2013年2月26日
はい、皆様、予告通りデイヴィッド・ミッチェル『クラウド・アトラス』(河出書房新社、上下)を読み終えましたよ。が……期待したより、かなり薄い本だった。薄いというのは、もちろん厚みではない。上下巻あわせて700ページ以上になるだろう。そして、その中に6つの物語が詰め込まれている。物理的には分厚い。
でも、ぼくが薄いというのはその中身であり、その世界に対する見方のことだ。本書のテーマは実に簡単。強いやつが弱いやつを食い物にする世の中はよくない、という代物。つまり、弱い者イジメはいけません、というだけの話だ。本書にそれ以上の深みはまったくない。これだけのページ数をかけて、言うのがたったこれだけ? いや、ぼくは一読して「これはひょっとして原作ではなく、映画のノベライズなんじゃないの?」と思ったほど。
複雑な構成だと言われているけど、ぼくはそれほど複雑だとは思わない。話は、アマゾンの紹介にもある通り「19世紀の南太平洋を船で旅するサンフランシスコ出身の公証人。第二次大戦前のベルギーで天才作曲家に師事する若き音楽家。1970年代のアメリカ西海岸で原発の不正を追及する女性ジャーナリスト。現代ロンドンでインチキ出版社を営む老編集者。近未来の韓国でウエイトレスとして生きるファブリカント。遠い未来のハワイで人類絶滅の危機を迎える文明の守り手」という6つの話があって、そのそれぞれは別個の話だけれど、たとえば公証人の航海記が音楽家に霊感を与え、その音楽家の曲がジャーナリストを勇気づけ、編集者の話は実は映画として韓国のファブリカント(クローン人間)の唯一の慰めとなり、そのファブリカントが遠い未来の戦争と文明退行後のある若者を導く、という仕掛け。
それぞれに強者が弱者を食い物にするエピソードがあり、それに抵抗する人々が物語の軸となる。エピソード自体は各種の時代考証や舞台設定などで凝っている。でも中心的な考えは「弱い者いじめいけません」というに留まるため、どれも非常に浅はかだ。日本の最近のアニメですら、一方的に強くて悪いと思われた人々にも、実はそれなりの事情と背景があり決していちがいに善玉悪玉と言えるものではない、というくらいの深みは持つ。
が、本書の話はそれが皆無。そしてもちろん、弱い者いじめはいろんなところにあるし、それをなくす努力はすべきなんだけれど、彼の世界や歴史理解だと、世の中ってそれだけで動いていると思ってるのね。でも世界ってそんなに単純なものじゃない。それがないために、ぼくから見れば本書は6つの物語を結び合わせる必然性があまりに薄くて、浅はかな通俗小説を束ねただけのものになっていると思う。
つまり、それぞれの通俗小説は、ビクトリア朝航海記や芸術家の悲劇、ミステリーサスペンス(原発糾弾ジャーナリスト)、コメディ(編集者)としてはまあまあの出来で、特にSFというべき2つの話はレベルが高く、涙が出そうな場面も多い。が、それもあくまで創作技法としての話。SF部分の造語とか別時代の言語創作などは見事だし、それをうまく表現した翻訳も賞賛されるべき。そして個々の話の長さならば、弱い者いじめ批判という単純なテーマでもいい。いや、各々の物語は中編くらいの長さだから、むしろ個別にはポイントを一つにしぼるほうが正解なのだ。でも、それを長編としてまとめるのであればそれだけではもたない。共通する痣とか、細かいネタの相互参照以外に、その論点の掘り下げ、複雑化をしないと。短編集としてならこれでもいいけど……。
驚いたことに、これはイギリスの権威ある文学賞ブッカー賞の最終候補に残ったとか。これまでブッカー賞の見識は高く評価していたんだけれど、レベルが落ちたものだ。本書の帯で言う21世紀文学の金字塔というのが、何の冗談なのかはわからないが、おそらく3年後には忘れられるだろう。ぼくはブッカー賞を信じて本書に期待していたので、著者の前の作品『ナンバー9ドリーム』(新潮社)も買ってしまったんだよな。でも読まないかも。原著は結構売れているみたいだが、何かみんなかんちがいしていると思う。映画は……絶賛と罵倒の両極端にわかれるそうな。でも、原作よりも各エピソードをつなぐ仕掛けが増えているらしいので、ひょっとすると原作よりいいかも? ぼくはそう期待している。[コメント:その後、見ました。映画もやはり朝鮮ファブリカントの部分はすばらしかったんだけれど、全体的にはレベル低い。]
