Cakes連載『新・山形月報!』

経済、文学、コンピュータなどの多方面で八面六臂の活躍をする山形浩生さん。その山形さんが月に一度、読んだ本、気になる現象について読者にお届けする密度の濃いレポートです。

ヤノマミ・神秘体験・手話

今回の「新・山形月報!」で山形浩生さんが取り上げた本は次の通りです。バックパッカーにお薦めの一冊から脳科学ものまで様々ですよ! 高野秀行『謎の独立国家ソマリランド』本の雑誌社)、国分拓『ヤノマミ』日本放送出版協会)、宮地祐司『サイフォンの科学史』(仮説社)、ケヴィン・ネルソン『死と神秘と夢のボーダーランド』(インターシフト)、高田英一『手話からみた言語の起源』文理閣)。



そろそろ年度末に入ってきてばたばたしてきていますよ。一応、3月頭が一つの山だったんだけれど、あまり手離れがよくなくて、細かい注文がどんどんやってくるので気持ちが萎えております。みなさんいかが?

1月が終わって外国出張が落ち着いているのはありがたい一方で、日本にいるのも手持ちぶさたではある。昨年の今頃はエチオピアをうろうろしていて、その近所にあって気になっていた国がソマリランドだった。で、それについての本が出ていた。高野秀行『謎の独立国家ソマリランド』本の雑誌社)。

謎の独立国家ソマリランド

謎の独立国家ソマリランド

高い志があるわけではなく、人の行っていない国に行ってネタを探そうという著者が、そもそも入り方すらわからないソマリランドにでかけ……という話。実は最初のほうでソマリランドの行き方がわからんと騒いでいるあたりでは、ぼくはあまり感心していなかったのだ。

ソマリランドはそんなに行きにくい国ではない。去年エチオピアにいく時に買ったロンリープラネットのガイドブックにも、ソマリランドへの入り方や見所は ちゃんと出ている。そのくらいには安全だということだ。ぼくも、ジブチの港を見てみたいと思っていたので、そのついでによっぽど行ってみようかと思ったほ ど(むろんあの地の状況はすぐ変わるので、行くときにはちゃんとチェックしてほしい。一応エチオピアとは戦争中なので)。ちょっと脚色しすぎじゃないです か、と思ってしまったのだ。

でも、だんだん現地に入り込んで国家システムがないところでも自然発生的な秩序が出来ているのを詳しく記述しはじめると、やはり現地を見てきた迫力がだん だん出てくる。さらに後のほうで、プントランドや南部ソマリアまで出かけているのにはびっくり。あそこはリアル『北斗の拳』の修羅の国だと聞いていた し……ここらへんの状況を書いた本はなかなかない。深い地政学的・経済的・制度論的な考察があるわけではないが、逆にあまり色のついた記述にはなっていな いのがありがたい。もうちょっとまとめてくれてもいいんじゃないかと思うが、まあそれは著者の持ち味でもある。

結構重い、考えようによっては深くつっこめるネタもたくさんありながら、非常に楽しく読めるという点でおすすめ。冒頭にも書いたけれど、実際に行くのもそんなにむずかしくなさそうなので、年度が終わって暇にしているバックパッカー諸賢は是非。

こういう現地紀行はやっぱり楽しい。他の人が見るところは、自分とはちがう。同じところを見てもまったくちがう場所に思える場合さえある。そしてぼくが一生知ることはない場所の記録は、それだけで貴重なものだ。その一つが国分拓『ヤノマミ』日本放送出版協会)。アマゾンの奥地にいる少数民族で、一万年前と代わらない生活を送っているとされる人々。NHKがテレビ/映画を撮りに現地に入り、地元の人々と暮らした記録だ。

これは当然、文明社会とはまったくちがう暮らしだ。ジャングルの中で、ジャングルの制約をそのまま受け入れつつ、時に自由に、時には自然や祖先の霊を恐れ つつ生きる人々の暮らしだ。その一方で、その彼らもぼくたちと同じように悩み、笑い、怒る人間でもある。同じでありながら、かくもちがう—それがこの本の持つ感動にもつながる。

特に、彼らの精霊とのつながり、ぼくたちには感じることのできない不思議な意識の描写は、不気味さとも郷愁ともつかない気持ちを引き起こす。いま自分たち が生きているのとはまったく別種の生き方がある。それがかくも慎ましく穏やかでありながら人間的であることについて、ぼくたちは後ろめたささえ感じてしま う。その意味で、これは『謎の独立国家ソマリランド』とは別の意味でよい紀行文となっている。

ただ……お客さんが観察できることには限界がある。実はこのヤノマミを読もうと思ったのは、最近『The Economist』に載ったある本(Napoleon Chagnon『Noble Savages: My Life Among Two Dangerous Tribes―the Yanomami and the Anthropologists』[Simon & Schuster])の書評のせいだった。

