Cakes連載『新・山形月報!』

経済、文学、コンピュータなどの多方面で八面六臂の活躍をする山形浩生さん。その山形さんが月に一度、読んだ本、気になる現象について読者にお届けする密度の濃いレポートです。

テンプル騎士団・宗教学・ケルズの書

今回の「新・山形月報!」のテーマは、あのテンプル騎士団とケルズの書!? 取り上げる本は、ウンベルト・エーコ『フーコーの振り子』(文春文庫、上下)、橋口倫介『十字軍騎士団』講談社学術文庫)、レジーヌ・ペルヌー『テンプル騎士団の謎』創元社)、大田俊寛『宗教学』人文書院)、バーナード・ミーハンの創元社から出た『ケルズの書』創元社)と岩波書店から出た『ケルズの書』などなどです。



ゴールデンウィークが明けて少し経ったわけですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。さて、今回はちょっと変な方向に話が向かいます。テンプル騎士団とケルズの書の話だ。

なんでそんな話を漁っているのかというと……しばらく前に、ぼくがロレンス・ダレル『アヴィニョン五重奏』河出書房新社)を読み進めていたことご記憶の方もいるだろう。あの連作のモチーフとして登場したのが、この不完全で誤った世界からの離脱(つまりは集団自殺)を目指すグノーシス派の秘密教団と、そして舞台となるアヴィニョンに大きな拠点を持っていたテンプル騎士団の話。

で、このテンプル騎士団とは何ぞや? 簡単な説明としては、11世紀あたりにヨーロッパからエルサレムへの巡礼が増え始めたので、その保護を行うための組織として登場した、修道院僧侶の騎士組織の一つ。軍事組織としても優秀で、その後は十字軍の主要兵力となったうえ、長い巡礼の道中を保護しようとしたら、物資や資金の輸送ネットワークも必要となるため、非常に強力な拠点を各地に設けた。各種の寄進を受けておりかなりの財力もあったし、それをベースとして手形による金融サービスや各種融資を行い、現代の国際金融の基盤とも言われる。ところが突然、14世紀冒頭に、同性愛や蓄財や異端の嫌疑をかけられ、お取り潰しにあう。それがあまりに唐突だったのと、強大な軍事力や財力を持ちながら、なんら抵抗らしいこともせずにあっさり潰れたこともあって、現代に至るまでさまざまな憶測の種となっている。テンプル騎士団の隠し財宝とかの噂もひっきりなし。

んでもって、組織としてはきわめて秘密結社的な部分が大きかった上、異端審問にかけられて潰されたというので、裁判記録が残ってあれやこれやの拷問による自白は想像力をかきたてられるし、一方でよくわかっていないところも多いので妄想を展開する余地も多く、いろんな陰謀論にはやたらに登場する。各種陰謀オカルト論者たちが跋扈する変な小説、ウンベルト・エーコ『フーコーの振り子』(文春文庫、上下)でも、「陰謀論イカレポンチを見分ける方法は簡単:しばらく話をしてると必ずテンプル騎士団を持ち出してくるから」と嘲笑されているくらい(と言いつつ、この小説もテンプル騎士団についてかなり優れた考証をしているんだけど)。

かれらはフリーメーソンの源流とされるし(これ自体はホント)、実は巡礼保護などではなく、エルサレムで失われた聖櫃(あのインディ・ジョーンズ第1作『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』でみんなが追いかけてた代物)の発掘が任務だったのだとか、聖杯守護が仕事だったとか(インディ・ジョーンズの第3作『最後の聖戦』で、聖杯を守っていた幽霊騎士団のモデルがテンプル騎士団ね)。もちろんかの『ダ・ヴィンチ・コード』(角川文庫、上中下)にも登場いたします。

フーコーの振り子 上 (文春文庫)

フーコーの振り子〈上〉 (文春文庫)

はい、お疲れ様です。で、ぼくも断片的な話は漠然とは知っていたんだけれど、きちんとした話は知らなかった。でもダレルの小説を読むうちに、なんか思わせぶりに出て来るので、少しお勉強しておこうと思ってあれこれ読んでみました。が、結構いい本がなくて苦労しました。素人的には、きちんとした話も知りたい一方で、上のオカルト陰謀論的な話も関心はある。それがホントだとは思わないけど、あらゆるもっともらしい話はちょっとした薄い根拠くらいはあるし、そうでなくても発端くらいはある。どこをどう曲解すると、変なトンデモ陰謀論ができあがるのかは非常に興味あるところなのだ。ところが、日本語の本はぼくが見た限り、完全にオカルト陰謀脳に侵されたトンデモ本か、あるいはもっと真面目な研究書。前者はまともな史実が薄く、後者は著者がみんな生真面目な方々で、楽しい陰謀論に触れてもくれない。

