Cakes連載『新・山形月報!』

経済、文学、コンピュータなどの多方面で八面六臂の活躍をする山形浩生さん。その山形さんが月に一度、読んだ本、気になる現象について読者にお届けする密度の濃いレポートです。

フーゾク・ソーシャルメディア・植民地

今回の「新・山形月報!」が取り上げるのは、飯田泰之荻上チキ『夜の経済学』(扶桑社)、浅野弘輔・佐藤弘和著、成瀬 功一郎監修『ソーシャルメディア クチコミ分析入門』SBクリエイティブ)、イザベラ・バード『朝鮮紀行』講談社学術文庫)、アレン・アイルランド『THE NEW KOREA』桜の花出版)、ジョージ・アキタ、ブランドン・パーマー『日本の朝鮮統治を検証する』草思社)などなどです。また、最後にも少し紹介されていますが、山形浩生さんが監修をしたポール・クルーグマン『そして日本経済が世界の希望になる』PHP新書)は好評発売中です!



ごぶさたです。さて、今回真っ先に紹介すべきは、なんといっても飯田泰之荻上チキ『夜の経済学』(扶 桑社)。これはおもしろい! フーゾクネタ、ワリキリ買春ネタ、デマの伝搬、さらには高学歴童貞問題といったお笑いから、生活保護ネタとそれに関連した、 異様に他人に厳しい日本社会の分析まで様々だけれど、少数のサンプルでの思い込み議論や印象論、特定党派に媚びた主張を廃して、とにかくデータに基づいた話をしようという、きわめてまじめな本だ。そのためには、どうやってデータを集め、それをどう分析するかという方法論まで、おふざけっぽい書きぶりの中にきちんとおさめている。すばらしい。ぼくの勤め先でもいろんなデータ分析や社会動向解析を行うけれど、みんなこのくらいのレベルで分析ができたらなあ、と タメイキをつくことしきりだ。

夜の経済学 (SPA!BOOKS)

夜の経済学

そもそも、フーゾクの定義とその分類からしてびっくり。本書はフーゾクとはいっても、キャバクラとかは入っておらず、扱っているのは限りなく本番に近いところ。でも、昔よく耳にしたイメクラとかは入っていない。意外に思ったので、先日著者の飯田と会ったときにその話をきいてみたところ、規制のからみでいまはイメクラってのはなくて、そこらへんの説明もちゃんと注にあるから読め、とのこと。ネタのおもしろさだけで成立している本かと思ったらさにあらず。すべてかなりきっちり考えられた根拠のある議論だ。扇情的なようで、実はそこから日本社会の現状にまで話がどんどん進む見事な本なので、下世話な興味の人も、 日本の社会構造—特に貧困の連鎖構造—に興味がある人も、是非手にとってほしい。ついでに、データの取り方や社会分析手法のお手本としてもどうぞ。

この本の中で、デマの伝搬を扱った章がある。特に震災後に、どんな人がどんなデマを見聞し、信じたか、という分析。著者たちは、これをアンケート分析で行っている。でも、もちろんデータ収集と分析にはいろんな手法があって、いまは特にネット、特にツイッターフェイスブック経由のデマ拡散がきわめて大きい。そして、その分析ツールも出てきている。それを解説した本がちょうど出ている。浅野弘輔・佐藤弘和著、成瀬 功一郎監修『ソーシャルメディア クチコミ分析入門』(SB クリエイティブ)。これは、ツイッターその他の分析を通じて、ある話題、ブランド名、キャンペーンなどの伝搬、拡散、衰退といった様子を具体的に検証する手法を説明したものだ。こういう分析は、多くの人がやりたいと思っているはずだけど、どこから手をつけていいかわからないというのが実情だと思う。

