Cakes連載『新・山形月報!』

経済、文学、コンピュータなどの多方面で八面六臂の活躍をする山形浩生さん。その山形さんが月に一度、読んだ本、気になる現象について読者にお届けする密度の濃いレポートです。

宇宙基地・ステーキ・新々貿易理論

2015年最後の「新・山形月報!」は、経済から宇宙まで幅広い本をご紹介。ラルフ・ミレーブズ『バイコヌール宇宙基地の廃墟』三才ブックス)、マーク・シャッカー『ステーキ!』(中公文庫)、ジョン・V. グッターグ『Python言語によるプログラミングイントロダクション』近代科学社)、田中鮎夢『新々貿易理論とは何か』ミネルヴァ書房)、飯田泰之田中秀臣麻木久仁子『「30万人都市」が日本を救う!』藤原書店)などです。



はい、約束通り年内にもう一本です。今回、真っ先に取り上げたいのは、ラルフ・ミレーブズ『バイコヌール宇宙基地の廃墟』三才ブックス)。書店の店頭で見かけて、思わず「うわー」と声をあげてしまいましたよ。だってこの表紙に出てるの、あのブランじゃん!

バイコヌール宇宙基地の廃墟

バイコヌール宇宙基地の廃墟(三才ブックス)

「ブラン」と聞いて、知っている人がどのくらいいるのかはわからない。かのソ連スペースシャトル……と書いたところで、このコラムの読者には、すでにソ連といってもピンとこない人もいるのかも、と思い当たった。まあそこらへんはググってください。で、このブランはソ連が国の威信をかけて開発し、あまりに外見が似ているのでアメリカ版スペースシャトルの完全コピーとも揶揄された代物。実際に飛んだことあったっけ、と思って調べたら、無人飛行で実際に飛んだそうだ。しかも1号機だけでなく、2号機まであったとは。

本書は、そのブランが数十年にわたり、完全に放置されたまま腐っている様子を写した写真集だ。もちろんその格納庫も、さらには打ち上げ用のロケットも。すごいね。極限環境にも耐えられる天下のスペースシャトルだから、数十年放置されたくらいでは平気かと思っていたけど、やっぱり劣化するんだ。それをこうやって間近に見られるというのは、感動です。

しかし、バイコヌールっていつの間にこんな廃墟になってたの? まだ打ち上げに使われてると思ってたけど……。確認すると、いまもちゃんと使われている。さらに、ウィキペディアとかの記事を見ると、もっと全体が博物館としてちゃんと整備されているとのことで、ブランも模型が表に置かれているとか。なぜ本書に載っている場所は、こんな廃墟になっているんだろう? それとも、同じバイコヌール宇宙基地でも広いから、場所によってちがうのかな? そこらへんの周辺状況の説明が本書にまったくないのはとても残念。

でも、宇宙開発にご興味のある向きは、ぜひぜひご覧あれ。いまの中国の宇宙進出も、かっぱらってきたソ連の技術あればこそ(中国の宇宙技術はほぼ旧ソ連のものが元になっている。映画『ゼロ・グラビティ』で最後にサンドラ・ブロックが乗り込んだ中国の宇宙船が、ソユーズの完全コピーだったのはその反映だ)。もうちょっといろんなタイミングがずれていれば、中国がこのブランで飛んでいたかもしれないと思うと、いろいろ感慨深い。

さて、お次はちょっと古い本になる。「世界一の牛肉を探す旅」の副題を持つ、マーク・シャッカー『ステーキ!』(中公文庫)。もともと2011年に出た単行本の文庫化だ。その中身は、タイトル通り、世界中をわたりあるいてステーキを食うという代物。でも単なるグルメ紀行じゃない。最近のステーキは味気ない、という問題意識から始まっていろんな牛肉を食い歩き、挙げ句には自分で牛を飼育して屠畜も行う内容だ。そして、その中でうまいステーキとは何かをきちんと追及する。

ステーキと言えば、2ちゃんねるあたりで見かけるネトウヨ国粋系コピペにこんなのがある。アメリカ人のレポーターが日本にきて和牛を食い、それまでさんざんバカにしていたのに一口ほおばった瞬間、「おれがこれまでステーキだと思っていたものは靴底だった!」と呆然とする、というもの。でも実は、こんなのデ タラメ。

昔、ナショナルジオグラフィックチャンネルで「日本に究極のステーキがあるそうだ! 食いに行く!」という一言から始まる、神戸牛の紹介番組をやっていた。その番組のホストは、日本にきて牛の飼育所に出かけて畜牛農家にインタビューして、あれやこれやと一通りやり、神戸牛とはなんであるか、それがいかに手塩にかけて育てられるか、いかに高価か、いかに貴重かをあれやこれやと強調する。そして最後に神戸牛のステーキが目の前に出てきて「おお、これぞ夢に見たあの究極のステーキ!ようやくそれが我が口に~」とさんざん引っ張り、最初の一口をほおばったところで……突然ナレーションが入る。

