Cakes連載『新・山形月報!』

経済、文学、コンピュータなどの多方面で八面六臂の活躍をする山形浩生さん。その山形さんが月に一度、読んだ本、気になる現象について読者にお届けする密度の濃いレポートです。

ねじまき少女・風立ちぬ・坂口恭平

今回の「新・山形月報!」は、パオロ・バチガルピ『ねじまき少女』(ハヤカワ文庫、上下)、鈴木孝『名作・迷作エンジン図鑑』(グランプリ出版)、フランチェスカ・プリーナ『イタリア人が教える日本人の知らない建築の見かた』エクスナレッジ)、フィリップ・ウィルキンソン『誰も知らない「建築の見方」』エクスナレッジ)、坂口恭平『思考都市』(日東書院)といった本が紹介されています。それらの書籍のレビューに『王様と私』や『風立ちぬ』などの映画の話も絡まる充実の内容ですよ!



本を読んでいる途中にその舞台にやってくるというのは、ちょっとおもしろい体験ではある—それが単に空港の乗り継ぎではあっても。ちょうどパオロ・バチガルピ『ねじまき少女』(ハヤカワ文庫、上下)を読みつつバンコク空港にやってきたので、そんなことを思っているところ。

遺伝子改良に伴う新型疫病が生態系を荒廃させ、地球温暖化により海面が上昇し、石油枯渇でエネルギー源が遺伝子改良型ゾウにより巻かれるゼンマイになっている世界。遺伝子食物メジャーの攻撃に耐えて独立を保つタイを舞台に、隠された遺伝子貯蔵庫をめぐり暗躍する欧米人たちが、産業省と環境省との勢力争いにからみ、そこに財閥再興を企む亡命華僑と自由を渇望する日本製ねじまきアンドロイド少女の思惑が事態を思わぬ方向に動かす—。

ねじまき少女(上)

ねじまき少女 上 (ハヤカワ文庫SF)

遺伝子改良、資源枯渇、気候変動等々、貪欲に時事ネタをぶちこんだ力業もさることながら、その書き方は一昔前のバンコク—そして他の東南アジア都市の現在—の持つ雑然とした感じをうまく再現している。同時に、ここで描かれた国内派閥争いの市街戦は、いまのバンコクでも赤シャツと黄シャツの間で展開しているものだし、結構リアル。あとは、それに絡んでいま展開されているタイ王室の後継争いも入れれば—が、これをやると、とてもおっかないタイの王室侮辱の罪にひっかかってタイに行けなくなるから、入れないのも仕方はないか。ぼくもこのネタをこれ以上詳しく書く気はない。ちなみにこれのおかげで、タイ国内ではユル・ブリンナー主演の名作映画『王様と私』は未だに発禁だったはず。

あと、この国内での勢力争いという点で言えば、いまいるカンボジアで野党が予想外に票をのばし、いま政権での権力分与を求めて連日のデモ。週末には死亡者も出てかなりきな臭い状態で、町中に鉄条網のバリケードだらけで外に出るのもおっかなびっくりだ。小説の中の市街戦も、あまり人ごとではなかったりする。

本の話に戻ると、このパチガルピの小説の中に出てくる日本製のねじまき少女は、日本仕様なもんだから放熱が弱く、暑いタイでは過熱に苦しんでいる。これはあらゆる熱機関につきまとう問題で—というような話もたっぷり出てくるのが、鈴木孝『名作・迷作エンジン図鑑』(グランプリ出版)。これは非常にマニアックな本で、機械工学の先生が世界の歴史的な名作エンジン(あるいは変なエンジン)について、そのエンジンがどういう問題やどういうニーズに応えて生まれたのか、その苦心のあとがどこに出ているか、それにまつわるエピソードなどを、自分の見学体験記を中心に、放談を交えつつ説明した本だ。

ニューコメンやワットの蒸気機関から、ごく最近のものまで自動車、鉄道はもとより戦車、航空機、産業用までありとあらゆるエンジンを扱っている。教科書ではないので書き方はとても気楽。自筆のスケッチやイラストもあいまって、この人が専門家としてどこに注目しているか、何をおもしろがっているかが、素人にも非常によくわかって楽しい。

もちろん、ぼくが楽しいと思うのは、ぼく自身がエンジニアもどきだからではある。通常の人は、そんなものはどうでもいい。それは単に無知だというのではない。そもそも関心がないからだ。でもおもしろさ、楽しさを語ることですこしは関心を持ってくれる人が増えてほしい。本書は、多少なりともそれに成功していると思う。ちょっと見つけにくい本かもしれないけれど、メカっぽいものに興味があるなら手に取って絶対損はないと思う。

ちなみに宮崎駿の『風立ちぬ』でも、たとえば主人公が新型機に沈頭鋲を使ってそれが革新的だという話が出てくるけれど、それがどのくらいすごいのかはほとんど説明がない。工学的な説明よりは、美しいと登場人物たちに言わせたり、イメージ的な処理ですませる。それは一つの見識だし、作品の一般性を高めてい る。でもぼくは個人的には、昔から宮崎アニメはもう少し工学的な思想を前面に出したほうがおもしろいんじゃないかと思っている(こんどこそ引退するそうだから、「思っていた」と過去形にすべきかな)。

