Cakes連載『新・山形月報!』

経済、文学、コンピュータなどの多方面で八面六臂の活躍をする山形浩生さん。その山形さんが月に一度、読んだ本、気になる現象について読者にお届けする密度の濃いレポートです。

アベノミクス・数式・精神科病院

今回の「新・山形月報!」もボリュームたっぷりです。話題作の片岡剛士『アベノミクスのゆくえ』光文社新書)を皮切りに、岩田規久男浜田宏一・原田泰編『リフレが日本経済を復活させる』中央経済社)、カーメン・M・ラインハート、ケネス・S・ロゴフ『国家は破綻する』日経BP社)、安達誠司『ユーロの正体』幻冬舎新書)、イツァーク・ギルボア『合理的選択』みすず書房)、同『意思決定理論入門』NTT出版)、尾山大輔・安田洋祐編著『経済学で出る数学』日本評論社)、鈴木健『なめらかな社会とその敵』勁草書房)、R・A・ラファティ『蛇の卵』(青心社)、三宅薫『行って見て聞いた精神科病院の保護室』医学書院)などが登場です!



年度初めでばたばたしておりますが、お元気でしょうか。さて前回から大事件がいくつかあって、たぶんぼくや読者のみなさんにとって最も影響が大きいのは、日本銀行の総裁交代と、そこで採用されたインフレ目標。2年後に2%のインフレ率を目指すというやつだ。

ご存じの通り、ぼくはずっと(1998年以来)このインフレ目標政策=リフレ政策の旗を振ってきて、翻訳でもコラムでも、ことあるごとにそれを紹介と後押ししてきたつもり。理屈としても単純明快。景気を刺激するには金利を下げるのが普通だけれど、ゼロ金利だとそれができない。でも、インフレになるとみんなが思えば、ゼロ金利でも実質的に金利が下がったのと同じ効果がでる—要はそれだけの話なのだ。初めて読んだときは、「なんだ、コロンブスの卵みたいな話だ」と思ったし、2~3年ですぐ採用されると思っていたら……なんとまったく採用の気配がない。

20年にわたり日本は停滞し続け、無責任な知識人どもはそれについてきちんと批判するどころか「もう経済成長の時代は終わった」「日本はこれから美しく衰退するばかり」「モノの豊かさより心の豊かさ」なんていうお題目で、かえって停滞を賛美するという始末。でも実際には、貧すれば鈍す。貧しくなり、就職難や失業が増えれば、みんな自己中心的になり、たいしたことない生活保護だの在日特権だのを騒ぎたて、つまらないナショナリズムをたぎらせ、大学3年生からシューカツとやらで、物質的にも精神的にも追い詰められたゆとりのない状態がどんどん悪化している。

でも、インフレになるという期待を作るのは無理とか、一方でそれをやったらハイパーインフレになるとか、馬鹿な話がずっと続いてきて、しかもその最大の反対者が日本銀行自身という状況が延々続き、ぼくは昨年夏の時点でも、もうこの政策が現実になる可能性をあきらめていたほど。

ところが安倍総理が登場し、あれよあれよとこの政策がアベノミクスの前面に。でも、これまであまりに裏切られ続けてきたもので、新しく日銀のトップとして黒田総裁が決まった時点でも、なんかチマチマした政策でお茶を濁されるのでは、と多くの人が半信半疑だったんだが……。杞憂でした。4月頭の日銀会合で、黒田総裁はデフレ派はもとよりリフレ派すら驚愕する大胆な施策をうちだし、さらに抵抗勢力になると思われた審議委員たちがコロッと宗旨替え。やった!

この突然の変化に、多くの人(特にこれまでリフレ政策に対してデタラメまじりの批判を展開してきた人々)は戸惑っていて、これからどうなるのかについてまだまだ混乱した議論があちこちで見られる。が……みなさん、読むべき本は1冊だけ。片岡剛士『アベノミクスのゆくえ』光文社新書)。これはすごい。このタイミングで、ここまで踏み込んだ本が出るというのは信じられないタイミング。

アベノミクスのゆくえ~現在・過去・未来の視点から考える~ (光文社新書)