「食ったけどさ、全然気に入らなかった。ステーキってこういうもんじゃないよ。いや、やりたいことはわかるよ。あんたら、フォアグラみたいなものがやりたいんだろ? でもそれはステーキとはちがうものなんだよねー。が、ぼくはこの得意満面の日本人たちの前で正直にそう言うだけの度胸はなかった」

そして、画面では「おお、口の中でとろけるようですよ!」とか、心にもないおべんちゃらを連ねているその番組ホストの顔が映っている。その後、画面は暗転して、アメリカに戻って巨大なリブロースを前にするホスト。「これだぜ……」で、おしまい。

ぼくはこの番組を見て大笑いした。ここで言いたかったことは非常によくわかるのだ。そして本書でも、和牛(松阪牛)についての評価は必ずしも高くない。確かに霜降りのサシはすごい。でも、肉そのものの風味はどれも似たり寄ったりで、大したことないというもの。この著者はあれこれ試行錯誤した末に、牛肉で重要なのは風味だと述べる。そして風味を良くするには、草を食わせること。穀物合成飼料の牛は、急速に育てて1年未満で屠畜してしまい、エサのバリエーションも少ないために風味が足りない、と。脂肪は食感に重要だし、また脂肪自体の持つ満足感もあるけれど、それだけではだめなんだ、と。ついでに、最近はやりの乾燥熟成も、肉本来の風味に比べればあまり重要でないそうな。

むろん、この見方が絶対ではない。好みはいろいろだ。なぜこの本を手に取ったかというと、出張の機内で『ステーキ・レボリューション』という映画を観たから。これもまた、究極のステーキを探して監督と精肉店のおやじとが世界中をまわる映画。その中に、この本の著者も登場するのだ。でも、そこに出てくるニューヨークのステーキハウスの経営者おねえさんは「グラスフェッド(草育ち)の牛肉はウチでは使わない、味にクセがあるから」と断言していた。一方で、「草育ちこそ未来!」と断言する人も出てくる。

ちなみにこの映画には、本書をはるかにこえた異様な牛が登場するので、もし機会があればどうぞ(なぜかDVDも2016年3月にならないと出ないし、アマゾンのレンタルでもバカ高いけど)。これを見てぼくは、死ぬまでにポルトガルだかシチリアだかの10年ものの牛(そんなのがホントに出てくる)を食わずになるものか、と決心してしまいました。

そのときの出張で、MIT Pressのアウトレット本屋に寄ったとき、Python入門書が安売りされていたので買ってきたんだけれど、帰国してから邦訳版があることに気がついた。ジョン・V. グッターグ『Python言語によるプログラミングイントロダクション』近代科学社)だ。

これは、なかなかすごい本ではある。この手のプログラミング言語の解説書って、入門書の多くは、本当に入り口だけで終わってしまう。ぼくがプログラミング言語を学ぼうとするとき、それは言語そのもののお勉強もあるけれど、むしろそれを使って何かしたい、という目的がある。入門書だと実際に何かを作れるところまでいかない場合が多々あるのだ。

でも、本書は本当に初歩の初歩から始めて、最後は各種の数学問題(ナップザック問題とか)から、機械学習の初歩までやり方を示してみせる。すげえ。その分、進み方ははやいけれど、他のプログラミング言語の知識があればたぶん置いてけぼりになることはないと思う。ただ、数学問題が中心となっており、グラフィックな処理のほうにはいかない。この点は、自分が何をしたいかを踏まえて手に取ってみて。

ただ……日本語版で残念なのは翻訳。とにかく訳者たちは生硬で生真面目な訳に徹していて、冗談まみれの気楽な原文の持ち味はほぼ壊滅。どのくらい生真面目かというと、ミック・ジャガーにわざわざ注をつけるくらい。ミック・ジャガーを知らない人は、ローリング・ストーンズと言っても知らないと思うなあ。あと、調べがつかなかったとおぼしきネタは飛ばしてるようで、ぼくの大好きな映画『ヘザース』に触れた部分はカットされちゃってる。うーん。もっと原文は楽しくて軽いのに。まあ、硬いだけでまちがっているわけではないし、慣れれば読める。お正月のお勉強にはいいかもしれない。

で、その出張というのは、あるお役所の依頼を受けて、新々貿易理論の論客たちにあれこれ話をきくというもの。えーと、新々貿易理論てなあに? これは、今世紀に入って生まれた、経済学における貿易理論の新しい分野なんだけれど、これまであまりよい解説書がなかった。それを説明してくれる本が出ました。田中 鮎夢『新々貿易理論とは何か』ミネルヴァ書房)。

新々貿易理論とは何か: 企業の異質性と21世紀の国際経済

新々貿易理論とは何か(ミネルヴァ書房)

そもそもなぜ貿易なんてものがあるのか? 実は経済学は、いまだにこの問題をきちんとは説明できていない。でも、いくつかのブレークスルーがあって、だんだんその説明力が高まってきている。まずは、もちろんお互いに作れないものを取引するのが基本中の基本となる。日本でバナナを無理に温室で作るより、フィリピンで作ったものの輸入し、かわりに日本の自動車をフィリピンに輸出したほうが、お互いに幸せだ。この段階では、経済学なんていう理屈の出る幕はない。

