Cakes連載『新・山形月報!』

経済、文学、コンピュータなどの多方面で八面六臂の活躍をする山形浩生さん。その山形さんが月に一度、読んだ本、気になる現象について読者にお届けする密度の濃いレポートです。

ジャーナリズム・盗用問題・生物多様性

今回の「新・山形月報!」は、ノンフィクション系の書籍が中心です。扱われた本は、溝口敦+荒井香織編著『ノンフィクションの「巨人」佐野眞一が殺したジャーナリズム』 (宝島社)、古庄弘枝『沢田マンション物語』講談社+α文庫)、加賀屋哲朗『沢田マンション超一級資料』築地書館)、デイヴィッド・クォメン『ドードーの歌』河出書房新社、上下)、佐倉統『「便利」は人を不幸にする』(新潮選書)、ロレンス・ダレル『アヴィニョン五重奏II リヴィア』河出書房新社)などです!



ご無沙汰。ゴールデンウィークあけでそろそろ仕事が本格化してきた頃ではないかと思うのだけれど(ぼくはそうだ)、みなさんいかが?

執筆時点では、橋下徹大阪市長の各種発言が相変わらず大きく取りざたされている。ぼくは橋下のパフォーマンスにはあまり興味がないんだけれど、彼に関連した騒動のなかでかなり突出していたのは、ぼくは『週刊朝日』の評伝連載をめぐる一連の騒動だと思っている。

そしてそこから佐野真一という、一応は日本を代表するはずだったルポライターが一気に凋落し、ここぞとばかりに盗用疑惑がどんどん出てきて、なんだかどんどん騒動が広がりそうだとおもったら……あんまり広がらないので、ちょっと驚いている。実はこのこと自体が、佐野真一のやってきたことと、彼を重用していた日本のメディアや「ジャーナリズム」なるものの共犯関係の露骨なあらわれで、自浄作用のなさの証拠でもあるんだけれど。

その中で出た数少ない検証批判本が溝口敦+荒井香織編著『ノンフィクションの「巨人」佐野眞一が殺したジャーナリズム』 (宝島社)。佐野真一(ちなみに、ぼくは真と眞は同じ字だという立場なので、旧字にしたりしません)の各種著作における盗用と思われる部分とタネ本を対比させ、当該書籍の著者たちや佐野と文章が載った本や雑誌の版元にもヒアリングを行った、とてもおもしろい本だ。そして読んでいると、別にタイトルの言うように佐野真一がジャーナリズムを殺したわけではないのがよくわかる。そもそもジャーナリズム自体がろくに生きていなかったらしいんだ。

ノンフィクションの「巨人」佐野眞一が殺したジャーナリズム 大手出版社が沈黙しつづける盗用・剽窃問題の真相 (宝島NonfictionBooks)

ノンフィクションの「巨人」佐野眞一が殺したジャーナリズム
大手出版社が沈黙しつづける盗用・剽窃問題の真相
(宝島NonfictionBooks)

最初のうちは、多少読んでいて首をかしげる部分はある。挙がっている盗用の実例なるものの半分くらいは、だれが書いてもだいたいこんな書き方になるんじゃないかと思えるようなものだからだ。工場街の描写や埋め立て地の歴史についての話は、もとの文もオリジナリティを主張できるほどのものか? その一方で、 確かにそれが至る所に出てくると、確かにネタもとの翻案に近いものであることはよくわかる。しかも過去に何度もそれが指摘されているという……なんでそれが何のおとがめもなしに続いたのか? ナントカ賞が1回見送られたのがみそぎだとかなんとか。日本のノンフィクション業界というのはそういうものなの?

そして、そういうジャーナリズム/ノンフィクション業界に対する疑問をさらに深めるのが、収録されているジャーナリストたちによる座談会。ここで語られている、佐野真一などのノンフィクション作家の生産体制というのは、ぼくには驚愕すべきものに思えたし、それがかなりの部分、当然のように受け取られていることも意外だった。また、座談会以外のところで、今回の騒動について、こんなことは常識で騒ぐヤツがバカ、といった訳知り顔の評論家らのコメントが紹介されている。でも、ぼくはそれが一部の「業界人」以外には常識だったとは信じがたい。さらにそうしたことが常識であること(そしてそれに対してこれまで何ら対応がなかったこと)自体の異常さもわからないほど「業界人」の感覚が麻痺していることにぼくは驚く。

つまり、佐野真一がきちんと調べ物をしてルポを書き上げるわけじゃないんだね。データーマンという調べ物を全部やってくれる人たちがいて(それは下請けとして「作家」自身が雇うこともあるし、連載をやる雑誌社が雇ってあてがうこともあるそうな)、佐野真一をはじめえらいノンフィクション作家は、その上澄みをかすめて、適当につないでお話を作るだけで、それが雑誌連載になり本になるのぉ?? うーん。ぼくがナイーブなのかもしれないけれど、ノンフィクション作家ってそういう調べ物や取材を自分でやってないのか。そりゃ「こんな資料を集めといて」とかいうレベルのことは手下に任せるだろうけれど、全編それだ とは。

もちろん粗造乱造のベストセラー作家の多くが自分で書いていないことくらいは知っていた。あるベストセラー作家に頼んだら、3行だけ書いた紙切れが1枚出てきて、それをもとに適当に本にしろと言われたという編集者のグチは聞いたことがあるし、別の人は多少ましながら、「ここのところは自分の前の本から適当に抜粋してそれらしく作っておいて」と丸投げしてきたというのも聞いたことはある。でもぼくは、そういうのは短期で売り抜けようとする悪質な例だと思っていたし、それなりに実績のある人は、ちゃんと調べ物をして自分で書いていると思っていたんだが……

