Cakes連載『新・山形月報!』

経済、文学、コンピュータなどの多方面で八面六臂の活躍をする山形浩生さん。その山形さんが月に一度、読んだ本、気になる現象について読者にお届けする密度の濃いレポートです。

妊娠出産・チャトウィン・中二病

今回取り上げる本は、エミリー・オスター『お医者さんは教えてくれない妊娠・出産の常識ウソ・ホント』東洋経済新報社)、リチャード・ムラー『エネルギー問題入門』『サイエンス入門』(ともに楽工社、後者は1~2巻)、同『文系のためのエネルギー入門』早川書房)、ブルース・チャトウィン『黒ヶ丘の上で』みすず書房)、同『ウッツ男爵』白水社)、菅原晃『使えるマクロ経済学』KADOKAWA/中経出版)、ジョセフ・ヒース、アンドルー・ポーター『反逆の神話』NTT出版)などです。小説からサイエンス、そしてカウンターカルチャーをめぐる話までどーんといきますよ!



ご無沙汰です。で、以前の予告通り外国出張でハンス・ヘニー・ヤーンを読み終えようと思ったんだが……出張に必要な資料もあるしピケティのゲラも見なければいけないし、ということで、分厚い本を持っていく余裕がとてもなかった! だから、薄い本ばかりになってしまうけれどご容赦を。

さて、今回は何をおいても、まずエミリー・オスター『お医者さんは教えてくれない妊娠・出産の常識ウソ・ホント』東洋経済新報社)だ。ぼくは諸般の事情でここしばらく妊娠出産本をいくつか見ていたんだけれど、このジャンルは本当に伏魔殿で、ろくでもないデムパな本もやたらにあるし(胎児とテレパシーで交信したりとか)、そうでない本も、本当に知りたい細かいところが書いていない。母体は酒を控えろとかコーヒーもだめとか書いてあるけれど、ほどほどならいいという本もあるし、いったいどっちなんだ。しかも、それぞれ何を根拠にこう言っているのかもわからない。

お医者さんは教えてくれない 妊娠・出産の常識ウソ・ホント
お医者さんは教えてくれない 妊娠・出産の常識ウソ・ホント

本書は、自身の妊娠出産の経験にもとづいて、こうした細かい疑問に応えてくれる。エミリー・オスターは、魔女狩りと気候や不作の関係とか、アフリカのエイズと他の性病との関係とか、非常にユニークな着眼点で変な研究をたくさんやっている、アメリカ経済学界のホープの一人で、疫学的な統計分析はお手のもの。だから、医者の言う一言半句に「その根拠となっている研究を見せろ」と要求し(いやな患者だったろうなあ)、その精度や手法上の問題を指摘したうえ、本当にきちんと証明されているものは何かを厳密に調べあげた。

原論文までたどると、通説はかなり根拠が薄かったりする。たとえば、アルコールが有害という研究の多くは、家庭状況を考慮しない。妊婦がアルコールをがぶ飲みする家の赤ん坊に不具合があるのは、実はアルコールのせいというよりはその家庭環境自体がまずいのだ。それをちゃんとコントロールすると、数日にワイン一杯くらい飲むのは問題なし(少なくとも問題が出るという研究結果は一つもなし)、コーヒーは1日4杯までなら大丈夫、ちなみにカフェイン抜きのコーヒーは、ふつうのコーヒーよりかえってダメ、魚も水銀とDHA含有量を確認して妊婦によい魚を分析(イワシがいいそうな)。身近に妊婦がいる人は是非どうぞ。ただし、結論だけを求めるせっかちな人や、他人の言うことについて、根拠を考えないまま鵜呑みにしたがる人は、かえってうっとうしく思うかもしれないので、その点はご注意を。でも、こんなコラムを読んでいる人なら、たぶん本当にかゆいところに手が届くと感じてくれると思う。受胎のところから始まるので、高齢出産で悩んでいる人も是非。続きで、育児編も書いてくれないかなあ。