個人的に一番よかったのは、英語になっちゃうけどMichael Haag『The Templars: Hystory and Myth』(Harper Paperbacks)で、きわめて詳しい史実(詳しすぎて、テンプル騎士団が出て来るまで聖書とエルサレムのソロモン神殿の歴史とイスラムの背景解説が 90ページも続く)の一方で、変なトンデモ解釈がどこから生じたのか、最近のポピュラー文化でいかにインチキな扱いを受けているかまでしっかり書いてくれる。日本語の文献で言うと、ぼくもすべて読んだわけじゃないけど、もっともいいのは橋口倫介『十字軍騎士団』講談社学術文庫)とレジーヌ・ペルヌー『テンプル騎士団の謎』創元社)。これはどっちもおすすめ。

『十字軍騎士団』の良さは、テンプル騎士団だけの話にとどまらず、もっと大きな流れの中でかれらの位置づけを行っていること。テンプル騎士団意外にも、類似の組織として聖ヨハネ騎士団(後にマルタ騎士団につながる)、チュートン騎士団なんかがあったんだけれど、そのちがいは? なぜテンプル騎士団だけがお取り潰しに? その原因となる説にはどんなものがあるの? その全体の背景となるヨーロッパの生産力増大とイスラムとの関係は? こうしたポイントをきわめて要領よく示してくれる。マルタ騎士団とかチュートン騎士団とかも、オカルト陰謀ネタでは定番ですので(ハメット『マルタの鷹』でみんなが追いかけるマクガフィンに使われたマルタの鷹の像は、騎士団ゆかりの代物なんですねー)、まとめて理解すれば一石三鳥。図も(文庫だから小さくて白黒だけれど)それなりに使い、非常にわかりやすい。特に騎士団の拠点の分布とか、地図を使って示してくれているので、地理的な把握にも好適だ。原著は 1971年の古い本だけれど、いまでもあまり古びていない。

一方、ペルヌー『テンプル騎士団の謎』は、 なんといっても図版がすばらしい。きわめて豊富なカラー図像で、テンプル騎士団その他がどう描かれてきたかのイメージは実につかみやすい。また後の神話化や近年の変な連中(テンプル騎士団にインスパイアされたカルトの集団自殺とか)についても、いやいやながら触れている。ただ……これだけ図版があるのに地図が一つしかないため、活動の広がりの理解といった点では橋口の本には劣るかな。でも見ていて最も楽しいのはこれ。

テンプル騎士団の謎 (「知の再発見」双書)

テンプル騎士団の謎 (「知の再発見」双書)

同じペルヌー『テンプル騎士団』文庫クセジュ)は、もっと学問的。また、テンプル騎士団の金融的な役割については、「他の修道院でもやってた」とあまり評価はしていないのはちょっと不思議。図版は一つもなしで、陰謀論系の話は、触れる価値もないと言ってまったく触れず。また、篠田雄次郎『テンプル騎士団』講談社学術文庫)は通りいっぺんなうえ、すべて非常に断定的に書かれていて、ぼくはあまりいいとは思わなかった。

実は、2008年にヴァチカンの倉庫からテンプル騎士団裁判当時の教皇が、「テンプル騎士団は異端活動なんかしてないよー」と述べている文書が発見されている。結局、当時のフランスの王様が騎士団の財産目当てに口実つくってかれらを潰しただけで、教皇は当時後継争いもあってローマにはいられず、アヴィニョンに逃げていた(はい、これが冒頭の『アヴィニョン五重奏』との接点ですな)。で、フランス王とやりあう度胸もなくて、テンプル騎士団を見殺しにしたってことらしい。が、まだまだいろいろ妄想を繰り広げる余地はあるので、お暇なかた、お好きなかたは是非ご覧あれ。

もちろんこの話の背景には、キリスト教(そしてイスラム教との対立)という問題が色濃く流れている。そうした宗教そのものの理解のためのよい本として、「ブックガイドシリーズ―基本の30冊」の一冊である、大田俊寛『宗教学』人文書院)が出ている。大田はオウム真理教やその他新興宗教について、宗教学の立場からきちんとしたまとめと反省を行っている珍しい学者。その過程で、宗教って何なのか、という問いをしっかり考え直している。宗教は、社会をまとめるためのフィクションであること、ベースには呪術的、神秘主義的な体験があっても、それが社会にとって持つ意味が抜きがたいものであること、その一方でそれが、死に関する呪術的な側面を決して無視できないものであることを、大田は本書でもまず確認したうえで、その理解に役立つ30冊を紹介してくれる。

