェーゼ事件、後できちんと追跡調査が行われた結果、どうも捏造くさいことがわかってきた。警察への通報もちゃんと行われていたし、助けようとして飛びだしてきた人だっていた。ところが、本書はそれに触れない。もちろん、この捏造検証が出てきたのは比較的最近で(有名になったのは、レヴィット&ダブナー『超ヤバい経済学』東洋経済新報社〕に掲載されてからだろう)、原著刊行(2007年)時にはまだ定説になっていなかったのかもしれない。でも今日出る訳書なら、注意書きくらいはあってしかるべきじゃないだろうか。

そこからちょっとうかがえるのは、この監獄実験やミルグラム実験によりそうした人々の冷たさ、残酷さを嘆いてみせるような論調が一般受けすることがわかってしまい、その後それに迎合するような代物が作り出されるようになった、ということ。もちろんそれでここに挙がった多くの研究の結果全てを否定できるものではないけれど、そういうバイアスがあることは、たぶん特に本書の読者であれば警戒すべきだと思う。

さらに次の200ページほどは、著者が実態調査や被告の弁護および更生などに深く関与した、イラクアブグレイブ収容所での捕虜虐待の話。この事例をジンバルドーは、拷問をした個別の兵員が悪いのではなく、かれらの置かれた環境や、各種改善提言を実施しなかった連中が悪い、と説明する。うん、そういう部分 はあるだろう。でも、そういう環境があってもあらゆる場所で拷問や虐待が出るわけではない。すべて戦争が悪いんだ、とするのは結局話をうやむやにするだけ ではないのか?さらには、この理屈から著者は、当時の大統領や国防長官こそが主犯格だ、大統領や国防長官を被告席につかせろ(だから現場の兵員たちの責任は限定的だよ)と言い出す。この章は、ジンバルドー自身がこの関係者の裁判で証人となったときの経験がもとなので、法廷戦術としてはそういうのもありだろう。でもそれを、アブグレイブ収容所から得られる知見というべきなのか?だいたい、それを言っちゃったらその大統領さんや国防長官さんだって、当時置かれ ていた環境の中でそういう決断を下すことになってしまった、という理屈になって、結局は全員無責任への無限後退になるだけじゃないの?

そして最後の章が、ぼくたちみんながどうやって、環境の重圧にめげずに善行をするか、という部分。書いてあることはまっとう。ただ、すごく意外なことや目からウロコの提言が書いてあるわけではない。権威を盲信せず、自分の心に耳を傾け、日頃から不正や悪行には手を染めず、といった具合。はい、それはおっしゃる通り。でも800ページ読んで得られる結論がそれだけだと、読者としては徒労感に襲われてしまう。うーん。

ミルグラムの実験に比べて進歩はある。ミルグラムの実験では、被験者は電撃ショックを与えつつ、冷や汗をかいてそれを本当に苦痛に感じていた。嫌々ながら権威に従った、というわけ。でもジンバルドーの実験だと、被験者はちょっと背中を押されただけで、自主的に大喜びで残虐な拷問に精を出す。人間の柔軟性 (悪い意味で)はミルグラム実験に見られたものよりも大きい。その意味では、有意義な実験だろう。

でもそれは一方で、著者の主張、つまりだれでも環境に逆らって正義を行う「英雄」になれるという主張を弱めてしまうんじゃないか。環境次第でここまで人間が変わってしまうなら、それは無理じゃないの? ジンバルドーの実験って最終的には、すべて社会や環境が悪いのであって個人に責任はないという結論にまでつながってしまうんじゃない? ジンバルドー自身はそうじゃないと言っているけれど、ぼくはかれのこの主張にまったく説得力を感じない、というか実験が示唆する結論は正反対なんじゃないかとすら思うのだ。だいたいアブグレイブ監獄の捕虜虐待も、当事者の責任はあまりなくて、アメリカ大統領や国防長官が悪いんでしょ?

(2018.06.13 付記。この実験の録音テープが出てきて、実はそのサディスト的になった看守役は、自主的にそうしたわけではなく、そう行動するよう演技指導されていたことが判明したとのこと。つまりこの実験の示唆とされているものが実はまったくのウソであり、ほとんど捏造とすらいえるものらしい。ここでのぼくの批判をはるかに超えてダメな代物だった可能性が高まってきている)

ちなみに、これを読む前に同じ著者の『迷いの晴れる時間術』ポプラ社)も読んだ。こちらは時間管理術の話、というよりは時間に対する態度についての本。過去にこだわりすぎると身動きとれなくなり、現在ばかりを重視し ていると面倒を先送りにしてしまい、長期的な計画が成り立たない。あまり先のことばかり考えていると今ここでの出来事がおざなりになり、極端な場合はジハード自爆テロリストみたいになってしまう。これらをバランスよく配合するのが重要、というもの。『ルシファー・エフェクト』でも見られた無用な饒舌さが、いささか鼻につく部分はある。が、こちらは言っていることがよくわかる。一読して損はないんじゃないかな。

というわけで、今回は絶賛すべき本がなくて恐縮です。ちょっとこれまでの補填で、もう少し短い間隔で年内にもう一本くらいは書くのでご堪忍を。ではまた。