Cakes連載『新・山形月報!』

経済、文学、コンピュータなどの多方面で八面六臂の活躍をする山形浩生さん。その山形さんが月に一度、読んだ本、気になる現象について読者にお届けする密度の濃いレポートです。

格差・遺伝・IQテスト

今回の「新・山形月報!」は、グレゴリー・クラーク『格差の世界経済史』日経BP社)、ジェームズ・フリン『なぜ人類のIQは上がり続けているのか』太田出版)、アンガス・ディートン『大脱出』みすず書房)の3冊を集中的に論じます。教育、遺伝、家庭環境、格差……重要な論点がてんこ盛りですよ。



実は最近、本棚の整理をはじめようと思い立ちまして、もう二度と読まないであろう本を(最後にできれば読み返して)処分している。で、かなり快調にとばして50冊くらい減らしたところで、ソルジェニーツィン収容所群島』(新潮社、現在はブッキング)全6巻の再読にとりかかったら……もう気分がひたすら暗澹で、全然先に進まない。ちゃんと読むの、20年ぶりくらいだもんなあ。その合間にいろいろ他の本をはさむにも限界がございまして……というわけで少々遅 れてしまい申し訳ない。合間を縫って読んでいる本も分厚いものを優先しているため、なかなか冊数が稼げず、今回は3冊だけ。

前回、ヘックマンの本を 紹介した。就学前の幼児教育は効果あることが長期の追跡実験で実証されたから、もっと公共のお金をがんばって突っ込もう、という本だった。その後今月になって別の本を読んでいたら、まさにこのヘックマンの話が出てきて、ちょっと驚いた。しかも好意的ではあるが、かなり眉にツバをつける感じの紹介となっていてさらにびっくり。その本が、グレゴリー・クラーク『格差の世界経済史』日経BP社)だ。

格差の世界経済史

格差の世界経済史

分厚くて白くて、さらに中身も格差(の一部)を扱ったものということで、拙訳のトマ・ピケティ『21世紀の資本』みすず書房)を連想するのは人情だと思うし、明らかにそれを意図して作っている(帯でもモロに言及しているし、本書の内容を一応まとめた式 (でも正直言ってまとめになってないので、b=0.75とかにしたほうが適切だと思う) をそこに配したりしているし)。ただ、読むのに時間がかかりそうだと覚悟して開くと、『21世紀の資本』よりずっと文字は大きく、またゆったりした組版なので、思ったよりすばやく読める。というか、やろうと思えば、この半分くらいの厚みにできたんじゃないのかなあ。

そして、その中身なんだけれど、社会的な地位—教育水準だろうと資産だろうと— はかなり世襲で決まってしまう、というもの。かつては身分制もあったので、農民の子は農民で、貴族の子は貴族。技能も財産も大きく世襲で決まっていた。でも近代社会の到来により、いまや人は能力次第でいくらでも社会階層など関係なく活躍できるとするのが、いまの主流なイデオロギーになっている。だからこそ、みんな頑張って出世しようとし、親はお受験に血道をあげる。そして、20世紀になって各種の社会流動性が上がったという調査もいろいろある。その一方で、最近になってそうした流動性が下がってきたという研究も多い。東大卒の親は収入も高く、子供にお受験させる余裕もあり、するとその子も東大に行っ て……という具合。すると社会階層が固定化されてしまってまずい! 格差が固定化する! 民主主義成立の前提が崩れる! ピケティの本もまさにそう主張していた。

でも、本書はどうもそうじゃないらしい、という。昔の社会的地位はかなり世襲で決まっていた。だいたい75パーセントくらいの相関があるらしい。それは事実。ただ、この数字は、20世紀に特に改善したわけではない。社会流動性は相変わらず低い。そして最近になってそれが悪化したとか、格差が固定されるよう になったとかいうこともあまりないようだ。

本書は、それを(ピケティと同じく)かなり長期にわたって調べる。その手法は、主に名前を使った調査。ちょっと珍しい姓などをたどることで、その一族がどんな地位になっているか、その地位にどのくらい継続性があるかがかなりわかる。へーえ。そして、やはりピケティ本と同じく、その範囲がすごい。英米やヨーロッパはもちろんのこと(北欧とか、こういう調査をやりやすい資料がかなりある)、日本やフィリピン、果てはかの共産主義革命と文革下放の吹き荒れた中国でも調べている。そして、その中国ですら、文革などであれだけエリート弾圧をやりまくっても、やはり世襲の力は強い。そしてたまに例外的に家族の「実力」とでも言うべきものを超えて上昇した一家があっても(または没落する一家があっても)、いずれ、やがてその一家として実現可能な平均水準に戻ってくるのが通例だ。だから社会的地位は、実の両親よりも叔父さんとか祖父母とかのほうと相関が深いんだって。