ぼくはこの本自体は未読だ。しかしヤノマミを六十年代からずっと調査してきた著者の描くヤノマミ像は、国分の本から読み取れる平和で穏やかな存在ではない らしい。女の2割は、周辺の部族からかっさらってきたものだ。原始人を戯画化したマンガでは、男は隣の村にでかけて女をぶんなぐって髪の毛つかんでひき ずってくるけれど、まさにあれをやる。そして連れてきた女はもちろん暴れるので、みんなでおとなしくなるまで集団強姦。村の一番強いやつがそれをもらう。 男も女も異様に嫉妬深く、家庭内暴力まみれ。実はこのシャグノンの本は、このヤノマミの暴力性を根拠に、人間は生得的に暴力的なんだと主張することなんだ が、それはここではおいておこう。

もちろん、このシャグノンの本をもとに、国分『ヤノマミ』がダメだとか、それがまちがっているとかいうつもりはない。そしてそのおもしろさもまったく減るものではない。ただやはり、それが一面的かもしれないという点には留意が必要だろう。これはあらゆる紀行文について言えることではあるのだけれど。

さて、全然関係ない本でおもしろかったのが宮地祐司『サイフォンの科学史』(仮 説社)だ。サイフォンは、風呂おけにたまった水を出したり、灯油をついだりするときにだれでも目にしたり、自分でも使ったりしている。水はホースの中で、 いったん高いところ(たとえば風呂桶や灯油入れのふち)を超えて、もとの液面より低いところにどんどん流れていく。これは水面にかかる大気圧の差のせいな んですよ、というのが古典的な説明で、みんなそうだと思っていた。高い水面のほうを押す圧力がわずかに高いので、液体はホースに押し込まれるのだ、と。物 理学の解説書や辞書でも、そう説明されているのだ。

サイフォンの科学史―350年間の間違いの歴史と認識

サイフォンの科学史―350年間の間違いの歴史と認識

ところが……大気のないところでもサイフォン現象は起こる。著者はそれを実際に実験してみせる。空気を抜いたびんの中—つまり大気圧のないところ—でもサイフォン現象は起きてしまう。すると大気圧説はまちがっている! コロンブスの卵みたいな話。著者は自分の結果を検証すべく、あれこれ実験を重ねて疑問の余地が残らないようにするとともに、この大気圧説の歴史をたどる。

つまりは、だれもちゃんと実験しなかったということ。そして、自分なりにこの現象を説明する理屈を考えつく。水の分子が多少つながりあっているので、それ に引っ張られて鎖状になるのだ、とのこと。ふーむ。いやこんな基本的なところにまだ驚きが残っていたとは。おもしろいので科学少年少女(のなれの果て)は ご一読を。小学校の自由研究にも向いているかも。

なんか今回は科学系の本ばかりだけれど、もう一冊変わった本がケヴィン・ネルソン『死と神秘と夢のボーダーランド』(インターシフト)。夢とか臨死体験とか神秘体験というのがあるけれど、あれは何、というのを脳科学から考えてみた本だ。基本的な主張は、こうした体験は大脳皮質が脳の中で脳幹と直結されて、そこでの情報処理が知覚を支配するのだ、ということ。

要するに、神秘体験なるものはしょせん、夢にすぎない。でも脳幹は最も原始的な部分で、トカゲなんかとも共通する部分だ。そこでの情報処理は、生死に関わ る切実さを持つものとなる。だからこそ、ある種の神秘体験はその人にとって異様な迫力を持ち、決定的な作用を持つのだ、という。オカルトな体験を、単なる 幻覚だとか妄想だとかで片付けず、なぜそれが切実さを持つのか、といったところまで考えたのはおもしろい。もちろん仮説ではあるけれど、なかなか説得力は あるんじゃないか。

そして最後が高田英一『手話からみた言語の起源』(文 理閣)。これは音声中心になってしまいがちな言語の話に、手話を通じて身振りの観点を組み込んだおもしろい本。そしてまさにその音声中心の発想から、手話 というのが一時は口語教育のじゃまということで排斥されていたなど、意外な歴史の話も展開される。でも言語というものの発達を考えると、まだ十分にしゃべ れない頃は身振りや絵といったものがコミュニケーションで大きな役割を果たしたはず。

そこから著者は、洞窟壁画さらにはエジプトのヒエログリフのようなものが、描かれた図の通りの身振りを使ったコミュニケーションの系譜にあり、言語の基盤 になったのだと主張する。これがどこまで妥当性を持つ話なのかはわからないし、ヒエログリフと身振りの対応はいささか強引に思える。学説として確立したも のではなく、著者一人の説らしい。ちなみに著者が準拠する、アフリカで人類は森からサバンナに出てきたことで直立歩行するようになったという説はいま ちょっと怪しいと思われているようだ。でも言語の発達を考える中で別の見方としては興味深いし、その前段となる手話の話だけでもかなりおもしろい。

今回は、多少忙しかったのであまり点数がないし分野が偏ったけれどお許しを。次回はどうなりますやら……という以前に、無事年度が越えられますように。では。