Cakes連載『新・山形月報!』

経済、文学、コンピュータなどの多方面で八面六臂の活躍をする山形浩生さん。その山形さんが月に一度、読んだ本、気になる現象について読者にお届けする密度の濃いレポートです。

孤独・ミシン・ケインズ

春めいてきましたが、皆さん、読書していますか? 今回の「新・山形月報!」は、オースン・スコット・カード『エンダーのゲーム』(ハヤカワ文庫SF、上下)、マイクル・クライトン『アンドロメダ病原体』(ハヤカワ文庫NV)、アンドルー・ゴードン『ミシンと日本の近代』みすず書房)、J・M・ケインズ『デフレ不況をいかに克服するか』(文春学藝ライブラリー)、『ケインズ説得論集』日本経済新聞出版社)などが論じられています。ぜひ、チェックしてみてください!



お久しぶりです。通常、ぼくの仕事はあまり年度とは関係ないんだが、今年に限ってはなぜか3月締めの仕事が多く、それもゴリゴリに経費チェックされる面倒 なプロジェクトがあってばたばたしております。みなさん(社会人)は、無事年度を越えられそうですか?

さて、今回はオースン・スコット・カード『エンダーのゲーム』(ハヤカワ文庫SF、上下)の新訳版を読んだ。実は『エンダーのゲーム』は、ぼくの大学/サークル/翻訳者としての大先輩たる野口幸夫かつて訳していた。それが、映画公開(なんかすぐ終わってしまったので未見)にあわせて新訳版で出されたものだ。

エンダーのゲーム〔新訳版〕(上)

エンダーのゲーム〔新訳版〕(上)

『エンダーのゲーム』は 6歳の少年エンダーの成長物語。かれは異星人による第3次侵略に備えるべく、地球艦隊総指揮官の候補として密かに選びだされ、超エリート士官養成学校にぶ ちこまれる。その中で、エンダーを最高の指揮官に仕立てるために教師陣が行うこと、それはエンダーを孤立させることだ。他人をあてにできない/しないこと を心身にたたき込む。それにより、ある目的に向けて冷酷かつ計算高く戦略を練りあげる至高の指揮官が生まれる『エンダーのゲーム』って基本はそういう話。もちろん最後に、その問題の異星人との対決は出てくるんだけれど、それはもうおまけみたいなもので、えらく駆け足になる。

この本は、アメリカではプロからも一般読者からも高い評価を得ている。その理由についてぼくは、これが孤立と孤独の物語だから、というのが大きいんじゃな いかと思う。孤立や孤独というのは、かつてのSFを支える一つの感情的な支柱だとぼくは思っているからだ。

昔は(いや今だってそういう面はある)SFなんて出来の悪いおたくのいじめられっ子の逃避読み物だった。でもSFでは、そういう孤立した子たちが実はなに やら特殊能力持ちのエリートだったのだ、という話が量産されている。実は現実世界のそうした子たちはあまり能力や魅力がないがゆえに孤立していたりするん だけれど、でも彼らはSFを通じて、自分たちは何か特殊な役割や能力を持っていて、そのために孤立しているんだ、という夢想にふけることができるわけだ。

たぶん一部の人しか知らないだろうけれど、オッドマン仮説というのがある。マイクル・クライトン『アンドロメダ病原体』(ハ ヤカワ文庫NV)に出てくるものだ。その仮説のひとつには、最後のピンチになって何の根拠もなく何か重要な選択をしなければいけない状況で、なぜか独身男 性が統計的に正しい選択をすることが多い、というものがある。本当にそんな仮説がどこかにあるのか、それともクライトンがでっちあげたものなのかは知らな い。小説の中では、この仮説のおかげで主人公の男性が病原体研究施設の核自爆装置のスイッチだか解除装置だかを与えられる。そしてクライマックスでは(も ちろん!)カウントダウンと戦いつつそいつが……。

さて当時のSFファン(もちろん彼女のいない独身男性がほとんど)は、そのオッドマン仮説がえらく気に入った。「そうだ、オレたちはいざというとき正しい 判断ができる! 彼女がいるやつとはちがうんだ! オッドマン仮説だ!」といった負け惜しみの気勢を飲み会で上げていたのは懐かしい思い出だ。もちろん、 超能力があるから孤独だとか、そんな馬鹿げた妄想は中学生くらいで当然棄却される(そうでない人もいたけれど)。

でも、『エンダーのゲーム』は、 孤独で孤立していることこそ特殊な能力(戦略立案力)を育むのである、という友達もガールフレンドも少ない(でも超能力を信じる年頃は過ぎてしまった)大 学生くらいのSFファンたちの嗜好にはぴったり合致していた。ぼくはなにかそんなふうに記憶している。いま読んでも、『エンダーのゲーム』はそのあたりがかなりうまくできている。まあエンダーは強くて頭が良すぎて、孤立の悩みがあまりになさそうではあるんだが……。ちなみに続編の『死者の代弁者』(ハヤカワ文庫、上下)の新訳版も出るのかと思ったけど、その気配がないのは残念。映画のほうは続編をやるんだろうか?(付記:その後ちゃんと出ました)

