Cakes連載『新・山形月報!』

経済、文学、コンピュータなどの多方面で八面六臂の活躍をする山形浩生さん。その山形さんが月に一度、読んだ本、気になる現象について読者にお届けする密度の濃いレポートです。

排泄物・ニセ医学・ガルシア=マルケス

トマ・ピケティの話題作『21世紀の資本』の翻訳で大忙しの山形浩生さんによる「新・山形月報!」。今回は、デイビッド・ウォルトナー=テーブズ『排泄物と文明』築地書館)、NATROM『「ニセ医学」に騙されないために』(メタモル出版)、ガルシア=マルケス、バルガス=ジョサ『疎外と反逆』水声社)を中心に紹介します。大便からノーベル賞作家まで、多様な本のエッセンスをぎゅっとまとめた内容をお楽しみください。



すでにお聞き及びの人もいるかもしれないけれど、今年突然ベストセラーになってしまった、トマ・ピケティ『21世紀の資本』の翻訳をやっております。もともとは、特に刊行予定というものがなく、他の仕事を終えてからとりかかろうかと思っていたのが、世界的な関心の高まりから年内くらいに出せないかと版元から打診があり、それに伴ってはっきりと2014年の師走という刊行目標が設定されてしまいましたよ。

本としては分厚いけれど、非常に面白い。そもそもサイモン・クズネッツ以来、ちゃんと所得格差をきちんと調べた人がいなかった、という冒頭からして「え、そうなんですか??!!」と驚いてしまう。そして、まずはそれをきちんとデータで見ようとするわけだ。それで、データを眺めると、格差は文句なしに急激に拡大しているし、それも資本(財産)からの不労所得が多いために、持てる者がもっと持てるようになっているというのが明確に示されている。

17世紀や18世紀以来の動向まで推定して示すことで、実はこれまでの経済学が準拠してきた産業革命以降の世界経済の進歩は、例外的な時代だったんじゃないか、というのが著者の見方だ。異様に成長性が高まり、アメリカという過去の世襲財産のない国が急拡大し、2回の世界大戦で多くの資産がつぶされたことで、能力主義と労働からの所得が大きく伸びた希有な時期であり、いまやその例外が終わりつつあって、このままだと昔の階級格差社会に逆戻りだぞ、という。 非常におもしろいし、議論を呼ぶ内容ではあるので、是非とも本コラムの読者にはお読みいただきたいところ。が、これについてはまた訳が出る前に詳しく述べます。いまはこの翻訳のほうに力を割いているので、あまり本も読めずこの連載もペースが遅れ気味だったことをお詫びいたします。

が、その数少ない中でもいくつかおもしろい本はあった。何よりも手にとってほしいのがデイビッド・ウォルトナー=テーブズ『排泄物と文明』築地書館)。だけど、食事中にこのコラムをスマホで読んでいる人はご注意。本書は(題名で予想がつくと思うけれど)全編がウンコの話なのだ。

排泄物と文明: フンコロガシから有機農業、香水の発明、パンデミックまで

排泄物と文明: フンコロガシから有機農業、香水の発明、パンデミックまで

ぼくは半世紀以上も生きている年寄りなので、オーガニックとか有機栽培とか言って喜んでいる人たちを見ると、ときどき無性におかしくなる。だって、ぼくがガキの頃には有機栽培ってのは人間の屎尿をぶっかけて作物を育てている、という意味だったからだ。百科事典には、それが寄生虫蔓延の原因となっているのでよくないから、化学肥料に切り替えないと、と書いてあった。いまだに、有機栽培野菜と言われるとそれを思い出してしまうし、その言葉を聞いてうさんくさい と思うのもそんなことが原因かもしれない。

で、この『排泄物と文明』だ けど、これはウンコの本で、その古い時代の有機栽培を復活させようといのが主要なメッセージとなる。ウンコの研究者(というべきか)である著者が、ウンコ(それも人も動物もすべて)とはどういうものであるか、どんな性質を持ちどう使えるか、そして処理できるのかなどなど、あれもこれもとつめこんである。

まったく話題にならなかったハリウッド映画の愚作『ポンペイ』には、ピカピカ清潔な都市を美男美女がウロウロするシーンがあったけれど、実際のポンペイはもちろんぜんぜんちがったとのこと。どうも、生下水を道路に直接流していたらしいよ。ウンコ流れる道を馬車が走っていて、人間が渡る交差点は飛び石状になっており、馬車の車輪がその飛び石の間を通過できる。ついでに同性愛天国で……という話はここでは関係ない。

が、そんなとこで暮らすには限界がある。大量のウンコを別のところに運び去るシステムができないと、都市は成り立たない。江戸時代には、郊外農業がそれを買って肥料として使う輸送システムがそれを可能にした。また世界の他のところでは、動物の糞が燃料になったりする。そこではウンコは、価値ある存在だった。欧州ではそれをひたすら無駄なものとして管路で流す下水道システムとなった。そしていまや肥料として使うシステムは中国ですら廃れつつあり……。

でも、それが新しい問題をもたらす、と著者はいう。排泄物を大量に集めて大量に処理する(人間も家畜も)ことで、病原菌の集中と大発生リスクも高くなっている。そしてその処理コストも膨大になる。人間のウンコだって地産地消ではないか? ウンコにはかつて価値があった。その価値を再発見する必要があるんじゃないか?

