Cakes連載『新・山形月報!』

経済、文学、コンピュータなどの多方面で八面六臂の活躍をする山形浩生さん。その山形さんが月に一度、読んだ本、気になる現象について読者にお届けする密度の濃いレポートです。

放射線・皆殺し映画通信・ル=コルビュジェ

今回は、中西準子『原発事故と放射線のリスク学』日本評論社)、柳下毅一郎『皆殺し映画通信』(カンゼン)、ミシェル・カルージュ『独身者機械』東洋書林)、ル・コルビュジェ『パリの運命』彰国社)、レイモンド・フィスマン、エドワード・ミゲル『悪い奴ほど合理的』NTT出版)などが論じられています。放射線とリスクに関連して言及されている、田崎晴明『やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識』朝日出版社)、ロバート・ピーター・ゲイル、エリック・ラックス『放射線と冷静に向き合いたいみなさんへ』早川書房)、菊池誠小峰公子『いちから聞きたい放射線のほんとう』筑摩書房)も気になりますね!



新年度がはじまって、会社の机の移動とかでバタバタしております。みなさんいかがお過ごしでしょうか?

今回は、残雪の新刊とカブレラ=インファンテ『TTT トリオのトラのトラウマトロジー』(現代企画室)をやろうと思ったけれど、どちらも長い! なかなか読み終わらないし、また背景知識をまったく持たずにジョナサン・スタインバーグ『ビスマルク』白水社、上下)を読み始めるという無謀なことをしてしまったために、他のものが何も進まない。

ちなみにこの『ビスマルク』、 上下巻で800ページにもなる大冊で、読んでいくうちにいろいろ背景もだんだん頭に入ってくるだろうと思ったんだが、長いだけに記述が詳細なので全体像を つかむのに一苦労。そして結局ビスマルクがなぜ王さまたちに気に入られたのか(著者はそれがビスマルクの権力の秘訣だったというんだが)どうもよくわから ないのだ。

それを中断して読んだのが、まずは中西準子『原発事故と放射線のリスク学』(日 本評論社)。これはすばらしいよ。原発事故にともなう放射線の影響については、多方面の努力でやっとデータも集まってきた。でも危険をいいつのる人は、相 変わらずガン多発とか政府が実態を隠しているとかデマと陰謀論に走る人も多いし、一方で安全だといいつのる人も、何をどういう考え方で安全と言えるのか、 定見のなさそうな人々がたくさんいる。そしてどっちもやたらに教条的になって、現実的な解決—とまではいかずとも対応策の確立と、それにも増して重要な安心感の確立をかえって阻害する結果になっている。

原発事故と放射線のリスク学

原発事故と放射線のリスク学

実際に人が行動するには—そして政策的な対応をするにも— どっかで線を引くとか、それに基づいてそれなりに対応費用をはじくとかしなくてはならない。でも、それをやろうとすると、これが両側から叩かれる。絶対安 全派は、線を引くのは危険があることを認めることだと言って怒るし(さすが現在、こと放射線問題に関してはこれを公然と言う人はあまり見かけないが)、絶 対危険派は、線を引くのは他の被害者の切り捨てだ、線自体が恣意的だと怒る。おかげでみんな、この絶対に必要な作業をやろうとせず、するとそれをやるのは みんなの大嫌いな官僚が密室のお手盛りでということになりかねない。

この本は、中西準子のこれまでの一連の著作と同様、それをリスク学の観点から具体的にすすめようとするものだ。放射線のリスクというのは、他のあらゆるリ スクと同じく程度問題だ。どっかに絶対的な白黒の線があるわけではなく、このくらいならまあ我慢できる、ここから先はちょっと無理、という漠然としたもの がある。でもその漠然としたものをどうまとめ、どう根拠づけて客観的なものにしていくのか? 本書はそもそもの放射線の持つリスクの基礎的な解説からはじ め、まがりなりにも方向性を出す。除染についての費用もはじく。

ぼくは本書に書かれたことすべて、きわめてまっとうだし説得力があると思っている。でも重要なのはその最終的な答えじゃない。そこに到るまでの考え方だ。 そしてこれがダメだと思うなら、具体的には何をどう進めればいいのか? 本書をたたき台にしてみんな考えることができる。そして本書は、それをしてこな かった多くの学問分野(および政策立案分野)の人々に対する静かな批判でもある。本書で扱われたような内容は、これまであちこちでタブーとして触れないの がお約束になっていたという。わざわざ火中の栗を拾いに行くのはみんないやだ。でもそれができないようでは、何の学問か、何の研究、何の政策立案か?

