Cakes連載『新・山形月報!』

経済、文学、コンピュータなどの多方面で八面六臂の活躍をする山形浩生さん。その山形さんが月に一度、読んだ本、気になる現象について読者にお届けする密度の濃いレポートです。

幼児教育・意志力・コールハース

お待たせしました、「新・山形月報!」の今回のラインナップは、ジェームズ・J・ヘックマン『幼児教育の経済学』東洋経済新報社)、ウォルター・ミシェル『マシュマロ・テスト』早川書房)、ロイ・バウマイスター『WILLPOWER 意志力の科学』(インターシフト)、イエスタ・エスピン=アンデルセン『平等と効率の福祉革命』岩波書店)、レム・コールハース『S,M,L,XL+』ちくま学芸文庫)です。教育から建築まで多岐にわたる本を徹底レビューです。



遅くなって申し訳ない。6月はあれやこれやと珍しく余裕がありませんで。それと、前回の続きで記憶術とか錬金術とか薔薇十字とかカバラとか、これまで本棚にあっても読んでなかった本を片づけておりまして、あまりふつうのまともな本に手がまわりませんで……。

その中で読んだまともな本として、まずジェームズ・J・ヘックマン『幼児教育の経済学』東洋経済新報社)。帯に「脳科学との融合でたどりついた、衝撃の真実!」なる惹句があるので、なんかすごい衝撃的なことが書いてあるのかと思ったんだが…… そんな大それた話は書いていない。でも、中身は重要。要するに、就学前の教育投資がものすごく効くということ。それを、二つの対照実験の結果からヘックマンが述べている。就学前の児童に対して、放課後に先生が家庭訪問して追加の指導をした場合としない場合を比べ、しかもその子たちのその後の出来を、40年にわたって追跡したというのがこの実験だ。

幼児教育の経済学

幼児教育の経済学

すると、おもしろいことがわかる。最初は試験で測れる、いわゆる学力に差が出るんだけれど、これはその後、だんだん差が縮まってしまう。だけれど、それよりも非認知的な能力—忍耐力とかやる気とか感情を抑える能力とか— のほうが重要で、これが後々まで尾を引き、人生で成功するかどうかを大きく左右してしまうんだと。そして脳の発達を見ても、幼い頃にふれあいや刺激を与えないと脳の成長が遅れることが生理学的に示されている。ここからヘックマンは、就学前の5歳までの非認知的な能力面での指導はとても重要ですさまじい成果をもたらすから、特に貧困世帯に対してこれを公的に実施しろ、と主張する。

たぶん、これを読んで衝撃的だと思う人はそんなにいないんじゃないか。しごくもっともな話だと思う。本書は、これを述べた短い(40ページほどの)論説に対し、各界の識者による反論やコメントがあり、それに対するヘックマンの再反論が掲載される構成になっている。ただ、正直いって各界の識者のコメントは相当部分が揚げ足取りに終始していて、あまり有益でないように思う。だから再反論もあまりおもしろくない。

そして有益な部分が、第1部の40ページほどしかないので、そこの記述不足が非常にもどかしい。たとえば非認知的な能力のほうが重要だというんだが、それってどうやって測ってるの? またその二つの実験では、放課後に先生が家庭訪問して指導したり親にトレーニングとかをしたそうなんだけれど、その中身はなんだか自主性を重視した遊びをさせた、というくらいしかわからない。具体的にどういうことをやっているの? それがイメージしにくいので、「幼児教育」 とか「就学前指導」とかいうのがきわめて抽象的で、結局何をすればいいのかもピンとこないのだ。

また、翻訳もまちがってはいないけど全体に愚直で、英語の慣用表現をそのまま訳したせいで主張がわかりにくいところが散見される。たとえばこんなの。

ネイティブアメリカンの居住区がカジノの開設でにわかに経済的にゆたかになった事例は、子供が置かれた環境を測るための従来の目安が不確かであることを裏づけている。この研究によれば、子供たちの破壊的行動の基準値がかなり向上した。介入による有益効果は家族内の変化によってもたらされた。(p.28)

 

