2015年2月27日
ピケティ人気は、ご本尊の来日を経て少しは落ち着いたものの、まだまだ衰える気配はなくて、いろんな自称「ビジネス」「経済」雑誌(という書き方をするのは、ぼくはそのほとんどがまともな意味でビジネスになんか役立つと思ってないし、経済に関しては胸を張ってバカを曝しているものばかりだと思っているからなんだけど)の特集も続いている。
多少はましなものもあれば、腹がたつものもあり、自分が寄稿したりしたものについてはブログであれこれレビューしたりしているけれど、もちろんとても全部なんか見てられない。とはいえ、やっぱり現時点で最も衝撃的だったのは『プレジデント』2015年3月16日号の「世界初:お金に困らないピケティ実践講座」なる特集。いやあ、こいつはすごい。
- [タイプ診断]あなたはお金が貯まる「r型」か、お金が逃げる「g型」か
- ピケティセオリーを職場に応用:時間半分、100倍稼ぐ「r型」仕事術
- ここで大差! 人生が好転する「r型人間」の時間習慣:オンとオフを分けないr型、イライラしやすく落ち込みがちなg型
などなど……唖然。昔はこういう特集は『ビッグトゥモロウ』の独壇場で、『プレジデント』は「戦国武将に学ぶ乱世ビジネスマンの叡智」とかその手のが売りだったんだけど、最近は『プレジデント』も実学志向なんですねー。しかしここまで厚顔きわまる恥ずかしい特集は、かえって読みたくなっちまいます。ピケティが見たら卒倒するか爆笑するか、興味あるところ。
でも、こういうおふざけや軽薄な扱いにとどまらず、だんだんよい影響も出てきている。格差という問題について、そもそも認識が高まったのはいいことだ。そして、だんだんピケティがらみの好著も登場するようになっている。
一つは、もちろんピケティ本人の『トマ・ピケティの新・資本論』(日経BP社)。ピケティがフランスの新聞に連載した記事をまとめたものだ。難点は、時事コラムでフランスのローカルネタがあまりに多いこと。これは新聞コラムだからやむを得ない。ただ、本書が廉価版『21世紀の資本』(みすず書房)ではないことは、きちんと理解しておく必要がある。そして、系統だった理論展開が行われる性質の本でもない。
その一方で、短いしそれぞれの課題について、ピケティがどういうアプローチで議論を行っているかという視点は非常に明解。『21世紀の資本』は大部で、かなり細かい話まで詳しく述べるので、ときどき考え方や視点を見失いがちになる。その点こちらは、その論点はとてもすっぱり明解だ。そして、『21世紀の資本』をざっとでも見た人なら、「あ、これはあの論点か」とか「あそこの記述はここが発端なのか」といった発見も結構ある。
その意味で、個人的には『21世紀の資本』の 副読本として読んでもらうのがいちばんいいんじゃないかとは思う。でも単独でも十分楽しめるはずだし、何よりずっと気楽に読めるのは大きなポイント。個人 的には、中央銀行がもっと金融緩和しろ、EUはインフレ誘導しろ、FRBの金融緩和にケチつけるな、といった各種コラムがおもしろかった。日本にきたときにアベノミクスについては、かなり両論併記っぽい煮え切らない言い方をしていたけれど、基本的な立場としては特に金融緩和部分やインフレ目標には好意的なはずだというのはここからもうかがえる。
でも、ピケティ自身の本もさることながら、『21世紀の資本』のベースとなった各種論文を共同研究している人々の本も出しやすくなったらしいのは、もっとありがたい影響じゃないかな。その代表格がガブリエル・ズックマン『失われた国家の富』(NTT出版)。本書は『21世紀の資本』で強く推進されていた、タックスヘイブン(脱税支援地域)の規制と国際累進資本税の構想を打ち出した本となる。