『アベノミクスのゆくえ』

アベノミクスがどんなもので、リフレ政策以外のものがどんな意味や効果を持ち、今後どうなるかについて、新書1冊にまとめたもの。新書とあなどるなかれ、その密度たるやすさまじいもの。片岡の前著『円のゆくえを問いなおす』ちくま新書)もそうだったけれど、3冊くらいにわけないと読んだ人がのどにつまらせて死ぬんじゃないかと思うくらい。が、ゆっくりでいいから読み込めば、他にどんな本もいらないと思う。あえて別の本を読むなら岩田規久男浜田宏一・原田泰編『リフレが日本経済を復活させる』中央経済社)あたりをどうぞ。

さて、リフレ派の金融緩和や日銀の国債買い取りといった政策に対しての大きな反対論は、政府債務が高すぎる、というもの。これ以上政府が借金すると、財政が破綻し、国債が暴落して政府がたちゆかなくなる、という説。市場を見てもそんな兆候はまったくないよ、と言っても、「いやいつか暴落するんです、暴落し たら大恐慌です」というのがこうした議論の常。

その理論的支柱の1つがカーメン・M・ラインハート、ケネス・S・ロゴフ『国家は破綻する』日経BP社)。過去の歴史では、バブルが起きて、銀行が破綻しそうになり、それを政府が肩代わりして(銀行つぶれると経済がまわらなくなるので)政府債務が高騰し、国債が暴落すると不景気に、というパターンがある、というのがこの本の主張。その議論の政府債務がGDPの90%を超えたら経済はマイナス成長に転じる、というのがあった。

ところが、この4月に実はこの研究がエクセルのセルの範囲指定をまちがえていて、集計ミスがあったことが判明。それを入れると、債務が高くても成長はちょこっと下がる程度で、そんなに影響がないことが判明。著者はごめんなさいと言いつつ、でも結論に影響はないというんだが……そうかなあ。ぼくは結論がほとんどひっくり返ると思うんだけど。

そこらへん、読者のみなさんも自分で見てみるといいと思う。たぶん結構話題になった本なので、すでに読んだ方も多いんじゃないかな。裏付けが変わると結論はどう変わるか、というのを考えつつ読むのも重要だ。それに、まだ事例や分析で役にたつ部分も多いので。

とはいえ、ごめんですんだら何とやら。この本は、ユーロ圏でギリシャやスペインなどに緊縮財政による財政再建を要求する根拠になっていたんだよね。おまえら債務が減らないと経済復活しないぞと言って。それがまちがいでしたとなると、ギリシャ人やスペイン人はなんで苦労させられたのかという……そこらへんも 含めたユーロの状況—最近では何とキプロスがとんでもないことになってしまっているけれど—については、安達誠司『ユーロの正体』幻冬舎新書)をお読みあれ。わかりやすいっす。

こういう時事ネタから少し引いて、もう少し理屈とお勉強の世界に入ると、イツァーク・ギルボア『合理的選択』みすず書房)はなかなか。人は合理的にものを決める—と言うと、いや人間は不条理なのだ云々といきりたつ人がいるけれど、でも人はおおむね自分にとっていちばんいいことをしようとする。その決め方に関する基本的な考え方をさらっと説明した入門書だ。

平易で明解なのに、ナッシュ均衡からパレート最適から市場外部性からゲーム理論から次々と要領よく紹介し、進化生物学的な知見(感情の説明とか)まで触れる。しかも短い。みすず書房で3000円超なので、ぼくはもっとむずかしい本だと思っていたんだけれど、意外だった。正直いって、新書で980円くらいにしたい本だと思う。もうちょっと詳しく理論に踏み込んだ本としては、同じギルボアの『意思決定理論入門』NTT出版)もいいんじゃないか。

一方、経済学の数式が苦手という人は多いけれど、実はそんな高度な部分というのは大学院でもいかなければ出てこない。学部くらい、あるいは一般のビジネスマンなら、そこそこのもので十分で、しかも我慢して数式を見てみると、実はかなりくだらないことしか言っていなかったりして拍子抜けすることも多々ある。 数式見た瞬間にダメだと思わず、完全にわからなくてもとりあえず見てみるようにするだけで、かなり理解がちがってくる。それに役立つのが尾山大輔&安田洋祐編著『経済学で出る数学』日本評論社)。これについてのきちんとした書評はアマゾンのレビューに書いたのでご参照あれ。