「破壊的行動の基準値がかなり向上した」というのはどういう意味? 基準が厳しくなって、破壊的行動が減ったということ? それとも基準値が上がったので、これまでは破壊的だとされていた行動も平気でやるようになったということ? この後の記述から見てどうも前者らしいんだけど、この翻訳だとそれが明確にわからない。

あるいはこんなところ。

複雑なスキルを分割することは、教育に悲惨な結果をもたらしうる。たとえば、子供のためのプログラムはソフトスキルに重点をおき、認知的な内容を最小限にするだろう。思春期の子供や成人のためのプログラムは、つまらない作業や訓練を中心に構築されるだろう。(p.50)

えーと、なんで子供向けには認知的な内容を最小限にするんですか? なぜ大人向けはつまらない作業ばっかになるんですか? ここの文章はおそらく、幼少時の総合的な学習という複雑なスキルを、たとえばヘックマンの区別に対応する形で、学力中心のものと非認知中心のものという具合に分割して考えるようになったら(ちなみにヘックマンはそんなことをしろとは言っていない。この引用は、ある有識者の「反論」の一部)、「たとえば」以下のような現象が起こりかねない、そういう方向に向かう可能性がある、という内容なんだろう。たぶん原文にはそのニュアンスを示すために、 may とか could とかが使われていたはず。使われてなかったとしても、このままでは意味が通らないから、ぼくは翻訳で補うべきだと思う。

経済学者の大竹文雄が解説を書いていて、ヘックマンの業績とかについてはわかるし、また日本での貧困と教育の関係についての整理とかもありがたい。でも上で挙げた具体的な指導の中身とか、非認知能力としてどんなやり方で何を見ているかとか、この話に関心を持つ人が抱くであろう疑問については説明してくれていない。この分野の関係者には常識なのかもしれないけれど、一般の読者に対してはちょっと不親切だ。重要な内容なだけに、惜しいな。大竹は、わかりやすい 一般向けの文章も上手いだけに、あと一歩頑張ってほしかったところ。ともあれ、少なくとも就学前の教育がいかに重要かについては、十分にわかるはず。

ある意味でこれを補う本が、ウォルター・ミシェル『マシュマロ・テスト』早川書房)だ。このテスト自体はご存じかもしれない。幼い子供の目の前にマシュマロを1個置いて、「これを食べずに5分我慢できたら、2個あげるよ」と言って部屋を離れる。さて、子供は我慢できるだろうか? 多くの子はできない。目先の誘惑に負けてしまう。でも、様々な手を使って我慢できる子もいる。そして その子たちを追跡してみると、我慢できた子はその後もいろいろな場面での自制心が発達し、成績も高く、成功する確率も高いという。

本書は、このテストの考案者たちによる一般向けの解説書だ。でもそれだけじゃない。マシュマロ・テストというと、育児の話だと思われることが多いし、またこの実験の話をきくと、何か忍耐力が生得的なものだとか、子供のときのちがいがその後の人生すべてを決めてしまうという印象を持つ人も多いようだ。でも実際には、本書はそういう本ではない。子供に限らず、忍耐力だけでない意志力全般についてのものであり、それを(大人になってからも!)のばす方法についても述べると同時に、同じようなテーマの類書の議論についても、多少批判も加えつつ、まとめてコメントしている。

たとえば、前にちらっとだけ触れたロイ・バウマイスター『WILLPOWER 意志力の科学』(インターシフト)は、意志力が筋肉と同じで使うと疲れるけれど、でも筋肉と同じように小さな我慢を積み重ねれば鍛えて強化できる、と述べる。が、本書はその後の研究に基づいて、その結果を疑問視する。むしろ、意志力が疲れると思っている人は投げ出し、やる気次第だと思っている人は投げ出さない!(とはいえ、この『WILLPOWER 意志力の科学』は、意志力の鍛え方を具体的に説明したとてもよい本なので、本書での批判を念頭に置きつつも是非読んでほしい)

また、意志力は目先の誘惑のことをなるべく考えないようにすることで実現される場合も多い。これは、つらくてどうしようもない現実に直面したときにも有効なテクニックだ。気をそらし、直面を避け、先送りできる人は絶望や恐怖に潰されずにすむ。それができないと押し潰されてしまう。またあることについては几帳面で辛抱強い人が、別の作業ではまったくダメなことも多い。「本当の」自分なんてものはなく、いかにその人が自分を造り上げるかで多くのことが左右されるのだ。