これが本書の主要な主張で、とっても大まじめではある。でもその一方で、書きぶりはかなりおふざけ調で、英語の「shit」の出てくる俗語表現を縦横に使った楽しいもの(翻訳ではこれを再現できないけれど、訳者たちは精一杯の努力をしている)。アマゾンでレビューを書いている一人は、そういうおふざけが許せないらしくて、その理由だけで低い点をつけているけど、おもしろいのになー。ウンコトリビアも満載。ウンコのカロリー値から、人は年にどれくらうウンコをするか、ウンコの中身などなど……。もっとウンコとの共生を、という著者の主張は、うーん正直言ってどうよ、という感じだけれど、非常におもしろいポイントをついていると思うし、それに賛成できなくても、小学生以来のウンコへの興味は十分以上に満たされることうけあい。小学生でも無理すれば読めるかもしれないから、読書感想文にも使えるんじゃないかな。

さて、次に読むべきなのは、NATROM『「ニセ医学」に騙されないために』(メタモル出版)。NATROMという人は、ネット上でずっと、医学関連の有益な情報提供を続けてきてくれたお医者さんだ。インチキな医学関係のネタ、たとえばデトックスとかホメオパシーといったものを次々にしっかりした根拠つきで論破し解説してくれる、実に頼りになる存在だ。そうした中で、メジャーなトンデモ「医学」を集めて解説しているのが本書。

ぼくはオカルト医学などが(と学会的な関心から)好きなので、ホメオパシーとか波動とかのネタは知っている。ただ、たとえば世間でよく言われるような日本は薬漬け医療なのだという話なんかは、オカルトやトンデモな話ではなくまぁ真っ当な見解なのかな、と思っていた。が、実はそれらも本書によると結構ウソ。ガンを治療するなといった見出しが週刊誌の中吊り広告に出ているけれど、これもあまり妥当性はない。現代医療ですべてが治るわけではないし、人は何らかの理由でいずれは死ぬ。でも、そこで治療により寿命が延びることの意味は、本当にその人次第。十把一絡げにいいとか悪いとかいうものではない。そして、怪しいインチキな医学情報を鵜呑みにして自分が苦しむのは自業自得でも、それに端を発する馬鹿な反ワクチン運動で、他の人々まで無用な危険にさらされるはめになっているというひどい状況まで起きている。

本書の立場は、いまの医学が普通にやっている標準医療が(変なオカルト医療に比べれば)はるかにマシで優れている、というもの。たぶんこういう本は、すでにあっちの世界へ行ってしまったビリーバーの耳にはまったく届かないんだけれど、ボーダー付近でふらふらしている人がいたら、是非教えてあげてほしい。最近も、食事療法でガンが消えるという悪質な本がベストセラーになっている(ちなみに、その本の題名はウソで、実はその著者のガンは消えていないとの指摘が なされている)。そういうのにひっかかる人が少しでも減れば—。ともあれ、みんな、予防接種は打とうぜ。

最後に小説方面。ガルシア=マルケス&バルガス=ジョサ『疎外と反逆』(水 声社)は、実際にガルシア=マルケスの小説を読んだ人でないとあまり意味がない内容だけれど、バルガス=ジョサによるガルシア=マルケスインタビューとその小説論、さらにはバルガス=ジョサへのインタビューをまとめた本。ガルシア=マルケスのインタビューは、パネルディスカッション形式で、もともと一日で終わるはずが、あまりに興がのって二日目も急遽設けられたというもので、特に『百年の孤独』(新潮社)成立までの話が実におもしろい。小説家は小説だけにうちこむべきで他の職業で糊口をしのぐのはどうよ、とぶちあげたり、ガルシア・マルケス自身がまるで『百年の孤独』にそのまま出てきそうなエピソードを自分の身の上話としてしゃあしゃあと語るところとか、実に楽しい。

疎外と叛逆ーーガルシア・マルケスとバルガス・ジョサの対話

疎外と叛逆—ガルシア・マルケスとバルガス・ジョサの対話

そして、訳者が非常に冷静にそれを評価して、ガルシア=マルケスはおもしろければ口から出任せも平気で言うから気をつけろ、と留意点をしっかり指摘してくれるのも楽しい。ちなみにこの時点では非常に仲がよかったのに、後にバルガス=ジョサがガルシア=マルケスをぶん殴ったという事件があり、その顛末も含めた両者のその後のなりゆきを詳しく解説してくれているのは非常にありがたい。そうか、バルガス=ジョサ『神殺しの神話』が出回らないのはそういう理由なのか……このあたりの小ネタは実際に読んでみてくださいな。小説論、作家論、文学論、その他いろんなレベルで楽しめる本なので、是非どうぞ。ちなみに訳者は本書のために、重要な資料の製本を駄目にしてしまったそうだけど、スキャナーとは言わないまでもデジカメでデジタル化すればよかったのに。最近の文書読み取りソフトは優秀ですよ。

今月はこのくらいで! ハンス・ヘニー・ヤーン『岸辺なき流れ』国書刊行会、上下)とか、ジョン・クロウリー『古代の遺物』国書刊行会)や、野尻抱介『南極点のピアピア動画』(ハヤカワ文庫)なども読みつつあるし、また次回以降はもう少しペースをあげていくようにいたします。でも翻訳もすすめないと。ではまた!