本書は経済学や放射線生物学分野の研究者、そして現場の自治体職員にも話をききつつ、曲がりなりにも総合的な見通しを描き出す。本当なら、この本は福島原発事故とその後の対応に関心のある人みんな—ということはつまり全日本人—に読んでほしいところ。みんなが多少なりとも本書にある考え方を取り入れるようになって、はじめて原発事故のまともな処理についての議論ができるようになるんだから。

ちなみに、本書で除染をはじめとする費用の考え方について中西と対談しているのは飯田泰之。飯田は経済学ではリフレ派の主要論客の一人なんだけれど、中西は飯田と対談したところ「中西もリフレ派なのか」と言われたとか。そんなところにまで、自分の世界のくだらん派閥の関係や力学が及んでいると思う人がいるんだね、と感心するとともにがっかり。

ここでいうリフレ派は、この連載でも何度か紹介しているけど、単に大規模な金融緩和とその継続のアナウンスでインフレ期待を作り出す政策を支持する立場と いうだけのこと。だから、各種場面で互いに便宜をはかるために徒党を組んでいる派閥ではないんだが、自分がそういう派閥力学で生きている人々は、それ以外 のものが想像できないみたいだ。でも、おそらくそういう心根も、中西の言う「タブー」を生む一因なんだろう。

なお、ぼくにとっては本書での放射線とリスクの説明のレベルは最適なものだったけれど、これではむずかしいという人もいるだろう。以前に自分のブログで紹介した田崎晴明『やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識』朝日出版社webページでも公開されている)、ロバート・ピーター・ゲイル、エリック・ラックス『放射線と冷静に向き合いたいみなさんへ』早川書房)、それでもまだむずかしければ菊池誠小峰公子『いちから聞きたい放射線のほんとう』筑摩書房)でベースを押さえておくと、いろいろ見通しがよくなる。

ちょっとまじめな話で疲れたので、お笑いを一席。柳下毅一郎『皆殺し映画通信』(カンゼン)。柳下が有料ウェブマガジンで やっている、現代の無数にあるクズな邦画を中心に紹介し、そのストーリー、製作、演技、構成、何から何までのあまりのしょうもなさに徹底的に突っ込みをい れているのをまとめたもの。いやあ、映画館でときどき予告編だけ見たあの日本映画(たとえば、国連本部で世界初のロケしたとかいうやつ〔『人類資金』〕)って、こーんなスッゲー代物だったんですねー。観に行かなくてよかった(ってもとから行く気なかったけど)。

でも、その紹介はむちゃくちゃ楽しいので、本書は是非お読みください。これで観ずにすませられたチケット代と思えば、本書の定価なんて安いもんです。た だ、最初のうちは笑えるんだけれど、結構立派な大作だと思っていた映画がすべてこんなにひどかったというのを知って、暗澹たる気分になるのは困りもの。少 しずつ(1回に3編くらいずつ)読むのを推奨。

そして、次に紹介する本は、実は映画とは必ずしも無関係ではないんだが、お笑いのようで実は書いている人もそれを読んでいる人も(そして訳している人も)大まじめという奇書、ミシェル・カルージュ『独身者機械』(東 洋書林)。そう、中身の発想は、このタイトルを観てあなたがいま想像した通りのもの。オナニー機械だ。本書は、当初1950年代に出た(この翻訳は 1976年の増補版の訳)、先鋭的な芸術作品に見られる人間と機械との関係を、あれもある、これもあると羅列したこじつけ集。

新訳 独身者機械

新訳 独身者機械

その関係を著者は非常にエロチックに(でももってまわった形で)解釈するんだけれど、そのほとんどは重箱の隅をつついたような話で、「ほら、これもここで ガッツンガッツンしてるし、どっちも棒でガシガシ突いてるぜ、あっちもここで横たわってるし、なんか宙づりとか回転とか出てくるじゃん、みんな変身もし ちゃってるよ、それでこっちでは穴に(穴、だぜ!)落っこちて死んだりして、みーんな共通だよ、あーこっちはちがうし、あれはこの部分はないけど、でも顔 を横にしてみればなんかそんな風に見えるしー、別の小説でなんかそれに近いものが出てるからオッケー! 神話的な原型だ!」、という具合。節穴にも興奮し たという昔の若者の妄想世界にも近い話が屈折しつつ大まじめに展開される。訳者解説によると分析された作品の当の作者たちは、「こいつ、何言ってんだ」状 態の人も多かったし、またかなり誤解に基づく記述も多いらしい。そうだろうねえ。