むろん、子育てのヒントもある。甘やかしてもだめ、怒るだけでもだめ。子供は、大人のやることをよく見ている。だらしない、自分に甘い大人が指導していれば、子供はそのだらしなさ、甘さを真似する。その一方で、我慢しすぎてもよくない。ときには自分の心のままに楽しむことも必要だ。自分の中の、感情的で ホットな部分と冷静でクールな部分とでどうバランスを取るか? それは本当に、その人自身の選択だ。

さらに、就学前に多くのことが決まるのは事実だが、大人になってからだってやる気次第では変われる。本書はそれを教えてくれるし、その具体的なやり方についても示唆をくれる。ちなみに、『幼児教育の経済学』の解説をしていた大竹文雄が本書の帯に推薦文を寄せている(帯にいるもう一人の推薦は、何の役に立つかよくわからないけど)。ヘックマンの本との関連性がここにも出ているわけだ。

マシュマロ・テスト 成功する子、しない子 (早川書房)

マシュマロ・テスト:成功する子・しない子

(2022.04.27付記:なお、その後このマシュマロテストについては、かなり疑問が出てきたことは書いておくべきだろう。我慢できるのは、後からでもマシュマロもらえるのをよく知っている豊かな家庭の子で、すぐに食べないとマシュマロが取られる貧しい家庭の子は我慢しようとせず、 結局これは社会資本とか家庭環境とかの影響が大きいのでは、とのこと。だからここの記述は鵜呑みにしないでほしい)

ついでに、就学前教育の重要性と、それが経済や社会全体に与える影響の分析としてはイエスタ・エスピン=アンデルセン『平等と効率の福祉革命』岩波書店)を。これはなぜかフェミニズム系の学者が訳したこともあって、その文脈で読まれがちかもしれない。でも、本書の半分以上はまさに就学前の教育の重要性にあてられており、それが格差の再生産と拡大につながることも示している。政策的な提案もきわめて具体的なすばらしい本なので、是非読もう。アンデルセンは、ホントは子供を全員、国として召し上げてキブツみたいな共同育児施設にぶちこんで育てたほうがいいかも(!!)というとんでもない提案までしていて、でも親どもが嫌がるから無理だろうと主張。こういう極論は嫌いじゃない。この本についてのぼくの書評はサイトに載せてあるのでどうぞ。

さて、ぼくは昨年にベネチア建築ビエンナーレの日本館で、エグゼキュティブ・アドバイザーなる肩書きをもらいながらほとんど何もしなかったんだけれど、そのビエンナーレの総大将がレム・コールハースだった。彼が1995年に発表した、巨大なサイコロのごとき本が『S, M, L, XL』。1300ページで重さ3キロ近い代物で、文章と図や写真とが入り乱れてまともに「読む」本とは思われていなかったし、また実際に通読した人が何人いるやら。このぼくもあるときがんばってみたけれど、4割くらいしか読めていない。

でも、このたび『S, M, L, XL』の重要な論説を抜粋して新しい材料も加えた再編集版の邦訳が、ビエンナーレ日本館の親分だった太田佳代子と、天才翻訳家渡辺佐智江の訳で出た。それが『S,M,L,XL+』ちくま学芸文庫)。これについてのぼくのコメントは刊行記念サイトに寄せた文章で概ね述べた通りだけれど、やはりだれも読まなかった文を改めてきちんと読むのは、いまとても重要だと思うのだ。

刊行記念サイトにも書いてあるように、都市と建築の境目がますます曖昧になっている状態を、コールハースの文も、原著のあり方も表現していると思う。この日本版も、ほとんどは20年以上前の文章だけれど、そこに述べられた都市と建築の関係は、いま本当に重要なこととして考えられるべきだ。オリンピック競技場をめぐる一連の騒動にも、こんなところから示唆があるんじゃないかとは思う(今さらではあるけど)。

今回はこんなところで。錬金術とか記憶術がらみの本は、ブログでもいくつか触れたけれど、次回あたりにまとめて出してみようか……。ここで予告したことを、この連載で実際に書いたケースがこれまでほとんどないのは承知のうえではありますが。では、また。