一つだけ不満があるとすれば、イスラムについての本が井筒俊彦の一冊しかないこと。いまのイスラム国の動きをふまえて宗教の立場から何が言えるのか—それは多くの人が関心あることだと思う。先日紹介した『「イスラーム国」の衝撃』池内恵はしばしば、井筒のイスラム解釈は仏教を経由したもので、けしてイスラム研究の保守本流ではないことを指摘する。現状について、距離感を持ちつつ (つまりずぶずぶのイスラム神学者なんかじゃないってことね)宗教的な観点について教えてくれる本ってないものか、と最近ちょっと思ったりするんだけど。が、それはマイナーな揚げ足取り。全体として、宗教の課題、重要性、危険性と役割をうまく示してくれる、よいブックガイドになっていると思う。

そして最後に、ケルズの書。これは、オカルト陰謀系には意外と出てこないものだな。羊皮紙装の巨大な本で、文字と図版とが渾然一体となった、おどろおどろしくも美しい本だ。存在感たっぷりなので、これに秘められた力が古代の呪いを呼び覚まし……みたいな安易なホラーはいくらでもできそうなもんだけど。ダブリンに行くと、重要な観光資源として大きくクローズアップされていて、ぼくもトリニティ・カレッジに見物にいったっけ。

ケルズの書――ダブリン大学トリニティ・カレッジ図書館写本

ケルズの書—ダブリン大学トリニティ・カレッジ図書館写本

今年になって、この本のでっかい解説本が出た。バーナード・ミーハン『ケルズの書』岩波書店)。で、ちょうどテンプル騎士団ネタでキリスト教がらみの話に頭が傾いていたもので、こちらも見てみようかと思いつつ(ぼくは変わった本が好きなので)、値段が値段なので(8000円近く!)、少し日和って同じ著者のもっとお手軽な(それでも定価は4000円強)解説書をまずは読みました。同じミーハンの『ケルズの書』創元社)だ。

恥ずかしながら、見物に行ったときはちゃんと解説を読まなかったのと、本体は非常に人だかりがしていてあまり近くで見られず、むしろ同時に展示されていた人の革で装幀された本とかで喜んでいたこともあって、あまりしっかり理解せずに帰ってきてしまった。ケルズの書がキリスト教関連の代物だというのは知っていたけれど、意匠だけ使った絵解き本か謎の怪文書かなんかだと思い込んでいた。でも今回解説書を読んで、これが聖書の福音書写本なのだといういちばん基本的なところを初めて知りました。

写本を作った人々は、章の冒頭の文字を巨大にして、そこに図像を書き込み、さまざまな動物や人物の絵を含む各種紋様によるシンボリズムを作り上げた。魚が持つ意味、くらいは知っていたけれど、クジャクやライオンがどんな意味を持つか、というのは、漫然と見ているだけではわからない。その図像も、そのページの内容に即したものもあれば、純粋に装飾的なもの、写本製作者の趣味など様々。ただ、欠点を敢えていうなら、図像の細部の多様性は見飽きないけれど、個別の図像にフォーカスするので、本の全体像がつかみにくい。

ということで、概要がわかったので岩波版ミーハン『ケルズの書』も手に取りました。これは全体像がつかみにくいという問題を一掃してくれる。美しい印刷製本の大判の本で、本の全体像や、ページの全体原寸複製がドーンと出て、そのうえでそれぞれの図像の説明が入る。創元社版のやつで取り上げられていた各種の図像、たとえば行間に(あまり意味なく)書き込まれている動物とかも、どんな具合になっているのか一目瞭然。大判でページ数が増えた分、各種の解説もずっと詳しくなっている。

すでに書いたけど、創文社版は4000円で、岩波書店から出たのは8000円ほど。でも内容的には、後者は前者の10倍くらい詰め込まれていると思う。ページ単価で見たコストパフォーマンスは圧倒的(その分、置き場には苦労する巨大な本ではあるけれど)。コンパクトさを選ぶか、オリジナルの迫力を選ぶか。ちなみに、ケルズの書自体は、ダブリン大学トリニティ・カレッジのサイトでも全部見られる。まずはこちらをご覧のうえ、お気に召したらこのどちらでもいいから手に取って深入りしてみてください。オンライン版は、ちょっとくすんだ感じだけれど、岩波版は非常に明るい図版でずっと見やすい。奇書が好きな方は是非どうぞ。

これでやっと、『アヴィニョン五重奏』を読み終えられるかは、次回以降のお楽しみ。ではまた。