Cakes連載『新・山形月報!』

経済、文学、コンピュータなどの多方面で八面六臂の活躍をする山形浩生さん。その山形さんが月に一度、読んだ本、気になる現象について読者にお届けする密度の濃いレポートです。

近未来世界・怠け者・印刷職人

「新・山形月報!」、今回はSF小説から労働論まで幅広く論じられています。取り上げられた主な本は、R・A・ラファティ『第四の館』国書刊行会)、チャールズ・ストロス『アッチェレランド』早川書房)ほか、コリイ・ドクトロウ『マジックキングダムで落ちぶれて』(ハヤカワ文庫)、エリック・ブリニョルフソン、アンドリュー・マカフィー『機械との競争』日経BP社)、ポール・ラファルグ『怠ける権利』平凡社ライブラリー)、トム・ルッツ『働かない』青土社)、ニコラ・コンタ『18世紀印刷職人物語』水声社)、川添愛『白と黒のとびら』東京大学出版会)などなど……。そして、他にもスタニスワフ・レムから名探偵コナンまで!?



ご無沙汰です。さて、前回「もっ と小説を増やします」と言ったんだが、なかなか容易なことではない。というのも、小説は全部読まなくてはいけないから。え、小説以外は全部読まないの、と思ったあなた。ある意味その通り。でも、それはいい加減に読むということではない。だが、ノンフィクションや自分の知っている分野の本だと、すでに知っている話というのはどうしても出てくるわけだ。そこは細かく読む必要はない。

経済についての本を読んでいると、たとえば「比較優位とは何か」とか「現在価値とは何か」といった話を説明している部分がある。ぼくはそういうところは飛ばせる。アベノミクスや黒田日銀の金融政策に関する本を読んでいると、背景となる理論的説明は細かく見るまでもない。リーマンショックの話なら、リーマン ショックの時系列的な説明は不要だ。

あとは、そこからどんな話や知見が引き出されているか、それがどう応用されているかがわかればいい。そしてなんだか変なことを言っていたら、そのときはじめて自分の知っている内容がきちんと書かれているかを戻って読めばいいことになる。

小説は通常はそうはいかない。例外はある。完全にパターンの決まったロマンス小説などでは、そういう読み飛ばしもできる。マンガの『名探偵コナン』小学館)を50巻ぶっ通しで読んだことがあるけど、もう後の方はいちいちきちんと読んでいない。「あ、こんな事件でこんなトリックね。で、黒服軍団は進展あった? ない。はい次!」という具合。が、それなりに密度のある小説やマンガではそうはいかない。

特に前回ちょっと最後に触れたR・A・ラファティ『第四の館』国書刊行会)のようなものは、宗教哲学に近いものを、「神様」なんてものを出さずに描こうとしていて、そのためいろいろなシンボリズム—というとむずかしいけれど、要はほのめかし— に頼る。ラファティの短編は、通常はナンセンスギャグ小説みたいに思われているし、本当に笑えるくらいおもしろい。それが長編になるとどうしてこう小難しくなるのか。訳者・柳下毅一郎の解説には大感謝。昔、原書で読んだときには、ここに出てくる秘密組織のような存在がなぜこんなことをしているのか、さっぱりわからなかったんだが、柳下のおかげで実に明確になった。とはいえ、これを普通の人に薦められるかというと……無理だ。が、思わせぶりな小説が好きな方は挑戦してみてはいかが?

第四の館 (未来の文学)

第四の館 (未来の文学)

これに比べればずっと勧めやすいのは、この半月ほどで何冊か読んだのチャールズ・ストロス。今まで(家にはあったのに)なぜか読んでいなかったけれど、グレッグ・イーガンと並んで近未来世界をパワーをもって描き出せる人だと思う。いまのところ、『シンギュラリティ・スカイ』『アイアン・サンライズ』(ともにハヤカワ文庫)を終えて『アッチェレランド』早川書房)を読んでいるが、分厚い中にSF的アイデアをひたすら詰め込み、スパイ冒険物語にロマンスも添え、非常に単純ながら現在の世界のイデオロギー抗争を宇宙規模に拡大して戦わせることで(軽佻浮薄とはいえ)社会性も持たせ、しかもお話としてそれなりに読めるものにしてあるのは立派。