彼は明らかに、ごちゃごちゃした大型のバロック的なエンジニアリングと、軽いシンプルなエンジニアリングを作品の中で常に対峙させていて、もちろん前者はどっちかといえば悪く、後者のほうがいい。『風立ちぬ』は、それを現実の機体に即して描きかけて(ドイツのエンジニアリングは前者、日本の堀越二郎は後者ですな)、でもにおわせるだけで止まってしまうのがちょっと惜しい気はした……が、まあそれはないものねだりか。

それはさておき、同じことは建築についても言える。建築はもちろん、見て「すげえ」と思うものはある。でも、専門家にとっては画期的な建築でも、素人目にはそこらのつまらない建物、というものも、いくらでもある。ぼくは「この壁、17階分の荷重を支えると厚さ二メートルにもなるのか、すげー、おもしれー」 と思うけれど、ほとんどの人はそんなことは思わないし、説明を受けたところで何の感動もない人のほうが多いだろう。分厚い壁見て感動しろと言われてもねえ。でも、感動してくれる人も少しはいる。また今の建築は、フレームに好き勝手な形のどんがらをかぶせれば何でもできるので、エンジニアリング的な限界が 厳しく形態を規定するようなものはあまり見かけないけれど、でも一部はある。それを知っていると、少し建築の見方が変わってくる。

それを教えてくれる、似たような題名のまぎらわしい本が最近2冊出ている。フランチェスカ・プリーナ『イタリア人が教える日本人の知らない建築の見かた』エクスナレッジ)とフィリップ・ウィルキンソン『誰も知らない「建築の見方」』エクスナレッジ)。といっても、どっちも何かまったく目新しい建築の見方があるわけではない。建築構造とか材料とか、建築学科では最初に教わるような話をまとめて、それを実際の建築にあてはめつつ、各種の技術や工法で何が可能になったか、どんな可能性が開けたかを解説してくれる本だ。別にイタリア人に教わらなくてもいい話ではあるんだが、まあイタリア人に教わって悪いわけではない。

もちろんこの手の本はたくさんあって……と書いていて、アマゾンで調べてみると、意外とないんだね。建築の見方は通常、歴史的、文化的な意義とかの話が多い。またはいろんな細かいデザインの持つ宗教的な意味とか。そういうのもおもしろいんだが、歴史文化的な話は、どうしても個別の話になる。工学的な見方が少しわかると、他のどんな建築にも適用できるので、視野が広がるから少しでも興味を持つ人が増えればいいんだけど。どっちも図版豊富だし、多くの有名建築も引き合いに出しているので、見るだけでも楽しい。

特に「誰も知らない」のほうはこれだけでかいカラー大判の本なのに安いし、構造とか材料とかに関心がなくても、単に有名建築写真集としてもそこそこ通用しそう。そこからちょっと工学っぽいほうにも関心が向いてくれれば……が、これを買うときに近くにあってついでに何となく買った坂口恭平『思考都市』(日東書院)はすごかった。同じ建築系だが、まったくちがう方向を向いている。

思考都市 坂口恭平 Drawings 1999-2012

思考都市 坂口恭平 Drawings 1999-2012

坂口恭平のイラストやドローイングは、見たことあるけれど、これまできちんと意識したことはなかった。でも表紙にもなっている、頭のすべてが高密都市になっているドローイングに象徴されているとおり、その活動のすべてが現代の建築と都市をつきつめた様々な高密居住形態の追求となっている。少し前の香港の極端な形とでも言おうか。子供の頃から自分の机を生活空間に仕立てていたとのこと。

むろんそれだけなら子供が誰でもやる基地づくりだけれど、坂口はそれを極度に発展させる。それも単にイメージとして発展させるだけではない。実際の都市のスケッチから高層化した野球場の発想、バイクに乗せた家、さらにその後、本書の相当部分を占めるホームレスの住まいについてのフィールド調査を重ね、高密でコンパクトで、しかも居住者が自分で作った都市空間への様々なアイデアを詰め込んでいる。これは建築というべきか、アートというべきか、とにかく見ているだけで楽しくなる本。

世界の都市は、いまは技術主導になっているけれど、たぶんだんだんこの坂口が描いたような空間が浸食してくる場面が増えるはず。一部のアジアの都市で、高層ビルの廃墟に暮らす不法占拠スラムとかまさにこんな感じだ。都市とか建築の持つ、別の形での力を想いださせる本で、上の2つの「建築の見方」本とはまっ たく別だが、それと拮抗するだけの力を持つ見方の本だ。調べると、ここ数年で他にもいろいろ出しているので、日本に戻ったらチェックしよう。とはいえデモが悪化しそうな気配もあるし、無事に帰れるかどうか……。