本書は分析の方法論を簡単に述べたうえで、それを行うための既存ツールの紹介とその使い方がメインの内容となっている。その意味で、ちょっと宣伝っぽい部分があるのは……まあ仕方ない。他にこうした具体的な手法やツールを説明してくれる本をぼくは見たことがない。ただ、実際にここに載っているツールを深く使ったわけではないので、本書の記述が完全に妥当かどうかは断言できない。が、お試しでちょっとやってみるだけでも、なかなかおもしろそう。たぶんマーケティング関連の人は、仕事でいろいろ使えると思う(おそらくこの本の主な読者は、そのマーケティング関連の人やネットでの炎上を恐れる会社の広報部向けという感じだ)。

炎上の元となるデマも、そして本当の話も、どのように伝搬して人口に定着するのか、というのはおもしろい問題ではある。ミーム仮説のように、みんなに広まる強いミーム(ざっくり言えば物語やニュースの元となる遺伝子のようなもの)があって、それがウソホントを問わず普及して定着するという話は、おもしろいけれど(この考え方をおもしろく展開した本としては、スーザン・ブラックモア『ミーム・マシーンとしての私』草思社、上下]などをどうぞ)、やはり堂々巡りに陥りかねない。じゃあどんなミームがどのような形で広まるんですか、というのがぼくたちには興味あるところなのだ。

ここらへんはなかなかむずかしいし、遺伝子と同じで必ずしも論理的ではなく、偶然の要素も実に多い。でもいったんあるものが定着してしまうと、それがそのサークルの中で何度もなんども繰り返し使われ、さらに定着が進む、という構図ができてしまう。ウィキペディアは、ちゃんとしたソースがない記述をしてはいけないのだけれど、しばしばいい加減な憶測や執筆者の思い込みがソースなしで書かれ、それをうっかり読んで鵜呑みにした人がどこかの記事などでそれを書いてしまい、するとそれをソースとしてウィキペディアの項目が確定し……というような具合。

世の嫌韓談義に関してもそういうところはあって、朝鮮人の遺伝子についての話で、立派な遺伝学者の著書をでたらめに引き合いとして出すデマが、たった1つのねつ造ソースをもとに無限に広がっている状況があり、それはここらへんで批判した。 原著はいい本なのになあ。その一方で、いまの日韓関係のぎくしゃくぶりの責任の一端は、韓国側の変な「歴史認識」なるシロモノにあるのも事実。高度な朝鮮文明が花開いていたのを日本が武力で隷属させて、文化発展を阻止した、というのが韓国側の一般的な認識のようで、虐殺したの杭を打ち込んだのあれやこれやで朝鮮文明を破壊したことになっている。

これを否定する材料はたくさんあって、よく登場するのがイザベラ・バード『朝鮮紀行』講談社学術文庫)。李氏朝鮮時代に朝鮮を旅行したイギリスの大旅行家おばさんの記録だけれど、きわめて手厳しい。朝鮮の町はみすぼらしく、汚く、臭く、役人は無能で汚職と搾取やり放題で、農民はちょっとでも成功すると搾取されるから、できるだけ何もしない。このため役人はなおさら私腹肥やしにせいを出し、と いう図式をバードは明確に描きだす。詳しくは、昔書いた別の書評をご参照あれ。彼女は同時期に、中国の奥地から北京から日本からその他あちこち旅行しまくっていて、これが単なるおのぼりさんの感想文でないのは明らか。そして、ロシア領の朝鮮族のすばらしい生産性との比較から、これが本当に制度のちがいなのだという、以前に紹介したアセモグル&ロビンス『国家はなぜ衰退するか』早川書房)を地でいくような分析を展開する。これが19世紀末の本とは信じられないほど。

そして、なぜか最近、その後の日本による朝鮮植民地支配に関する本が立て続けに出た。まず、アレン・アイルランド『THE NEW KOREA』桜の花出版)。副題は「 朝鮮 コリア が劇的に豊かになった時代」だ。これは原著はかなり古い本で、20世紀初頭に大恐慌前後あたりにやってきたアイルランドが、日本による韓国支配の実態を描いたもの。日本がどのくらい投資し、それに対してどんな成果があがったかを、なるべく数字を出しつつ記述していて大変おもしろい。