続いて、リチャード・ムラー『エネルギー問題入門』(楽工社)。これは同じ著者の前が以前に出した『サイエンス入門』(楽工社、1~2)と同じように、アメリカ大統領に対してムラーが、この分野の全貌を解説する、という形を取っている。ちゃんとしたエネルギー政策のためには、政治家がまともな知識を持たねばならない—すばらしい。まさにその通り。日本の政治家は、経済学についてはど素人もいいところだし、科学に関しては無知蒙昧でトンデモに平気でからめとられている。彼らにこの水準の基礎知識があってくれれば……。とはいえ、アメリカだって政治家の無知はかなりのものだから(天地創造論者がウヨウヨしてるし)こそ、こんな本があり得るわけだけれど。

そしてその中身に、たぶん多くの人は顔をしかめるだろう。原子力は感情的に捨て去ることなく、今後活用を考えねばならない。日本の福島の教訓は活かしつつ、むしろ日本でそれに対する感情的な反応が引き起こした害のほうを見るべきだ、という主張だ。また、その一方で各種温暖化防止と称される代物にもきわめて懐疑的。電気自動車だのハイブリッドだのは何の役にも立っていない、ただのお飾り。そういう目先の話題性に流されてはいけない。温暖化は問題だけれど、対策するなら本当に役に立つことをすべき。

そしてアメリカのシェールガス革命についても、有益だけれど長続きしないかもしれないこと。だからこそ、その短期間(数十年)の恩恵を十分に享受しつつ、その間に次への布石を考える必要があることをきわめて簡潔に述べてくれる。いやおっしゃるとおり。

ムラーの本は似たような趣旨のものが多く、本書の内容もこれまで出た『サイエンス入門』でのエネルギーの話や、『文系のためのエネルギー入門』早川書房)とほとんどの部分が重なる。だからこれらを読んだ人は、あえてこちらに手を出す必要もないかもしれない。でも、どれかは読んでほしい。原発とか温暖化とかエネルギー問題に関心がある人は、まず基本的な議論としておさえておかねばならないこと……なんだけど、本当に読むべき人ほど読んでくれないというのは、どんな本でもありがちな現象ではある。

お次は小説だ。この夏、ブルース・チャトウィンの小説が二つ出た。一つは『黒ヶ丘の上で』みすず書房)、そしてもう一冊は再刊だけれど『ウッツ男爵』白水社)だ。『黒が丘の上で』は分厚いので読むのはこれからだけれど、『ウッツ男爵』は薄くて、中身も結構余白が多い。でも、本当にしんみりくるよい作品なのだ。

チャトウィン十八番の、ある物体と旅から始まり、それに伴いある人物の記録にチャトウィンがどんどん分け入る、紀行文とも小説ともつかない独特の作品ではある。主人公は、マイセン磁器に取り憑かれたチェコのウッツ男爵。彼がマイセン磁器の収集にはまり、ナチスによる侵略と社会主義の監視の中でその貴重なコレクションを守り抜くが、その死とともにそれが忽然と姿を消し—というのが基本的な設定。チャトウィンは、ふとしたきっかけでウッツと9時間だけ交流を持ち、そのコレクションを見る。それだけ。

旅の偶然と、一期一会の奇妙な縁、そして後にウッツの足跡を追うときの微かな喪失感。それが旅人につきまとうある種の根無し草感の悲しみとなり、それがコレクターとしてのウッツの抱く空疎さと見事に共鳴しあう。チャトウィンならではのその雰囲気と、そしてさりげない結末にのぞく、生の勝利ともいうべき爽快感は、ぼくはチャトウィンの紀行文の中でも珠玉の一冊だと思う。あと、これは手に入れにくくて、ぼくも今まで読めていなかったんだよね。次は『ウィダの総督』も再刊して! それまでに『黒ヶ丘の上で』も読んでおくから。