では、そもそも家族の「実力」とは? それは遺伝だ、とクラークは言う。その遺伝は、生物学的な遺伝もあるし、また家庭環境みたいなものもあるけど、どっちかといえば生物学的な遺伝みたい。養子の成績を調査すると、幼い頃には養父母の成績と相関が高いんだけど、中高生くらいからだんだん実の両親の成績との相関が圧倒的に増えてくる。

じゃあ、各種教育とかは全然効かないってこと? うん。ゼロではないが、効きは悪い。ヘックマンの業績、つまり就学前教育にドーンと投資するといいよ、という話についても、一応評価はしつつも、それがどこまで一般化できるかについてはかなり疑問を提示している(その一部については、ヘックマンの本で反論が出ていたので、気になる人は読み返そう)。もちろん、子供の栄養状態とか基礎的な学力とかの改善は重要だ。でも、それがある程度のところまできたら、あとは何をしようと差は出ない。生まれつきの素質ですべて決まってしまう。

えー、ではもう生まれですべて決まっちゃうってことですか? もうどうしようもないってことですか? この疑問に対してクラークは、「いやそんなことないよ、100パーセント決まるってわけじゃないし、個人の努力の余地もあるし、10階級ぶちぬきの出世はなくても一つ上の階層にあがるくらいはできるよ!」 と明るいそぶりを一瞬みせたあとで、「でも努力できるかどうかもかなり素質や世襲で決まるのよねー」と、容赦なく希望を叩き潰す。そして、結局は子供の社会的地位をあげたいなら、がんばっていい家庭の相手と結婚しろ、とのこと。うー。

さすがに少しは希望のある見通しや今後の改善策とか出るんだろうと思って読み進めてきたら、とにかくラストでダメ押しに落としてきて、読み終えてぼくは頭を抱えてしまいましたよ。どうしろってのよ……。って、どうしようもないって言ってるんだけどね。そして、こういう傾向があるからこそ、社会制度とかでそれを補って平等に近づけるような仕組みが必要何だろうけど、本書はそっちの道もかなり周到に議論して潰しているので、何と言っていいやら。

クラークは前の本『10万年の世界経済史』日経BP社、上下)でも、イギリスの産業革命は支配階級が子だくさんだったから、という主張をして、さらにいまの格差は貧乏な国や人が怠けてるだけだから仕方ないんだ、というかなりひどい、というか救いのない主張をしていたっけ。本書もその救いのなさという意味では共通はしてるんだけど。ただこういう結論や 処方箋をどう思うかはさておき、分析としてはおもしろいので、機会があったら読んで損はない。特に本書、ピケティと同じで、様々な国について同じ分析をして同じ結論に達しているので、最初の数ヵ国を読んだら、あとは細かく読まなくてもかまわないし。

このクラークの本での「氏か育ちか」的な議論(クラークは圧倒的に氏派)に関連した本を最近もう一冊読んだ。それがジェームズ・フリン『なぜ人類のIQは上がり続けているのか』太田出版)だ。

なぜ人類のIQは上がり続けているのか? 人種、性別、老化と知能指数

なぜ人類のIQは上がり続けているのか?—人種、性別、老化と知能指数

この書名と著者名を見て、ピンとくる人もいるんじゃないか。そう。これはかのフリン効果の発見者によるフリン効果の発見だ。フリン効果というのは、IQテストの成績が世界中でどんどん上がってきている、というもの。ぼくたちが目にする知能テストの結果は、平均点をもとに補正されていることが多いけれど、実際の試験の生データを見ると、確実に上がっている。なぜだろう? これはいろんな議論の的になってきた。

本書は、このフリン効果について発見者が解説し、その原因についての考察、そして知能が実際の生活や、国ごとの知能差、人種ごとの知能差、男女の知能差、加齢による知能変化などについてどういう意味を持つのかを検討した本だ。ただ、あんまりはっきりしたことはわかんない、という結論がほとんどで、結局何なのよ、という印象はぬぐえない。

知能テストの結果が上がっているのは、知能テストで使うような知性の部分が、社会生活においてどんどん重要になってきているせいらしい。ただ……そこらへんの理屈だてはかなり怪しげ。実はこのフリン効果と、最近のゲームやテレビドラマの複雑化(たとえば『24-TWENTY FOUR-』とか)を根拠に、今の子たちは複雑なゲームをしてややこしいテレビドラマを見ているから知能が上がっているんだと言わんばかりの主張をした、 拙訳のスティーブン・ジョンソン『ダメなものはタメになる』翔泳社)がある。でもこれは実証的な研究でもなんでもなく、単なる通俗ライターの思いつきだ。ところが、本書はそれをまともな研究と並べて、自分の主張の傍証に使う。それはダメじゃないかなあ。

