Cakes連載『新・山形月報!』

経済、文学、コンピュータなどの多方面で八面六臂の活躍をする山形浩生さん。その山形さんが月に一度、読んだ本、気になる現象について読者にお届けする密度の濃いレポートです。

吾妻ひでお、代謝、ベーシック・インカム

連休直前の「新・山形月報!」が取り上げるラインナップは、次の通りです。吾妻ひでお『ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド』復刊ドットコム)、アンドレアス・ワグナー『進化の謎を数学で解く』文藝春秋)、グレゴリー・チャイティン『ダーウィンを数学で証明する』早川書房)、原田泰『ベーシック・インカム』中公新書)、野口旭『世界は危機を克服する』東洋経済新報社)と若田部昌澄『ネオアベノミクスの論点』PHP新書)などなど。コミックから経済書まで、気になるものをチェックしてみてください!



年度末がやっと終わった……という間もなく新年度で部署が異動になり、かなりバタバタが続いてはおります。そんな中、息抜きとして買ったのが『ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド』復刊ドットコム)。吾妻ひでおのマンガを買ったのは何年ぶりかな。大学以来だから、もう30年か(遠い目)。買った時は、単なるノスタルジーの対象でしかないだろうと思ってはいた。でも実際に手元に届いたのを読んで見ると、あまり古びていないのは驚きだった。

ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド

ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド

本書『ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド』は、かつてきわめて入手困難な同人誌に収められたものとか、連載のボツになったのを集めたもので、作品の多くは1980年代に書かれている。描かれている内容の一部は元ネタを思い出すのに苦労するほどではあるけれど、でも全体のテーマや絵柄などは、あまり違和感がない。たとえば、いま和田慎二スケバン刑事』とか『超少女明日香』あたりのマンガを読むと、いささか時代がかった感じはある。この本は、そういう感じがしないのだ。

それは特に描かれている女の子のスタイルとかファッションなどに感じられる。当時、女の子はロングスカートが流行で、うちの妹なんかも校則違反覚悟でスカートの折り返しを伸ばしたりしていたけれど、吾妻ひでおは当時から膝上ミニで徹底していた。またロリコン系の嗜好も、その後のトレンドをほぼ先取りしたものとなっている。その意味で、かつての吾妻ひでおはいまにして思えば先駆的だったのだな、というのが本書を読んで改めて感じたこと。

むろん、本書はやっぱりマニア向けの落ち穂拾いではあるので、吾妻ひでおを読んだことのない人にこれをいきなり薦めるわけにはいかない。何を薦めるのがいいのかなあ。『チョコレート・デリンジャー』青林工藝舎)あたりかな。最近の本当に歪んだ妄想にまみれたお下劣なロリマンガに比べると、ずっとお上品なのでぬるいと思われるんだろうか。だけど、なんかチャンスがあれば、若い人の間でもっとリバイバルされてもよい存在じゃないかとは思う。

で、今月読んだ本で一番おもしろかったのは、アンドレアス・ワグナー『進化の謎を数学で解く』文藝春秋)。しばらく前にグレゴリー・チャイティン『ダーウィンを数学で証明する』早川書房)を読んだけれど、題名とはうらはらに、証明できているとは思えなかった。DNAがある種のプログラミング言語的なもので、そこからいろんな組み合 わせが可能であり、というのはわかる。でも、ぼくがちゃんと読めていない部分もあるんだろうけれど、そこでの主張の基本は、DNAはある種の万能チューリングマシンとして解釈できるので、無限の時間と無限の組み合わせがあれば、いずれ何でもできます、というのにすぎないのでは? それでは進化論を証明したとはいえない気がして、いま一つ納得できなかったのだ。

進化の謎を数学で解く

進化の謎を数学で解く

この『進化の謎を数学で解く』は、そんな疑問点にきちんと応えてくれるものだ。カバーしている範囲は実に広範なので簡単にまとめきれないんだけれど、基本的な疑問としては、生物の生体維持のための各種複雑な相互依存が、偶然のみで生じているとは考えにくいということ。進化論への反論として、こんな複雑な生物が、偶然に起こる突然変異の積み重ねだけでできたとは考えられない、という主張がある。これに対して進化論の支持者は、それが十分に考えられることを示してきたんだが、でもやはり細かいレベルで見ると、単純にランダムな偶然だけで説明するにはつらい部分が多々ある。では、いったいどうやってそれが実現されたのか?

『進化の謎を数学で解く』が 出す答えは、それが実は単純にランダムな偶然ではない、というもの。といっても、何かそれを導く神様の意志があります、なんて話ではない。まず、ある機能 を果たせる遺伝子型や表現型は、実は生物に1つしかないわけではない。その機能とかなり似た選択肢は実は大量に存在しているのだ。これでその機能へたどり着く確率は大いに高まる。

そして著者は、生命にとって重要なのは代謝なんだ、という。その代謝を実現するための遺伝子の組み合わせは、「遺伝子型ネットワーク」によって意味あるもの同士が結ばれているというか、系統化されている。だから突然変異とかも完全にランダム、というわけではない。すでに存在する表現形をもとにして実現可能な次の進歩というのは限られているわけだ。著者はコンピュータのシミュレーションで、これを示している。

この二つの組み合わせによって、突然変異でそのときに本当に必要とされている表現形が生まれる可能性は飛躍的に高まる。これにより、必要とされている突然変異が生まれて、進化によりますます複雑な生物が生まれる確率も大幅に改善される!