ぼくがストロスを突然読もうと思ったのは、実は経済学者のポール・クルーグマンが新作をほめていたから。クルーグマンはSFファン出身で、宇宙貿易の理論を半分まじめに論文にして経済学の専門誌に発表してしまっているほど。そのかれが、ストロスの新作は宇宙ファイナンスの基礎理論を見事に確立しているというのでこれは楽しみ。むろん新作はまだゲラ段階だというんだけれど、その少し前に書かれた『アッチェレランド』は、いまの経済学とはちがう原理に基づく社会の話で、まだ読んでいる途中だけれど非常に刺戟的。同じようなテーマとしてはコリイ・ドクトロウ『マジックキングダムで落ちぶれて』(ハヤカワ文庫)があるけれど、ストロスのほうが(もちろん)いいなあ。少なくとも考えは深い。

ただドクトロウの本もそうだけれど、未来社会を考えるにあたって不老不死はすでにまちがいなく射程に入ってはくるんだが、そこで非常に安易な考えが出てくる。つまり人間というのは、遺伝子と記憶だけなのよ、という発想。遺伝子情報と記憶のワンセットを保存しておけば、「あっちにバックアップ取ったから、いまここにいる君はもう死んでいいよ」という場面がときどき出てくる。バックアップがあったって、いま生きているこのぼくは死ぬのはいやだと思うんだ。また友人や恋人が死んでも、バックアップから復活させたから今まで通りおつきあいください、ということにはならないと思うんだ。

スタニスワフ・レム『ソラリス』『ソラリスの陽のもとに』国書刊行会/ハヤカワ文庫)は、知性をもった海の存在もさることながら、死んだ妻と同じものが出てきたときにそれを愛せるか、というレムの作品にしては珍しい人間的な苦悩があったために、名作とされている(本当に名作なのよ)。その話をすっとばしてしまうというのは、ぼくはちょっと以外、というかなじめないんだが、これは年寄りになったから、なのかなあ。でも若者も、自分が死ぬのはいやだと思うんだよね。クローンのバックアップがあっても。

まあ基本、小説を読むなんていうのは別に実利あってのことではなく、単純におもしろいから、頭に刺激を受けるから、というだけの余暇の娯楽活動だ。余暇とは仕事をしない時間のことだけれど、やはり仕事をしない状態として、失業とか怠けるとかいう状態がある。余暇はよいものとされるけれど、中身は同じなのに失業はよくないとされるし、怠け者は嫌われる。

こんな話を考えているのはエリック・ブリニョルフソン、アンドリュー・マカフィー『機械との競争』日経BP社)を読んだから。話は簡単で、機械が性能があがってきたのでどんどん人間の職をうばいつつある、というもの。最近のアメリカの不景気や失業はそのせいだ、なんてことが言われているんだが……。

ブリニョルフソンはマサチューセッツ工科大学のえらい教授だ。それだけに、こんな詰めの甘い本を平然と出せたことに、ぼくはびっくりした。いまのアメリカの失業って、どう見てもリーマンショックに伴う景気停滞で大量発生したものだ。機械の性能があがったせいも、多少はあるかもしれないけれど、ほとんどはちがうはず。ところがこの本、景気のせいもあるかも、と冒頭でちょっとふれたきり、あとはずっと機械が人間の職を奪うという脅しばかり。でも、そうなる必要はない。機械の生産性が上がったら、その分人間の余暇が増えたっていいわけだ。それは機械の成果をどのように人々に分けるか、という問題に尽きる。

実はこれを言っていたのが、ある意味でマルクスなんかで、生産手段(つまり機械)を労働者がちゃんと握って生産しようぜ、というマルクス主義の教えはつまり機械の力で得られる価値が労働者にもまわるようにしようぜ、ってことでもある。それを明確に述べたのがポール・ラファルグ『怠ける権利』平凡社ライブラリー)。

怠ける権利 (平凡社ライブラリー0647)

怠ける権利 (平凡社ライブラリー)

ラファルグは実はマルクスの娘婿で、フランスに社会主義を広めるのに尽力した人だ。機械が女工百人分の仕事をするんなら、女工はそれだけ休暇がもらえればいいはずだ。人は一日三時間以上働かなくてもいいはずだ、という本。書きぶりはとっても楽しげで、半分以上冗談のおふざけで書いているように思えるほど。バカみたいに働くのやめようぜ、それを言うべき労働者までがバカみたいに働きたがるの、何とかならないの、という楽しい本。言っているのは、いわゆるワークシェアリングの発想だ。でもクソまじめなワークシェアリング本より(古い本だけれど)おもしろいよ。仕事に疲れたあなた、お読みあれ。溜飲が下がりま す。