でも、あらゆるものがまともに作れない国はどうする? バナナも自動車もろくに作れない国は、貿易できないんじゃないの? そんなことはない、と看破したのが、リカードの比較優位理論。どの国も、絶対的な優位性の有無にかかわらず、自分が最も得意とするものの生産に専念すると、それを貿易できるし、さらに経済全体としての効率もあがる。

が、実際の国を見てみると、みんな得意なものだけ作ったりはしていない。それどころか、日本もアメリカもドイツも車や電気製品を作り、そしてお互いにそれらを取引している。明らかに貿易は、比較優位だけで動いてない。この現実を説明するために出てきたのが、クルーグマンヘルプマンが中心に作り上げた新貿易理論。車にも電気製品にもいろいろな種類があって、貿易は利用者にとって多様性を増してくれる。一方、貿易により市場が広がり規模の経済が働いてコストダウンによるメリットも出る、と主張したのだ。

さて、ここまでは国レベルでの話だった。でも実際に貿易をするのは国じゃない。各国の中の企業だ。そして、輸出できる企業というのはどの国でもかなり少な い。そこに注目したのが、メリッツ(という現ハーバード大の学者)が考案した新々貿易理論だ。企業はそれぞれちがっている。この分野のジャーゴンで言えば、異質性があるのだ。そして輸出するにはかなりのハードルがあり、それを越えられるのはかなり力のある生産性の高い企業だけだ。でもそれを超えて輸出すると、輸出された側は高い生産性の製品を享受できるようになる。そして輸出先の業界の中で生産性の低い企業が淘汰され、経済全体の生産性が上がる—つまりなぜ貿易が起こるか、という理由として、比較優位や規模の経済と商品多様性に加え、経済(またはその産業分野)全体の生産性向上による厚生改善が登場したことになる。

これは貿易理論の枠組に大きく影響する。そしてそれ以上にやっとやっと、この新々貿易理論の発達で経済理論は貿易を語るのに企業とその異質性(あるいはその多様性)に注目できるようになった。もちろんこれまでだって、個別の産業であれこれ企業を見ていた人はたくさんいる。輸出するのが手間だ、なんてこともみんな知っている。でも、それがどんな影響をもたらすかをきちんと定式化できず、これまではかなり定性的な扱いしかできなかった。でもこうしたモデル化で、企業が下請けを使うか自社で外国に工場移転するか、知的財産権はどう影響するか、なんていうこともモデルによる分析が可能となった。企業のサプライチェーンの影響もある程度は検討できる。というわけで、この分野は最近、なかなかの活況を見せているのだ。

で、やっと本の話。著者の田中鮎夢は、新々貿易理論の日本における有力な研究者で、これまでもウェブに新々貿易理論の解説とかを載せていたけれど、それをきちんとまとめて本にしてくれました。そして新々貿易理論以外にも、貿易理論方面で最近旬な話題を、薄い本に要領よくいろいろまとめてくれている。まあ、 一般人向けというよりは、かなり経済学の素養のある人向けの専門書だけれど、興味ある方はぜひ。出張では、この新々貿易理論が本当に貿易政策に影響を与え得るのか、というのが一つの焦点で、それについてはそのうち、報告書が公表されることでしょう。

最後は、飯田泰之田中秀臣麻木久仁子『「30万人都市」が日本を救う!』藤原書店)。これは……ぼくの最大の関心は、タイトルにある30万人都市の話だったんだけれど、そこに触れてるのは全体のごく限られて部分で、数十ページしかない。これは残念だった。現政権の地方創生をどうすべきかは、最近ぼくの関心でもあるので。

日本の地方は衰退しているところばかりじゃない。実は県庁所在地クラスの都市は人口が増えたりしている。そして30万人いれば都市としての多様性やおもしろさも保てる。だからそういうところには希望があるので、そこに集中的に投資しろ、という本書の主張はおっしゃる通りだと思う。それ以下のところにあまり投資しても、いまの人口減の状況と高齢化のもとでは支えきれない。無駄金をあまり注ぎこむわけにもいかない。そこらへん、どうメリハリをつけるか?それが本来は地方創生でまじめに考えるべき点ではあるはず。けど、こういう議論はしばしば、過疎地切り捨てとかいって石を投げられたりするのだ。

個人的には、この30万人都市の部分をもっともっと充実させてほしかった。が、それ以外の部分も今年の時事問題の復習としてとっても勉強になる。まず消費増税のマイナスの影響が本格的に出てきた分析。さらに集団自衛権をめぐる(かなりピントはずれな)各種議論についての整理、さらには中国経済崩壊の懸念に対するコメント。今年の9月に出た本だけれど、現状のおさらいとして、いま読んでも有益だと思う。

こんなところで、年末年始も読む本には事欠かないかとは思う。では、また来年。2ヵ月休載した分のキャッチアップを、1月にもやろうとは思っていますがどうなりますやら。