これを執筆中に、菅原晃『使えるマクロ経済学』KADOKAWA/中経出版)が送られてきたのでざっと見たけれど、マクロ経済学の流れが図解で完結に整理されていて、なかなか便利だし、一般読者が必要なマクロ経済学の見取り図としては、かなり有用じゃないかな。もちろんアベノミクス(の黒田日銀による金融緩和)についても、期待の役割(お金を刷るとか円安にするとかいうのは本質ではなく、将来のインフレ期待を上げるのが重要という点)もしっかり説明されている。消費税率をうかつに8%へあげたせいで、せっかくうまくいっていたアベノミクスもひどい状況だけれど、願わくは持ち直しますように。そしてもちろん、消費税率10%への引き上げなんていう愚行はやめてくれー。期待はすぐ変わるけれど、それがリアルな投資行動の変化につながり、実体経済に根付くまでには時間がかかるんだから。

さて最後に、ぼくはすごく気に入ったんだけれど、たぶん多くの人が気を悪くするはずなのが、ジョセフ・ヒース&アンドルー・ポーター『反逆の神話』NTT出版)だ。ある意味で、これは、中二病批判の一冊とでも言おうか。世の中汚いぜ、ぶっこわしてやる、こんな世界だめだ、というガキっぽい、まともな代案もなく、むしろ現状否定する自分に酔っている態度についてこの本は論じる。でも、こういう態度やスタイルは、実は各種知的ファッションにも見られる。進歩反対、お金反対、文明が人間をダメにした、パンクだ、消費社会はまちがっている、エコな暮らしのために生活を見直そう、はてはフェミニズム社会主義も、一般に進歩的とされる各種の議論のほとんどは、結局のところ中二病と大差ない。

反逆の神話:カウンターカルチャーはいかにして消費文化になったか
反逆の神話:カウンターカルチャーはいかにして消費文化になったか

実はそうした知的ファッションでは、現状否定を激しくやればやるほど、「根源的な見直し」とか言われて賞賛されたりする。でも、そういう「根源的」な問いは何も生まないだけじゃない。実はそれは結果的に、現代の資本主義消費社会が自分たちの中に細かい差を創り出し、価値を維持するための仕掛けで、むしろそれは現代の資本主義社会を根源的に問い直すどころか、その延命に徹頭徹尾奉仕しているのだ、とこの本は語る。人や社会は何らかのルールを必要とする。ルールをぶっこわせば人は自由に生きられると思うのはまちがっている。むしろ、ルールがないより悪いルールでもあったほうが人びとは生きやすいことが多い。これは多くの場面で何度も証明されてきたのに、みんな中二病が好きなのでなかなか認めようとはしない。でも……世の中変えたいなら、いまあるルールをがんばって少しずつ変えたほうがいいんじゃないか?

最終的な結論は、本当にお説ごもっともで、地道に世の中変えるしかないんだけど、それ以外の部分で、社会主義もパンクもボードリヤールも、ブランド批判の人もエコな人も、全部否定されるどころか、むしろ資本主義の走狗呼ばわりされちゃうので、怒る人は多いだろうねー。みんな、(いい加減なこと言ってる口だけの思想家や広告塔は別にして)自分たちがそうした論点を出すことで、多少なりともルール改定のために努力しているつもりなんだから(たぶん)。その意味で、本書の批判もやりすぎではあるんだけど、でもそこには一抹の真理があるし、あまり深入りしていない人びとはニヤニヤしつつ楽しめると思うので、是非どうぞ。

それにしても、これまでに予告しておいたものの、結局読んでいない本がたくさんたまっている……。でも本というのはそういうものだし、5年経ってふと読んで心に触れる本もある。積ん読状態の残雪とか、冒頭で触れたヤーンとか、あとついに出たトマス・ピンチョン『重力の虹』新訳版(新潮社、上下)とか、読もうと思っている本のうち、次回までにどこまで読み終えることやら。ではまた。