比例とか一次関数のグラフあたりからはじめて、ラグランジアンあたりまでかなりきちんと進める構成で、このくらいやっておけば専門論文バリバリ読むのでもない限りこわいものなし。まだ新年度始まったばかりで多少やる気もあるだろうから、これで少し勉強するとその後ずっと役にたちます。数式や算数は、目で追っていても絶対にわからない。手で問題を解いて、手で考えるようになると一瞬だ。手を動かす手間さえ惜しまなければすぐに上達するので、是非是非。そこまでやらなくても、とりあえず式を見るだけ見て、どんな変数が入っているか見るだけでも全然ちがうので。

ちょっとこの1カ月はアベノミクスとその影響が強くて、経済学っぽい本ばかりになりがちだったんだけれど、いくつか変わり種も。といってもこれまた経済学じみた本なんだけれど、鈴木健『なめらかな社会とその敵』勁草書房)。いまの社会は、個人が自立して、まわりとは断絶した独立の存在だと考えていて、それを助長しているのが1回限りでいろんな関係を断ち切る金銭取 引や、人が1つの意志しか持たないように扱う投票といった制度だ、と鈴木は言う。だから、その金銭取引(およびそこに使われるお金)や投票システムを変え て、人や組織がデジタルに決まらない、なめらかにつながる仕組みを作ろう、と言う。本書のおもしろさは、そのために取引履歴(の影響)が続く貨幣や、1票を細かく刻める投票システムを実際に構想して、コンピュータ上とはいえ実装してしまったことだ。

なめらかな社会とその敵

『なめらかな社会とその敵』

さて、この仕組みに対するぼくの批判はすでにネット上に書いたので、興味があればそっちを参照してほしい。でも本当に良い本は、こうした批判においてすら読者の思考を刺激し、深めてくれる。残念ながらネットでこの本をほめている多くの人は、ちゃんとした刺激を受ける手間を惜しんでいる。本書の数式がむずかしいとかいって逃げてしまう。でも、上の「経済学で出る数学」を 見て、産業連関表分析をちょっと勉強すれば実はまったくむずかしくない。そしてその手間を惜しんだ人の言うことは、しょせんは印象論の読書感想文以上のものではない。そういう賛同者しか得られないのは、この本の不幸だと思うので、できればこれを読んだ1人でも多くの方が、その不幸から救ってあげてくれればとは思うのだ。

一方、小説はいま一つピンとくるものがなかった。強いて挙げるとR・A・ラファティ『蛇の卵』(青心社)だけれど、うーんこれは万人に勧めていいものかわからない。ラファティが好きなら、というところだが、そういう人はここで紹介するまでもないだろうからなあ。

が、そこへ献本で送られてきた得たいの知れない本。三宅薫『行って見て聞いた精神科病院の保護室』(医 学書院)!! これはすごい。精神科病院というのは、冗談やおどろおろどしいホラーのネタにはいろいろなるけれど、そこが実際にどんなところなのかはおそらくほとんどだれも見たことがないはず。ぼくもまったく見たことがなかった。それを本書は、各種病院ごとに図解と写真入りで見せてくれる。そしてそれぞれの病院のアプローチも説明されていて興味深い。

こうして実際の様子がわかると、たぶん治療のハードルもかなり下がるだろう。それが社会的に共有されれば、社会としての精神病への対応もずいぶん改善されるんじゃないかな。ちなみに同じ医学書院で以前ブログで紹介した呉秀三『精神病者私宅監置の実況』での状況(こちらもすごい本です)と比べると感慨深いものがある。

では……というところで、ボストンマラソンの爆弾事件があった。自分がかつて毎日のように通っていた場所で爆弾事件というと、身につまされるものがあるんだが、いまニュースによると、そこで使われた圧力鍋使用の爆弾は、どうもこの連載の第4回で紹介したアルカイダリクルート雑誌である『Inspire』創刊号を参考にしたのではないかとのこと。

実は、その記事はあまり詳しくなくてごく一般的なことしか書いておらず、他のゲリラ兵器マニュアル系の本やネットのほうが充実している(それどころか事件後のアメリカのメディア報道のほうがずっと詳細な爆弾製造法を紹介していた)くらいで、『Inspire』を参照にしたと断言できる要因はないと思うんだが。まあそれでも、可能性はある。この連載を読んでいると、意外なところで意外なネタが重要になってきますぞ、ということでご理解いただければ。ではまた 次回。