Cakes連載『新・山形月報!』

経済、文学、コンピュータなどの多方面で八面六臂の活躍をする山形浩生さん。その山形さんが月に一度、読んだ本、気になる現象について読者にお届けする密度の濃いレポートです。

STAP細胞・ブルーバックス・子どもの好奇心

今回の「新・山形月報!」は、前回から続くラテンアメリカ文学の大著から話題のSTAP細胞とも関わる本までが登場です。カルロス・フエンテス『Terra Nostra(我らが大地)』、木村栄一『ラテンアメリカ十大小説』岩波新書)、太田邦史『エピゲノムと生命』(ブルーバックス)、同『自己変革するDNA』みすず書房)、バロンほか『ギークマム』オライリー・ジャパン)、タリーほか『子どもが体験するべき50の危険なこと』オライリー・ジャパン)などが紹介されています、ご一読のほどを!



2月になって、執筆時点の日本では都知事選がなにやら盛り上がっているようだけれど、なんだかぼくとしては猪瀬直樹に復活してほしい気分だし、ずいぶん遠 いところの話に思えて(というのも、本当に遠いところにいるからだけれど)いま一つ現実味がない。今後報道を見るうちに争点とかも見えてきて、少しは興が 乗るものになるだろうか。

さて、今回はご報告から。前回も読んでいたカルロス・フエンテス『Terra Nostra(我らが大地)』、読み終えた! いやー、しんどかった。マドリードにある王宮エル・エスコリアルの建設を核に、その王宮での完全な秩序と安定を目指すフェリペ王と、その周辺で幾重にも転生する人々の織りなす円環的な変化と多様性とが衝突し……という話。

英訳で読んだものだし、きちんとした感想は長くて面倒だしすでにブログのほうに書いたので、そちらを参照してほしい。別の人の紹介が見たければ、木村栄一『ラテンアメリカ十大小説』(岩 波新書)に紹介されているのでご一読を。ただ、ぼくはこの本での紹介はほめすぎだと思う。確かに、ボリューム的には十大小説に入れてもいいし、力作、野心 作なのは確かなんだが……まさにその野心と力こぶの入れ方が、くどさと説明臭さにつながり、小説としての面白さを殺してしまっているように思う。やっぱり フエンテスは、すべてを非常に精緻に計算して構築した短編や中編が真骨頂で、フエンテスアウラ・純な魂』(岩波文庫)の特に表題作は、完璧な短編小説と まで言われている大傑作。うざい説明など一切なしに、780ページの『我らが大地』とほぼ同じテーマを、はるかに簡潔に語りきっている。名作なので是非どうぞ。

そして、ぼくがカンボジアにきている間に突然話題になったのが、ご存じSTAP細胞。こちらの日刊紙ですら大きく取り上げられているほど注目されているの はまちがいないが、このカンボジアで入ってくる日本のニュースは、多くの人が嘆いていた日本の劣悪なゴシップとプライバシー侵害マスメディア報道のおかげ で、細かいことがあまりわからない。それでも革命的な業績ではある。一般細胞をちょっと酸につけるだけで万能細胞に戻せる??!! なんじゃあそりゃ!

今後たぶんもっとまともな紹介は出てくると思うけれど、たまたま(ホント、自分でも驚くほどの偶然ではあるが)こちらに持ってきていた本が、話の理解にずいぶん役立っている。それが、太田邦史『エピゲノムと生命』(ブ ルーバックス)だ。基本はエピジェネティクスの解説書となる。ある生物においては、肝臓細胞も心臓細胞も皮膚細胞も、みんなDNAは同じだ。でも、培養す ると心臓細胞は心臓になるし、肝臓細胞は肝臓になる。つまりDNAだけでその細胞のあり方が決まるわけではないということ。なぜそんなちがいが出るのか?  何がそれを伝えているのか?

エピゲノムと生命 (ブルーバックス)

エピゲノムと生命 (ブルーバックス)

エピゲノムは、まさにそのDNA以外で遺伝や細胞形成を左右するもののことで、エピジェネティクスはこれらを扱っている研究領域ってこと。この本の表現を 借りるなら、DNAは服を着ていて、その服でいろいろな働きが決まる。その服によって、DNAの情報のごく一部だけが使われるようになったり、決まった作 業だけを繰り返しやるようになったりする。当然ながら、これはまさにSTAP細胞やiPS細胞の課題でもある。人間の細胞は、かなり早い時期に機能が固定 されてしまう。でもiPS細胞やSTAP細胞は、それを戻してしまう。上の例えを使うなら、服を脱がせてしまうわけだ。

本書は、そうしたDNAの「服」がどのようになっているのかをいろいろ説明してくれる。それがあまりにいろいろありすぎて、いささか羅列気味になってしま うのはちょっと難点だが、それでも知らなかったことが山ほど出てくる。たとえば、いままでDNAの中で使われているのはごく一部で、残りは無意味な「ジャ ンクDNA」と呼ばれていたのは知っていたが(日本の誇るホラーである鈴木光司『ループ』だったか『らせん』だったかにも出てきましたな)、それが実は結 構いろいろ使われていることもわかっているんだと。また、三毛猫のクローンを作っても三毛猫にならないとは! これまた毛並みはエピゲノムの作用なんだそ うな。そのせいで、同じ遺伝子を持つ一卵性双生児でも、エピゲノムの作用で病気その他あらゆる面で山ほどのちがいがあり、遺伝性疾患が双子の片方だけで発 症する場合も多々あるそうな。