さて、『クラウド・アトラス』の 中で最もできがいいエピソードは、近未来の韓国を舞台にしたクローン人間反抗の物語なんだが、実は読んでいくと、「近未来の韓国」というのは、北朝鮮が南朝鮮と日本その他一帯を占領して、チュチェ思想と企業資本主義を融合させた変な思想の世界なんだということがわかってくる。
ここらへん、チュチェ思想(というのは金日成が作った独裁を正当化する思想で、チュチェというのは「主体」なんだがこれは実は党のことなのね)がどんなふうに企業資本主義と融合できるのか、個人的には興味あるところ。でも著者はそこを考えてないんじゃないかと思う。どっちも人を抑圧するものだから、といい加減にいっしょくたにしているだけみたい。そういう手抜きがこの本の浅さの一因でもある。ちなみにチュチェ思想の理解のためには……って、理解しなくていいから。ぼくは昔、大学の図書館にあった金日成の著作集をちょっと見て頭痛がしたものです。
たぶん著者が読んでおくべきだったのは、高安雄一『隣りの国の真実 韓国・北朝鮮編』(日 経BP社)。2ちゃんねるの嫌韓系まとめサイトなんかでは、韓国や北朝鮮がダメというニュースはミソでもクソでもありがたがっているし、一方で韓流ブームとやらもあるのか、韓国経済礼賛みたいな話もよく見かける。本書はそのどっちもいかにダメかについて、具体的なデータをもとにきちんとまとめた本。北朝鮮について、本当にわかっているのはどういうことなのか? 韓国経済はホントはどうなのか? 北朝鮮については、データそのものの問題点と理解にあたっての留意点まで教えてくれるし、また韓国についても、いい部分もあるが悪い部分もあるという話をていねいに述べてくれるので、この二国について何か言うなら是非一読を。『クラウド・アトラス』が想定するような事態は起きなさそうだけど。
また、『クラウド・アトラス』よりもきちんとした世界の長期的な動きに関する本を読みたければジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』(草思社文庫、上下)をどうぞ。『クラウド・アトラス』の航海記の部分で、なぜ白人が世界の原住民を支配できたのか、というのが出てくる。ミッチェルは、それが強者の横暴によるもので、弱い者いじめの例なのだと述べる。でも、それでは何の説明にもなっていない。問題は、どうして強者が強者になれたんですか、ということだ。[コメント:その後、ダイアモンドの本もかなりいい加減で雑であることがわかってきて、評価をかなり落としたので、ここは少し割り引いて読んで欲しい。が、もちろんクラウド・アトラスよりはマシ。]
ヨーロッパ以前はイスラム圏、そして古代中世の中国などが圧倒的だった。でもそれがなぜ逆転できたのか? なぜアメリカでは文明がピラミッド作りくらいで止まってしまったのか? ミッチェルが全然考えていないこの問題について、ダイアモンドは実におもしろい知見を展開する。それは、横長のユーラシア大陸と縦長のアメリカ大陸、という差によるんだ、と。この本を読んでしまうと、ミッチェルの議論がいかに浅はかかは、多少なりとも理解できるはず。
で、それとは関係なく読んだのが隈研吾『小さな建築』(岩波新書)。大震災を経て、大きなものに依存する建築ではなく、自律性のある小さな建築をにむかおうとしたというんだが……そう思ってしまう気持ちはわから ないでもないが、ぼくはあの震災でむしろ、インフラとかライフラインの重要性、それを確保するための広域計画や国土計画の重要性とかを改めて認識したし、建築家その他にはそれをどうすべきかについて正面から取り組んでほしいと思うのだ。一線級の建築家がそこから逃げて、大きいものはやらずチマチマした自分だけの世界(と思っているもの)の建築に自閉するのは、ぼくは悪しき逃避だと思うのだ。
それは伊東豊雄、乾久美子、藤本壮介、平田晃久、畠山直哉『ここに、建築は、可能か』(TOTO 出版)を読んだときにも感じたこと。目先の対応ではない大きなビジョンって、ぼくは必要だと思う。知識人たちは震災後に、文明がいけない、経済成長がいけないといったインチキな反文明思想に流れて、大きなものに手を出すこと自体がいけないような雰囲気になっているけれど、そろそろでかい話もはじめてもらえないかな、とぼくは思っているんだけど……
なんか今回は、悪口ばかりになってしまったので恐縮。それぞれ、読んで考えさせられるものが多いという意味で、手にとってほしいとは思うのだけれど。次回はもっとストレートにほめる本が多いといいんだが。