本書で挙がっているタックスヘイブンの範囲はかなり広い。スイスやカリブ海や英仏海峡だけでなく、シンガポールや香港もタックスヘイブンに含まれる。こうした世界のタックスヘイブンの総本山はスイスだ。最近はカリブ海も強いよね、と思っていたら、なんとそうした場所でもシンガポールでも、スイス系銀行の出先がほとんどの顧客を獲得してるんだって。
本書はスイスが脱税支援地として台頭してきた歴史(もちろん、両世界大戦が大きい)を簡潔に述べ、現在行われている各種のタックスヘイブン対策がいかにダメかをまとめてから、実効性ある手段の提案に移る。タックスヘイブン諸国に対して、ものすごい関税をかけろ、というのだ。あんたらのせいでうちの税収は減った、だからその分を関税として徴収するよ、といえばいいのだ、と。多くのタックスヘイブンは、貿易に多くを頼っている。そこを締め上げれば絶対に泣きが入ると。それ以外にも提案は出てくる。たとえば、多国籍企業への課税とか。でも、この懲罰的な関税による対応が最大のものだ。うーむ。ピケティのグローバル累進資本税でもかなり非現実的という批判がきたけれど、これはどうだろう。こういう税の目的外使用にも等しいやり方というのは……。
ともあれ、どうなっているのかよくわからなかったタックスヘイブンを1冊で示した内容は貴重だ。日本でも『ゴミ投資家のためのビッグバン入門』(メディアワークス)なんかを皮切りに、部分的には見えてきた面もあったけれど、その全貌は未知数だった。それをこうして明らかにしてくれるのは実に勉強になります。あと、歴史的な面もわかる。スイスの銀行が栄えたのはテンプル騎士団の隠し財産のおかげじゃなかったんですね! たいへんに短いし、わかりやすいので是非ご一読を。巻末の解説だけ読んでも役にたちます。
お次はピケティからちょっと離れて(でも無関係ではない)、今回の一押し。三浦瑠麗『日本に絶望している人のための政治入門』(文春新書)。これはすばらしい。かつてこの著者の『シビリアンの戦争』(岩波書店)を朝日新聞の書評で絶賛して以来、その仕事ぶりはノーチェックだった。本書はおもにこの著者のブログをまとめたものだとか。不満から述べよう。それぞれの文章がいつ書かれたものな のか、明記されていないこと。「今回の選挙は~」みたいな記述は、いま読めば昨年 (2014年) 末のやつだろうと見当はつくけれど、3年たったら意味不明になるぞ。そんなに長く売る気はないのが透けて見えてがっかりする面はある。だって5年はその価値を保つ本だと思うから。
個々の文章は、いまの日本の政治状況について実に明解かつストレートな分析と提言になっている。そしてその背景には、イデオロギー的に保守にもリベラルにもというべきか、右にも左にも偏らないきわめてまっとうな立場がある。たぶんそれゆえにどっちからも嫌われるだろうけど。
たとえば、そのバランスのとれた立場は、現在の日本の「右傾化」についての見方にもあらわれる。この国の「右傾化」は、世界的な保守や右派の立場を見れば穏健きわまりないこと、そもそもその「右傾化」はむしろ左派/リベラル派の政党やマスコミや知識人が弱者カードを振りかざしすぎた反動であること、かれらがちょっとしたことを針小棒大に騒ぎ立て、靖国でもなんでも踏み絵を強制するような真似をするからこそ、国民の多くはかえってそれに辟易し、その反対に流れているのだということ。著者の議論の中心には、そうした政治的な極論の中にいる、一般の日本国民の判断に対する強い信頼がある。人々は、意識の高い(←侮蔑表現です)左派の人たちが上から目線で憂慮しているほど右傾化などしておらず(そして意識の高い憂国の士たちが嘆くほど愛国心を失ってもおらず)、ちゃんとそれなりのバランスのとれた見方や行動をしている、という基本的な信頼がある。たぶん多くの政治的な議論は、この信頼がないから上からの押し付けにばかり期待する独裁者待望論みたいなものに堕す。本書にはそうした部分はない。