でも、本書の分析とか論理展開自体はまったくお話にならないものでも、この人は確かに何かをとらえてはいる。人間の孤独と機械との関係というのは確実に あって、それは産業革命やコンピュータやロボットを経由して、ぼくたちの創造力・想像力に確実に働きかけている。本書はその意味で、ピントはずれなくせに 何か本質をとらえてしまったという、希有な本で、だからこそいまだにちょくちょく言及されたりするのだ。

実はこれ、ずいぶん前に一度邦訳されたものの新訳版。訳者の解説は、カルージュのこじつけその他を十分に理解し、批判論についても詳しく説明して盲信はし ないだけの理性は保ちつつも、本書のおもしろさをうまく説明していてためになります。かなりマニアックな本ではあるけれど、人間と機械との関係を芸術美学 的に考えて見たい人はどうぞ。たぶん、読者のほうも、本書を受けてどれだけもっともらしい(またはぶっ飛んだ)こじつけができるかで技量が問われるとこ ろ。

さて、しばらく前に出ていたことを知らなかったのが、かの大建築家ル・コルビュジェ『パリの運命』彰国社)。とっても短い本だけれど、非常におもしろい。ル・コルビュジェは、『輝く都市』(鹿 島出版会)で、超高層ビルの間を十車線の大自動車道が走るような非人間的な都市像を提出したことにより、現代の都市計画ではむしろ悪役にされている。でも かつての都市のあり方が自動車や現代生活に十分に対応できていなかったのは明らかで、それをどうすべきかというのは重要な課題だ。本書は『輝く都市』の発想をパリに適用してみたもの。

特にこれは、ナチス占領下のパリという状況での提案で、最後の部分は空襲に強い都市作りはどうすべきか、というかなり変わった視点で書かれている。もっと も、その中身はかなりナンセンスだ。早い話が高層にすると、建蔽率が下がるから上から落ちてきた爆弾が当たりにくい、というんだけど、側面に当たりやすく なるし標的が集中するじゃん! が、そんな妙なところも含めて具体的な場面でル・コルビュジェの考えていることがわかっておもしろい。

また本書の3割を占める解説は、この本のなりたちやル・コルビュジェについての解説として要領よくまとまっていて勉強になります。ル・コルビュジェは、建 築は住む機械だと言った人で、そこに独身者機械との呼応を見たりしている人もおそらくいることでしょう(そしてそれは決して的外れではないはず)。

もういい加減長くなったので、最後は手短に、レイモンド・フィスマン、エドワード・ミゲル『悪い奴ほど合理的』(NTT 出版)。もちろん中身は、汚職、戦争、暴力などの経済分析。インドネシア縁故主義分析のために、スハルト大統領の健康状態と身内企業の株価分析をすると か、本国の腐敗度を測るためにニューヨークでの外交官による駐車違反件数を見るとか、意表をついた各種分析を描くとともに、それに対する意表をついた(ま たはストレートな)対策をあれこれ紹介。悪人も性根が悪いというよりは状況に対して合理的に反応しているだけの場合も多い。あるいは行動経済学的な対応が 可能なことも多い。それを少しずつでも導入し、実現するにはどうしたらいいのか、という本。

レヴィット&ダブナー『ヤバい経済学』(東 洋経済新報社)以来の、「こんなことも経済学で分析できます!」シリーズとでも言おうか。表紙もそれを踏襲して黒。訳文も「僕」が主語……なんだけれど、 この訳者は望月衛やぼくみたいなやわらかい訳は不得手な人なので、なんだかもともとは「私」で訳してあった「だ・である」の固い訳文を、最後に一括変換で 「私」→「僕」へ変えたようなアンバランスなところが散見される。無理しないでもいいのに。が、それで特に意味が通らなかったりするわけではないし、しば らくすれば慣れます。そして中身はたいへんおもしろいし、「腐敗しきっていてダメです」ではなくその解決法まで考えているので、読んでいて前向きになれま す。身の回りの腐敗や悪の解決にも役にたつ、かな? でも考えて見る価値はありそうですよ。

今回はこんなもの。次回こそは、少なくとも『TTT』は終わると思うので何らかの報告ができるんじゃないかな。ではまた。