Cakes連載『新・山形月報!』

経済、文学、コンピュータなどの多方面で八面六臂の活躍をする山形浩生さん。その山形さんが月に一度、読んだ本、気になる現象について読者にお届けする密度の濃いレポートです。

生物化・福島第一原発観光地化計画・世界情勢

お待たせしました、「新・山形月報!」の最新回は、次の本を取り上げています! デニス・シャシャ、キャシー・ラゼール『生物化するコンピュータ』講談社)、東浩紀『福島第一原発観光地化計画』(ゲンロン)、関満博『東日本大震災と地域産業復興 Ⅲ』新評論)、パスカル・ボニファス、ユベール・ヴェドリーヌ『最新 世界情勢地図』ディスカヴァー・トゥエンティワン)、クリストファー・アレグザンダー『ザ・ネイチャー・オブ・オーダー』鹿島出版会)です。山形さんがどうレビューしたか、ぜひ読んでみてくださいね。



ご無沙汰。しばらく日本にいない時期が続いたので、日本でどんな本が出ているのかもつかめず、さらに読もうと思ってこちらに持ってきた本はいまひとつのものが多くて、途中が少し空きました。申し訳ない。

が、持っていった中でめぼしいものとしては、デニス・シャシャ、キャシー・ラゼール『生物化するコンピュータ』講談社)がある。いま、いろんな分野—金融、医療から工学などなど—で、従来のデジタルで機械的なアプローチに加えて、生物の行動や自然現象を参考にして取り入れようとする動きがある。そんな最先端の動きを、16人の研究者に焦点をあて、その個人史まで含めてあれこれ説明することで解説した本がこれだ。

生物化するコンピュータ

生物化するコンピュータ

たとえば人間は怪我をすれば、ある程度は自力で勝手に直る。機械や既存のコンピュータはそうはいかない。ムカデやゲジゲジは無数の足を整然と使って動くけれど、それをプログラミングするのは実に面倒だ。大した頭も神経系も持たない昆虫は、はるかに計算力があるはずのロボットよりも実にスムーズかつ見事に動く。自分で学び、勝手に動き、解決策を見つける。これを機械に取り入れてやらせることはできないものか? すぐにモノになる技術ではないにしても、分野全体の大きな動きから、今後重要になりそうな思いつきを拾い出す著者の目の付け所は、大したものだ。いますぐどうこうという技術ではないけれど、今後半世紀くらいで、ここに挙がったいくつかは重要なアプローチとして出てきそう。世界を常に本当に変えてきたのは技術なのだから。

その一方で、多くの日本人はいま「技術」というとすぐに原発の話に頭がいく。それについておもしろかったのが、東浩紀『福島第一原発観光地化計画』(ゲンロン)。福島の原発跡地をどうするかは、今後あの事故とどう向き合うかを考える中でも重要。それについて、観光地化して廃墟/事故地観光により地域の再生と記憶の持続をはかろうという話だ。

着想は非常におもしろいし、それを具体的にどうやるか、何をどう見世物に仕立てるかについて、建築的なアプローチやデザイン、廃炉のやり方との関係、地域復興との関わりまで、思いつきの羅列にとどまらないかなりしっかりした検討が行われている。どんな施設を置いたらいいか、アクセスはどうする、そして(くだらないけれどかならず問題になる)不謹慎じゃないかとかいう揚げ足取りとどう向き合うかについての考察がなされているのだ。

抽象的にあれこれ言うよりも、こうした具体的な話に即して検討すると、足がかりがきちんと見えてきて議論が前向きになるという好例。地域開発、災害復興、産業開発、建築、その他各種分野の人を集めて、焦点を持った話にまとめあげているのは立派。だんだん原発の後始末についての関心も薄れてきているのは事実だから、それをこうした形で採りあげるのは、ぼくは有意義な試みだと思う。原発だけにとどまらず、国土機能分散といった課題との関係まで考えていて、目配りもよいと思う。

問題は……うーん、見ていても、「こういうところなら行ってみたい」という気分になる提案がほとんどないこと。それじゃ山形にもっといい提案があるかといえば、別にないので無責任な物言いではあるんだが(今後ずっと立ち入りできない地区ができるんだから、いっそ各種廃棄物の貯蔵に使えばいいと言う人もいたと思うけど、そのほうがまだこの本で行われている提案より現実味はあると思う)、でも観光地としての成否は観光客の無責任な興味をかきたてられるかどうかだと思うので。ただ、ぼくは決してよい観光客ではないし、ここに書かれた発想でも実はかなり人を集められるのかもしれないし、さらには本書でのいろいろな検討をヒントに新しい発想が出てくることだって十分あり得る。まずは興味本位で手に取ってみてはいかが?