それ以外の部分は、知能はある程度は栄養状態とかに左右されるので、今後途上国はどんどん先進国との間合いをつめてくるだろう、とのこと。また人種は、差があるのは事実だが原因はわからないし、差が縮まりつつあるのも確か。性別や加齢の話は、いろいろ考え方はあるんだが、決定的にどうこういうことではないみたい。あと、一時フリン効果はもう止まった、という結果が出ていたんだが、本書によるとそれは一時的だったそうな。いままでだれも知らなかった知見が どーんと出てくる本ではないけれど、知能(の一側面)の様々な変化や集団ごとの差についていろいろわかる点ではおもしろい。

ただ、その知能を現実世界に適用する部分の話は、結構しょぼい、というよりひどい。特に知能向上により道徳的議論の質が上がったという主張の根拠はあまりにトホホ。優しいのがいいとか他人を思いやろうとかいうお題目がのさばってきたから道徳的議論の質があがったというんだけど、それって知能のせいなの、それとも単に社会が豊かになって甘いこと言ってる余裕ができたせいなの? そういう考察まったくなし。さらに何よりがっかりしたのは、知能向上と政治的議論との関係を論じた部分。19世紀末の政治家が、金本位制なんかやめようぜ、という非常に優れた演説を行った。ところが著者はそれを「分別に欠けた」議論だ と述べて (p.106)、それに比べれば最近はましになったかもしれない、なんてことを言うんだが……それじゃあいま世界のどこも金本位制をやってないのは、ぼくたちみんな愚かになったせいなんですね、フリン先生! 金本位制を野蛮な遺物呼ばわりしたケインズは低知能のバカだったんですね! ……って、そんなわけないでしょ。金本位制はまったくダメだし、いまヨーロッパがギリシャ問題で大変なことになっているのだって、ユーロ体制が金本位制をさらにひどくした代物 になってしまったせいなんだから。

これに限らず、フリンは政治的(または経済的)な議論のよしあしを見分ける能力があまり高くない。実力主義に関する議論も非常に不明瞭。また、父親が人種差別に鈍感で、自分が黒人になったらどんな気分か、という質問すらまともに答えられなかったというのを持ち出して、昔の人は他人に対する想像力がなく、いまのほうが抽象思考能力があるというんだが、そうかねえ。だから社会的な意味合いに関する本書の議論は、ちょっと眉に唾をつけたほうがいいかも。たぶんこういう勝手な思いこみの多さと関連しているんだろうが、書き方が全体にへたくそで、しばしば主張が不明瞭になる。斎藤環が最初と最後に少し解説をつけてくれてはいるが、知能指数そのものの解説以外は付加価値が低いのが残念。

さて、もう一冊、アンガス・ディートン『大脱出』みすず書房)。これも、格差に触れているという点で上の2冊と関係しているというべきか。この本の基本的な議論は、世の中どんどんよくなってきたよ、というもの。人類は、早死に飢えと貧困から脱出し、格差からも脱出した。ひょっとしたら映画『大脱走』みたいに、脱出したけどまた捕まることになるのかもしれないけれど、でも現状がすさまじい成果を挙げ、以前は考えられなかったほどの大脱出を実現したのはまちがいない。本書は、この点で拙訳の二冊、ロンボルグ『環境危機をあおってはいけない』文藝春秋)やマット・リドレー『繁栄』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)と共通していると思う。『大脱出』の議論はすべてしっかりしたデータに基づいていて、まったくあぶなげないし、また書きぶりもきわめて安定している。翻訳のよさもあって、読みやすいよ。

大脱出――健康、お金、格差の起原

大脱出—健康、お金、格差の起原

そして、この本の特徴は、特に途上国援助について大きく取り上げていること。格差を減らすために行われているはずの援助は、役にたつんだろうか。ぼくは開発援助関係者なので、役に立っていると言って欲しいけど、決してそう断言できないのは知っている。本書もそれをしっかり指摘しつつ、その改善策をいろいろ考えてくれる。もちろんその一環として、ぼくたちが経済成長をしっかり実現しなくてはならない、ということも含め。そして、いま世界が直面するいろいろな問題について懸念はしつつも、希望的な論調で終わってくれる。今一つ将来展望の面で暗い、あるいは要領を得ないクラークやフリンの本に比べ、非常に明るい読後感があるし、勉強にもなるし、とってもいい本。人類の文明発展史概観として是非どうぞ。

で、そういう発展史の本が次に控えているのよね。ケネス・ポメランツ『大分岐』(名古屋大出版会)。なぜ中国は一時は世界に冠たる大文明国だったのにしょぼくなり、ヨーロッパ文明は急発展をとげて世界を覆うにいたったのかを述べた古典的な本で、原著は持っているんだけど冒頭だけで止まっていた。邦訳が出たので、今度こそ読まないと! ではまた。