同じネタをもっと歴史的に俯瞰したのがトム・ルッツ『働かない』青土社)。副題の「「怠けもの」と呼ばれた人たち」のとおり、もう史上の怠け者やそれを支持する理屈をあれこれ集めた本。根性すわった怠け者から軟弱な怠け者(というのはつまり働き者、ということなんだろうか?)、屁理屈から上のラファルグのような真面目なものまで様々。別にそこからすごい教訓を引き出すわけではないけれど、仕事が嫌いなのは別に罪ではないので、その確認の意味でもどうぞ。

ついでに書いておくと、先の『機械との競争』の 提言は、機械化できないのは高等知能を持つ職種だけだから、みんなの教育水準をもっとあげろ、というもの。でも、これって基本的にまちがっていると思うのだ。博士号をとっても就職口のないオーバードクター問題は深刻だ。そして給料は大学出れば無条件に上がるわけではない。みんなが大卒になったら、大卒の価値は下がる。実はこの本には、細かい掃除とか修理とか、機械にはまだまだできない別の技能もあることが指摘されているのに、それは後の方では完全に無視されている。

でもかつて、アメリカのITバブルの頃に成金どもが執事や女中を雇いたがるようになり、主人様より高給取りの執事や女中というのが生まれたという。このニュースが出たとき、「女中や執事が肉体労働と思うのが差別、実はこれは細やかな気遣いが必要な知的労働なんだ」といった記事をいくつか見かけたんだけれど、そんなのウソだと思う。これはどうしても知的労働のほうが肉体労働よりえらい=高給取りでなければならない、という勝手な思い込みから来た物言いだ。 いずれ、あまり学歴なくても高級が取れる分野は出てくると思うんだよね。

一方で、単純に必要な作業をこなす以外の意味での労働というのも考える必要はある。古い仕事の本を読むと、業務の中身はまったくちがう一方で、職場の倫理や社会性みたいなものはまったく変わっていないような気もするのだ。ニコラ・コンタ『18世紀印刷職人物語』水声社)は、18世紀フランスの植字工が見習いの徒弟制で印刷所に入って、仕事をおぼえ、一人前になるまでにステップを描いた本。

DTPとフィルム製版全盛現在、もう実際に活字を拾う場面なんて見たことある人のほうが少ないと思うけれど、仕事を通じて社会を学ぶプロセスは、ぼくはまったく変わっていないように感じた。特に、主人公が印刷所に入って、どの職人を見習うべきか値踏みするプロセスは、ぼくは今の新入社員たちにも見習ってほしいと思う。言われたことをやる一方で、他の人の仕事ぶりもよく見るのは重要。オフィスワーカーだとなかなかむずかしいことかもしれないけれど。仕事のやり方、覚え方のお手本として、今読んでも役にたつかもしれないし、知らない世界の話でなかなかおもしろい。

で、最後は川添愛『白と黒のとびら』東京大学出版会)。これも読みかけなんだが、形式言語オートマトン理論を、推理小説仕立てで理解させようという目先の変わった本。そのまま読んでもいいし、また巻末に、それぞれの推理が何をあらわしているのか、という解説があるのでそれと対比しつつ読んでも可。

ちょっとしたパズルが実は深い意味を持ち、この手の形式論理とかでどうしても出てくる、なぜこんな無味乾燥で現実味のないものをやらねばならんのか、という疑問を主人公の悩みとしてうまく取り込んでいるのもうまい。ぼくはこらえ性がないのでなかなかこの手の話に向かないんだが、流し読みだけでも、少なくとも何がしたいのか、どういうことが問題になっているのか、といったくらいはわかりそう。後の方を見ると、最後は不完全性定理までいくそうで楽しみ。とはいえ、高校生の頃に初めて不完全性定理なるものの話を聞いたときいは、それを理解した瞬間に何やら身の回りの現実の枠組みすべてが崩壊するようなものかと思っていたけれど、別にそんなものではないことはさすがにわかってきまして……。