それ以外に、カロリー制限で飢餓状態にすると長生きするとか、サーチュインを活性化すると加齢が避けられるとかいった話を近年よくメディアで見かける。そ うした現象もちゃんと裏付けがあり、エピゲノムが大きく関連しているとのこと。その科学面についてもきちんと説明がされており、実用的……かどうかは知ら ないが(変な絶食長寿法とかに手を出すのは少し考えたほうがいいかもと助言されております)、少なくともどういう成果が元になっているかはわかる。細胞に 対して、飢餓状態などの強いストレスを与えると各種機能が復活するというのは、まさに今回のSTAP細胞の成果でもあるわけだ。ということで、STAP細 胞について研究者のゴシップでないきちんとした理解を得たいなら、是非ご一読を。

それにしても本書を読むと、この太田自身が、昔から自分の興味を育ててどんどん高度なことに挑戦させてくれる、とてもよい環境にあったことがわかる。自分 の興味に応えてそれを伸ばしてくれる人に出会うのは本当に重要だ。そして本書の巻末では、自分が昔ブルーバックスに受けた恩恵を語り、その恩恵を(新しい ブルーバックスを書くことで)伝えたいと述べている。(実用性には直結しないこともある)知識や興味の伝搬というのが、文化の維持育成には不可欠。

実は以前、同じ太田邦史の『自己変革するDNA』みすず書房)について朝日新聞の書評で触れた。そして、自分のブログで も、これはすばらしいけれど高い本なので、ブルーバックスにでもまとめてくれたらいいのに、と書いたら本当にやってくれました。すばらしい。いまの日本の 科学者の多くも、ブルーバックスで育った人は多いと思うし、そういう人たちが本書の太田ようにもっと自分の活動をブルーバックスにまた戻してくれれば、 もっともっと科学教育やその育成には役立つはずなのに……。

と、教育の話が出たところで、バロンほか『ギークマム』オライリー・ジャパン)は、まさに子供に科学する心をつけさせるための教育の話だ。子供の好奇心をうまくくすぐる各種の活動—ヒーローごっこから秘密基地づくり、お料理や裁縫、コスプレまで—を通じて、ある意味でおたくっぽい科学する心を育成しようという本だ。

ギークマム ―21世紀のママと家族のための実験、工作、冒険アイデア (Make: Japan Books)

ギークマム ―21世紀のママと家族のための実験、工作、冒険アイデア (Make: Japan Books)

いろんな活動の提案やヒントが挙がっているので、一通り試すだけでも飽きないとは思う。ただ、盲目的に本書をなぞるだけでは、たぶん効果はあまりないだろ う。子供に「やれ」と言っても言うことを訊いてくれるとは限らない。子供は結構、親のやることをよく見ている。だれかがおもしろそうに何かをやっていたら 勝手にそれを真似するし、「勉強しなさい!」「本を読みなさい!」という父母自身が勉強もせず本も読まずテレビを見ているだけなら、子供だってそうなる。

だからこういう本で大事なのは、子供にこれをやらせようと思うことではなく、これを自分がやって楽しいこと、だと思うんだ。本書には、子供とコスプレをし てみるとかパンを作ってみるとか、いろいろな活動が載っているけれど、親自身がそれを楽しんでできなければ、子供がそれを楽しいと思うわけがない。だれか がツイッターかどこかで、この本は子供の教育を口実に親が遊ぶための本だと言ってた。その通りだと思う。そう思えないような人は、たぶん本書に挙がった活 動を子供にやらせることもできないんじゃないか。

同じシリーズには、タリーほか『子どもが体験するべき50の危険なこと』(オ ライリー・ジャパン)というのがある。子どもは危険な体験をしなければ、それを避けることも覚えられない。だから、あえて子どもに危険なことを(安全な形 で)やらせてみようという本だ。この本も、出てくる危険な活動(たとえば子どもを感電させたり車を運転させたり)に顔をしかめるような人よりは、自分でも そういう危険そうなことをやってみたいと思える人のほうが有効に使えるはず。それが知的好奇心というものだし、またそれを発展させたものが、科学する心で あり創造性なんだから。みなさんも各々で、こうした本や活動を通じて、それを育み続けてほしいなとは思う。

ところで、冒頭の『我らが大地』、 持って帰るのも重すぎるしかさばるので、カンボジアの古本屋に売ったら3ドルになりました。もともと、これはボストンで買ったもので、東京のうちの本棚に 20年放置され、その後ベトナムカンボジアに連れて行かれて、やっとぼくの手を離れたことになる。いずれだれかに買われて、どこか得体の知れないところ に連れて行ってもらえるといいんだけど。ではまた次回。