座談会の出席者も、実は佐野真一に対しては歯切れが悪い人もいて、確かにそういう書き方はまずい一方で、佐野はそれを読んでおもしろい話に仕立てるのがうまかったから、と擁護するんだけど、うーん、それが擁護になっていると思うこと自体、ぼくは日本のジャーナリズムとかルポとかの業界全体が、構造的な問題を抱えているようにおもうんだが。佐野も最初からそうだったわけではなく、最初は自分の足でかせいでいたのが、だんだん天狗になっていったという話はでてくるんだけれど。そして同時に、佐野はある意味で雑誌やメディアがある方向性の世論を作りたいけど自分で露骨な世論操作をしているように思われたくないときに、隠れ蓑的に使われていたようだというのも見えてくる(橋下伝はまさにその典型)。

同じルポでも、個人的にはやはりだれも知らない小さなものを、ライター自身が興味と愛着をもって描くようなものだと、そうした政治的な意図なんかまったく(いやほとんど)関係なくて素直に読める。これまでちゃんと読んでいなくて、今月やっとまともに読んだ1冊が、古庄弘枝『沢田マンション物語』講談社+α文庫)。

沢田マンション物語 2人で作った夢の城 (講談社+α文庫)

沢田マンション物語 2人で作った夢の城
(講談社プラスアルファ文庫)

これは高知県にある、手製のマンション(そして手製の建築としては世界最大のものの一つ)として有名な沢田マンションの話。というより、それを作り上げた沢田夫妻の話。手製と言っても、ちょっと内装や外壁の化粧をいじりました、とかいうセコいレベルじゃない。構造外壁すべて含め、ほぼ自力で設計増築を重ね、おかげで階高はそろわず変なスロープが上がり、農業の部分なんかもあってという、つぎはぎ長屋のマンション版だ。ドーンと一気に建てる均質な合理性ではなく、その時その時に応じた細かい合理性の積み重ねが、ごちゃごちゃした豊かな建築を生み出した事例で、合理性を追求するとつまらなくなるという通念の見事なアンチテーゼになっている。

ぼくも建築畑もどきの人間なので、このマンション自体は知っていたが、こんなおもしろい人たちだったとは。いままで読んでいなかったのを悔やむ。その一方で、知らない人はこの本だけ読んでもおもしろさが十分に伝わらないのが残念。やはり沢田マンションあっての沢田夫妻なので……本当は加賀屋哲朗『沢田マンション超一級資料』築地書館)で、その建物としてのよじくれた感じを十分に味わって読んでほしいところなんだが、こちらは絶版のようで、残念!

同じく絶版で残念なのが、デイヴィッド・クォメン『ドードーの歌』河出書房新社、上下)。これもずいぶん昔に買ってあったのを今月やっと読んだもの。いろんな生物は、島にふんづまることでまったくちがう多様な進化をとげた、という話で、ダーウィンはもとより、ダーウィンが抹殺したという説もあるウォーレスも、いろいろおもしろい人々が島の生物多様性について語っている。それをゆったりとまとめた名作ルポ(この人は自分で各地の離島にでかけて調査をしている)で、実際の離島旅行記と、そこを数世紀前に訪れて重要な発見をし た学者の評伝、そしてその地に暮らす生物たちの興亡(もっぱら亡のほう)が紡がれる。奇妙な動物たち(そして人種!)とそれを取り巻く人々の微妙な絡み合いを追ううちに、だんだん生物多様性の重要性とその保護の課題がおぼろに浮かび上がってくるとてもいい本なんだが……結論を急ぐ人には向かない。心の余裕 があるときにどうぞ。

やはりノンフィクションだが、個人的にあまり賛成できなかったのが佐倉統『「便利」は人を不幸にする』(新潮選書)。タイトル見た瞬間に、これが何を言おうとしている本かだいたいわかるはず。ぼくたちは便利になりすぎたんじゃないか。目先の便利さを追い求めるあまり、本当に大事なことを忘れてしまったんじゃないか—そこまで単純じゃないだろうと思ったら、まさにそこまで単純な本だったのでびっくり。

冒頭には不肖の山形が登場するんだけれど、そのときにそういう単純な話じゃダメだということは申し上げたつもりだったんだがなあ……反原発を言いたいがために、技術はどんどん拡大し、巨大化するというよくわからないことを言いつのり、道路や上下水道っていまは国が管理しているけれど、そのうち国際機関が管理するようになるとかなんとか。いや……そんなふうにはなりませんから。電力も道路も上下水道も、むしろ流れは民営化で、大きな管理を逃れる方向に行っているし、電力も分散電源みんないっしょうけんめい考えているし(まだモノになっていないので、せっかちにとびついてはいけませんが)、下水道も浄化槽が見直されつつあったり、かなりお考えとはちがいますから。協力した本がつまらない仕上がりになっていると、本当にがっかり。

今月はあまり小説には手が出なかった。唯一読んだのが、ロレンス・ダレル『アヴィニョン五重奏』河出書房新社)の第2巻「リヴィア」。予告通りのペースで刊行されていてすばらしい。第1巻の最後で急に作中小説みたいな仕掛けが出てきて、こんどはその作中小説の作者の話に移るんだが、正直いってこの巻は少しだれる。この後のためのいろんな背景説明や人物づくりの感が強い。でも、この後の話を理解するためには必要なので、だまされたと思って読んでおいてください。次の巻からナチスフロイトやいろいろ派手な仕掛けも登場するので。それが予告通り今年12月に出ますかどうか、お手並み拝見。

今度はR・A・ラファティ『第四の館』国書刊行会)の話を……しようかなあ。ラファティの長編はなかなか一般人にすすめられるものじゃないから。とはいえ、次回はいろいろ小説を増やしてみようかとは思う。では。