これだけでも十分におもしろいんだけれど、本書は最後にこの生物の進化を人間の技術革新と結びつける。生物進化、さまざまな代謝系の発見と組み合わせは、イノベーションであるというわけ。そして人間の技術においても、イノベーションはまったくの偶然のように見えて、まったくの偶然で生じるのではない。いまある技術に重ねて、あるいはその組み合わせで次の進歩がある。だからこそ、人間の歴史を見ると、なんだかあまりにできすぎたタイミングで次の技術革新が起こっている(ように見える)ことがたくさんある。

著者は、ひょっとしたらそれが脳の働きで実装されてるんじゃないかとまで言う。脳も、ネットワークを探るような形で次の有益な組み合わせを探索し続けているんじゃないか? もうここまでくると、完全な憶測の世界だけれど、アイデアとして実に刺戟的。そして、この議論を踏まえるなら、人類の将来について、少し希望が持てるようになるかも。いまの技術は行き詰まりを見せていて、もう新しいものが出てこない、という考え方がある。そして経済成長は、長期的には技術革新が原動力だけれど、そんなに都合よく次の技術革新が起こるんだろうか、という悲観的な声も多い。だけれど、本書の考え方は、それほど悲観しなくてもいいかも、という見方をうながすものでもある。もちろん……進化がローカルピークに入り込んで、行き詰まる例だってたくさんあるので、将来がすべてバラ 色ってことにもならないんだけれど。

ただ警告しておくと、いろいろ大風呂敷な本なので、流し読みして理解できる本ではない。これは著者の書き方もあって、少々比喩がすべっているところや脱線気味のところも多いし、自分がいかにこの理屈を発見したかの物語もたくさん出てくる。でも、がんばって理解しようと努力するだけの価値はあります。

さて、経済の話がちょっと出たところで、最後に経済の話を。まずいまや日銀の審議委員になってしまった原田泰の『ベーシック・インカム』中公新書)。生活保護とか企業福祉とかやめて、生きてるすべての人に一定額を支給する、ベーシック・インカム制度のすすめだ。これはちょっと前に政党がマニフェストに盛り込むなどしてよく取りざたされていたアイデアだけれど、最近あまり耳にすることがなかった。でも、日本の現状で、とにかく生活の最低限の安心を確保するのは、雇用面でも、子作りでも、きわめて重要なことだ。いま、多くの福祉は(社員に対しては)企業が提供しているけれど、それが企業にとっても負担になっているし、また就職できていない人はそれだけでものすごいハンデになる。さらに正規・非正規の格差も生じてしまう。それらが日本経済の足を 引っ張っている!

ベーシック・インカム - 国家は貧困問題を解決できるか (中公新書)

ベーシック・インカム - 国家は貧困問題を解決できるか (中公新書)

 そ して現状では、企業の福祉と公共の福祉とが重複してややこしくなる。それに比べると、ベーシック・インカムはシンプルなのでお役人の変な裁量の余地もないからコストもかからない。さらに公平感もあるし、憲法でいう最低限の生活を本当に直接的に保証するものだし、いまの複雑な仕組みよりずっといいじゃない か、という話。

でも、そんなお金が日本の財政にあるのか? ある、と原田は試算する。実はそんなにかからない。3-4兆円ほど。日本の予算からすればそれほどではない。その他、いろいろ考えられる批判に対しても、きわめて簡潔に解説されている。中公新書の中でも異様に薄いので、読みやすいし、非常に勉強になります。

ちなみに、このベーシック・インカムについては、井上智洋が「機械が人間の知性を超える日をどのように迎えるべきか?—AIとBI」 (『シノドス』、2014.12.16) なる小文でかなりぶっとんだことを論じていておもしろい。いまベーシック・インカムに反対する人って、就職して稼ぎもあって、それが自分の実力によるものだと確信している人が多い。生活できないのは怠けてるからだ、それに黙ってカネをくれてやるのは許せん、というわけ。でももうすぐ機械が賢くなって、人間なんかどんどん役立たずになる。そのとき、人間であるというだけでお金がもらえるベーシック・インカムの仕組みをまじめに考えるべきでは、という話。原田の問題意識とはかなりちがうけれど、ベーシック・インカムの発想自体、いろいろ使いでのあるものとして今後広まりそうな気はする。

最後に、野口旭『世界は危機を克服する』東洋経済新報社)と若田部昌澄『ネオアベノミクスの論点』PHP 新書)。これはどちらも、いまのアベノミクス/大規模金融緩和を支持しつつ、これから消費税率引き上げの悪影響を克服するよう、もう一段金融緩和を奨めろ と主張する本。副題は「ケインズ主義2.0」と銘打たれている野口旭の本は、非常に大部で、これまでの詳しいふりかえりから現在の金融政策&財政出動というポリシーミックスをケインズ主義2.0と位置づけて論じたもの。ちなみに「ケインズ主義1.0」は、戦後の財政出動重視のケインズ政策ね。分厚いけれどわかりやすいので、基礎から勉強したい人はお読みください。

若田部昌澄の『ネオアベノミクスの論点』は、クルーグマンが帯を書いているのでびっくりしたけれど、どうも英語版も出るらしく、それを読んだコメントのようだ。クルーグマンが日本語で新書を読んだわけではないんですねー。こちらも、アベノミクスが最初はよかったが、消費税率引き上げでそのよい影響をご破算にしたので、初心にかえってもう一度金融緩和をやらねば、という本。

この2冊、リフレ派のぼくが読むと「そうそう、いやあ、みんな言ってることですよねー、その通り」で終わってしまう。ぼくから見れば、本当に当たり前のことしか書いていないように思えてしまうので、ほめるにも苦労するんだけれど、でも非常にまとまりのよい本です。いい加減、リフレ政策も世間的に十分理解されたと思いたいけれど、実際はまだまだ「ハイパーインフレが日本を襲う」とか口走る人も多いので、こうした啓蒙的な本を是非お読みいただければ幸い。

ではまた、ゴールデンウィーク明けにでも。