なお、原発は東北震災の中でごく一部だということは常に肝に銘じておくべきだとぼくは思う。原発に過度に注目することは、逆にその他の部分を無視したり変な色づけをしたりする結果にもつながりかねないとぼくは思っている。その意味で、関満博『地域を豊かにする働き方:被災地復興から見えてきたこと』ちくまプリマー新書)を見て、未だに十分とはいえない被災地復興のことをもっと大きく考えてほしいとは思う。ちなみに同じ関満博『東日本大震災と地域産業復興 Ⅲ』新評論)がまもなく出る模様。前にⅠ~Ⅱは少し紹介した。新しい試みを考える一方で、これまで行われてきている地道な産業復興の軌跡を把握しておくことも重要だと思うので、出たら見ておいてほしい。

あと、旅先(ラオスカンボジア)に持っていった中でよかったもう1冊の本が、2011年に翻訳出版された、パスカル・ボニファス、ユベール・ヴェドリーヌ『最新 世界情勢地図』ディスカヴァー・トゥエンティワン)。世界情勢について、いろいろなデータを元に図化して、概略がつかめるようにした地図帳みたいな本。さらに後半は、いくつか日本を含む主要な国をとって、その国を中心に考えたときに世界はどう見えるかについての分析をしている。経済、資源、軍事、人口といった通常の視点だけでなく、環境や言語など変わった見方も提供されている。

たぶん、見ていてまったく驚くことはないと思うけれど、ときどきデータをふまえて全体を俯瞰的に見直すことは重要。本書はそれを非常に明解な形で展開してくれる。日本についての分析など、必ずしも賛成できない部分もあるかもしれないけれど、少なくともそういう見方があることを知っておくのは重要なので、手元においてぱらぱらめくることをおすすめする。

さて最後、クリストファー・アレグザンダー『ザ・ネイチャー・オブ・オーダー』鹿島出版会)。正直いって、この本は別にみなさんにすすめたいわけじゃない。分厚いしでかいし高いし、きわめて限定的なテーマを扱っているものなので。ただ大学時代にこの分野をいろいろ読んでいた腐れ縁で、ぼく個人としてはいまもチェックを続けているというだけの話ではある。

ザ・ネイチャー・オブ・オーダー 建築の美学と世界の本質 生命の現象

生命の現象 (ザ・ネイチャー・オブ・オーダー 建築の美学と世界の本質)

この人は、昔からいわば有機的な建築を目指しているというべきか、機能主義的な近代建築やモダン建築(定型的なオフィスビルやアパート)、奇矯なだけのポストモダン建築を批判して、多面的な建築と空間作りを目指せと言い続けて、そのために住民や利用者の参加を含んだ新しい建築のあり方と、それを実現するための、よい空間の基本形とも言うべき「パタン・ランゲージ」なるものを開発しているんだが……。理屈はさておき、ぼくはかれの関わった建築がおもしろいともすごいとも思ったことがない。その理屈もしょせんは、えらい先生の空理空論で、しかもそれがますます宗教じみてきている。

この本もそうした宗教がかった物言いが満載で、「生命性」だの「全体性」だのがどうしたこうした。たとえば360ページには、ある家の入り口の階段を作った話が出てくるけれど、まっすぐにしたらあまりよくなくて、S字っぽくしたら「自分の生命や魂の高まりの存在が感じられ始めたのです」だって。入り口の通路で魂の高まりを感じるのは人それぞれだけれど、ぼくは建築家がそんなことに口だしするのは大きなお世話だと思う。高層住宅では人々は自由になれない、ストレスを感じて死んでしまう——昔からある物言いだけれど、ぼくはそれはむしろ人の自由や創意を矮小化し、建築をなにやら必要以上にご大層なものにしようとする思い上がった発想だと思っている。が、人によっては(神様を求めて隷属したがる人はたくさんいるので)、そういった物言いをありがたがるかもしれない。

もちろん、建築とか空間のありようが多少は気分に影響することは、ぼくも認めないわけではない。でも結局、この人の理屈は昔の古い伝統的な建築はよかったという話に帰着して、いまこの高密都市居住の問題に対して建築が何を提供できるかについては、答を出せていないと思うし、また出そうとすらしていないところが後ろ向きだと思う。が、そうではないと思う信者もそれなりにいるようだ。さて、あなたは(もしこういうことに興味があるなら)どういう印象を持つだろ うか?

2日ほど日本に戻った中で、本はいろいろ仕入れたので、こんどは当たりがもっと多いのを祈りたいところ。ではまた。