これ以外に読んだものは、何と言ってもアンドルー・ゴードン『ミシンと日本の近代』(み すず書房)。すばらしくおもしろかった。ミシン、特に家庭用ミシンというのは、掃除機や洗濯機と同じく単に家事を楽にするための機械で、一般的な近代化と グローバル化のプロセスにおける一つのアイテムにすぎないというのが一般の認識だろうけれど(ぼくの認識はそうだった)、まったくちがうんだって。

ミシンと日本の近代―― 消費者の創出

ミシンと日本の近代— 消費者の創出

日本におけるミシンは、単なる家事道具ではなかった。それは女性にとって内職の道具であり、「自活」手段であり、したがって女性の社会進出の一助でもあっ た。そして、それが日本の縫製産業を裏で支える存在にもなっていた。またその一方でそのミシンを購入するための割賦販売が日本におけるローン普及の急先鋒 でもあった。つまり、小規模ビジネスの手段であるミシンと、それを買うためのマイクロファイナンス的なシステム、そしてそれを通じた産業発展という、実に 見事な仕組みがそこでは成立していたことになる。

ミシンを日本に導入したシンガー社は、グローバルな営業システムでのしあがった企業で、日本ではその手法が反発を招いてすさまじい労働争議を引き起こす。 また、そのミシンのコピー部品メーカーから、猿まね日本企業のコピーミシンが出て、それが日本の機械産業発達にも貢献し、そして異様に高度な技術を身につ けた内職女性たちが、この国のその後のファッション産業においても大きな力となり……。

たかがミシンの歴史を丹念にたどるだけで、産業発展も女性史も、労働争議も近代化やグローバリズムも、世間的な通念とはまったくちがう様相を示すようにな る。「近代化」とひとくくりにされる20世紀(あるいは明治期以来)の日本の発展も、よく見ると単一の「近代化」とか英米グローバリズムの浸食とかいう単 純なものではなかったわけだ。グローバリズムとか近代化への疑問というような議論がよくあるけれど、それはときにチョンマゲ時代に戻って、電気も医療もな い世界で暮らすべきだとでも言いたげな(でもそこまでの覚悟などまったくない)ものだったりする。でも実際には、それぞれの地域が大きな流れをどう受け止 めたかというところにこそ、オリジナリティがあり地域性がある。それを見ようとしなければならないのかも。

あとは落ち穂拾い的になるけれど、J・M・ケインズ『デフレ不況をいかに克服するか』(文春学藝ライブラリー)は、デフレに関する未邦訳のケインズの雑誌記事を集めたもので、なかなかおもしろい。デフレはちゃんと克服しないといけません。金持ちばかりが得をして、実際に事業をしている人や労働者は損をする一方です。—この当たり前のことが、日本では20年も理解されていなかったんだけれど、ケインズはずっと言っておりました。

なぜ言っていたかというとケインズの時代は、デフレがいまよりずっと一般的で、しょっちゅう起こっていたから。当時はまだ金本位制のところが多く、第一次大戦あたりで金本位制を廃 止したところも、「それでは沽券に関わる」とか「通貨の信認が~」とかいって、金本位制に戻ろうとしてそれまでのインフレを相殺するようなひどいデフレ政 策をしょっちゅうやって いたから。だからデフレが目の前で起きていても気がつかなかった最近の人々よりはずっとわかっていたのだった。その当時の話は、最近ぼくがケインズ『お金の改革論』(貨幣改革論)を全訳したので、それをざっと見ていただければ幸い。『デフレ不況をいかに克服するか』は、そこらへんの解説が薄いし、またそれが現代の状況にどう関係するかについて、もう少し説明してくれてもよかったとは思う。が、まあ無い物ねだりではあるか。

なお、ケインズの反デフレ論集としては、『ケインズ説得論集』(日 本経済新聞出版社)もとてもおもしろい。これはしばらく前に他界した翻訳者の山岡洋一が、デフレに関する古典的な議論がちゃんと読めるようになっていない という認識で訳したもので、山岡の取捨選択も加わっていて、もとの本より少しよいものになっているように思う。デフレ関連以外にもケインズの100年後の 予測など、幅広い関心でエッセイが選ばれている。消費税増税はかなりの悪影響を及ぼすだろうけれど、でも一応日銀のデフレ克服は効いているみたいなので、 その先の経済をどうまわすかについて、ケインズの知見を見てみるのもおもしろいかもしれない。

今回は点数が少ないが、珍しく本業が忙しかったのでこんなもんで。次回こそは、残雪の『最後の恋人』 平凡社)が読めると思う。あともう一冊、期待大なのはカブレラ=インファンテ『TTT トラのトリオのトラウマトロジー』(現代企画室)。 これは翻訳不能とまで言われていたので、どう料理されているのか、いまからわくわく。それまでには、本業のほうも無事年度末が迎えられているといいんだけど……。