そしてマスコミなどで「弱者」がかえって傍若無人な言論弾圧をしているように見えるからこそ、それが保守派にも「弱者」としてふるまう口実を与え、お互いが弱者カードを切る……。このへんな状況が、現在の日本の政治だと三浦は見る。でもそれはあまりに後ろ向きだし、今の各種問題を解決するにはもっと明解な理念は必要になる。それは日本国内のみならず、国際的な政治問題の解決にあたっても重要なのだ、と。経済重視、自由重視、といった基本的な理念を持ち、ポ ジティブなビジョンを提示できるかが今後の日本の政治(与党も野党も)のあり方を左右するのだ、という。ちなみに、ピケティとちょっと関係するのは、これからの野党の結束点として格差の問題が挙げられているから。そう、世間的にもこういった気運があるからピケティに関心も集まるんだよね。
その視点から、日韓関係とか中国とか、沖縄基地問題とか、日米関係とか、時事的な問題への視点がきわめてストレートに繰り出されるのは感動もの。へんな逃げ口上もうたず、その一方でリアリストを気取ったニヒリズムもなく、イデオロギー的な既定路線に陥ることもなく次々に議論が展開され、しかもそれが奇をてらわず本当に素直で直球どまんなかの話ばかりなのには驚くばかりだ。そしてエリート的な抽象論にもならず、日本国民のある種のバランス感覚も十分に信頼し たうえで空理空論に陥らない現実的な議論につなげている。
ネット上で、馬鹿なネトウヨと硬直的なネトサヨの罵りあいにうんざりし、「朝生」などテレビの場でも声がでかいやつの政治の議論に絶望しているあなた、是非ともお読みください。右も左も、やることはある。できることはある。無論、ぼくとて、本書のすべての主張に賛成するわけじゃない。中国の軍事的な野望を甘く見過ぎてないか、とかね。でも世間の議論を見るなかでいつの間にか陥っている、歪んだ二者択一の政治論争から抜けだすにあたり、本書はきわめて有益な助けとなる。とにかく読んで。前回の池内恵『「イスラーム国」の衝撃』に続き、文春新書の大ヒットだと思う。
さて、最後はちょっと毛色を変えてロジャー・イーカーチ『失われた夜の歴史』(インターシフト)。これはいいねえ。夜が、ガス灯や電気が登場する以前はどんな存在だったか。これを文化人類学っぽい視点でまとめた本、とでも言おうかな。すごく意外なことばかり書いてあるわけではない。闇は光に対する魔として恐れられ、犯罪の温床であり、一方では人々が集う場でもあり、睦み合う場であり、孤独と内省の場でもあった。本書は夜のもつ様々な側面を、社会、思想、小説、その他あらゆる史料を使って描き出す。描かれているのはヨーロッパだけだ。そしてすごい分析があるわけではない。それでも、多方面から夜が描き出されるうちに、そこに夜そのもののような分厚い重みが感じられるようになってくるのは おもしろい。
そして、もちろん結構厚い本だし、意外な部分もそこそこある。たとえば、中世や近世のヨーロッパ人は、一晩中ぐっすり寝たりはしなかったんだそうな。夜中に一度、1時間ほど目を覚ましていて、2回寝たそうだ。人工照明がない世界では、どうも人も動物もそういう寝方をするんだって。うちの赤ん坊が夜泣きするのも、その名残なのかなあ。そして、最後の章はもちろん人工照明だ。もはやかつてのような夜は、多くの人には存在しない。著者はそれについて、格別非難がましいことも言わない。でも、たぶん本書を通読した人は、単なる寝る時間としか思っていなかった夜が持っていた豊かさにちょっと感動することだろう。そして寝る前に一瞬だけ、電灯により失われた闇に思いをはせることになるかもしれない。