植民地化それ自体の是非について慎重に避けつつも、純粋に投資的観点から見ると、日本はきわめて多大な投資をして、インフラ面でも教育面でも、産業面でも行政面でもその他あらゆる分野でも、大きな改善を実現しているという話。かつては(イザベラ・バードが描いた通り)かなりひどい状況だった朝鮮半島が、急激な近代化をとげたのはまちがいない。聞いたことのない出版社で、巻末に編集部がつけた最近の日韓対立に関する長ったらしいコメントはいらないと思うし、 あと英日見開き対訳形式はちょっと煩雑。和訳だけにして値段も下げて、英語はネットで公開しておけばいいのに。でも当時の状況の把握としてはおさえておくべき内容。

ジョージ・アキタ&ブランドン・パーマー『日本の朝鮮統治を検証する』草思社)は最近の本で、日本の朝鮮統治が暴虐で収奪的でろくでもないものだった、という従来の各種研究を検討し、そこに書かれていることの多くが実際に調べ ると妥当性がないものだったり、単なる思い込みだったりすることを指摘していったもの。その結果として日本の統治の過程で朝鮮は近代化を遂げたし、そのと きの遺産がいまの経済発展における基礎にもなっていることが浮かび上がる。既存研究の批判的検証なので、ときどき個別批判にまぎれて議論の本筋が見えにくくなるのは欠点ではあるけれど、主張は明確だしすべて裏付けがあるものだ。

もちろん、本書の帯にあるように日本の統治が「穏健かつ公平、現実的にして、日朝の相互発展をめざすものだった」と言えるかどうかは読む人次第。ぼくはあまり納得していない。日本をやたらに悪者にしようとするのは、たぶん変だろう。ただし日本がそんなにすごかったか、といえばどうだろう。実はさっきあげた イザベラ・バードは、何度か朝鮮半島を旅して、日本支配が始まったあとも1度来ている。そして日本の統治について、志はよかったのかもしれないが、やり方がとてつもなく下手だった、と言う。妙に細かいことにこだわり、地元の感情に注意を払わずに画一的・高圧的な改革を押しつけ、「買わなくてもいい反感を 買っていた」とのこと。朝鮮半島に必要な改革の先鞭をつけたのは日本だったが、それを進めたのはロシアだったし、絶望的に思えた財政改革を実現させたのはイギリスの援助ではあったそうな。またソウル美化も、留学帰りの朝鮮人官僚自身の活躍が大きいそうな。

ただ、こうした点も、ちゃんと裏付けのあるまともな資料をもとに議論ができることが重要だ。特異な個別事例をいくつか拾い出して、それを一般化した変な極論を展開してみたり、ましてまったくのねつ造であれこれ言うのはあまりに不毛。その意味で冒頭の『夜の経済学』でも言われているとおり、ちゃんとデータや事実をもとにした話をしようぜ、とは思う。実はいまの日韓の「歴史認識」トラブルも、こうした議論が少なくとも表面に出てくるようになった点では、ぼくはよい面もあると思っているのだ。

そして日本経済が世界の希望になる (PHP新書)

そして日本経済が世界の希望になる (PHP新書)

最後にちょっと宣伝。ポール・クルーグマンアベノミクス談義をまとめた『そして日本経済が世界の希望になる』PHP 新書)が出ておりますので、是非。山形も、少し質問項目に注文をつけたり、解説を書いたりしております。ここでクルーグマンが懸念していた消費税率引き上 げは決まってしまい、そして「消費税をあげると日本への信任が上がる」という賛成派のヨタ話をよそに、株は世界で突出して下落中だ。やれやれ。消費税引き上げ議論がむずかしかったのは、反対する人々も、それが確実に悪い影響をもたらすとは断言できなかったところにあった。いままだ景気がやっと回復しはじめたところで、消費税引き上げがそれを潰す可能性がある、とはいえ絶対につぶれるかと言われると、そうも言えない。だから反対があまりうまくまとまらなかっ たし、強い反対論を展開しにくかったというのもあるんだが。でも、これからの影響を見て、次の10%への引き上げ判断はもっと慎重にやってほしいところ。 早速前倒しにしろとかいう議論が出てきて、ぼくはとても怖いよ……。